分断
声による挑発。投石。一騎打ちのように迫る北方諸部族の猛者。
これらに対して一切の無視を決め込んで、アレッシア軍は朝食を堪能した。
手が進まない者も居たが、炊事の煙が空を覆い、太陽も高くなればハフモニ軍も退いていく。
サジェッツァの言う通り陣地を攻める自信は無いのか、それとも悠然とし過ぎているため罠があると思ったのか。
それは分からないが、とにかく退いて行った。
その後もマールバラからの挑発を無視し、敵の物資徴発部隊は叩く。敵もソレが分かっているから少数で居る時にアレッシア軍が見えたらさっと引き、大人数で居る時には戦おうとする。あるいは、兵を隠して襲撃部隊を囲う。
会戦を避け続けることで少なからずアレッシア軍団内には不満が溜まっているのだ。
それが、発散の場となる襲撃部隊での深追いに繋がる。兎も角の攻撃に繋がる。そこを討たれる。注意をしても、監督役が全員サジェッツァの意思通りに動く者ではない。
今のところ被害は少ないが、三週間もすれば成果に比べた被害の割合が高くなっていた。
「やはり一度会戦するべきでは無いでしょうか」
だからだろう。
サジェッツァの天幕に軍団長補佐以上の全員が集まった時に副官であるグエッラ・ルフスが発した言葉には隠されてもいない棘があった。
「ハフモニの陣形が整う速度は我等アレッシアよりも非常に遅い。速攻で一撃を加えられれば容易に勝てるはずです。しかし、このまま手をこまねいていてはこちらの士気が下がるだけ。サジェッツァ様はこちらの士気が高くて相手が焦っている絶好の機会をみすみす逸したのだ!」
グエッラが吼える。
「はっ」
その後に生じた一瞬の空白で、シニストラが馬鹿にしたように一音吐き捨てた。
グエッラ以外からも厳しい視線がシニストラに向く。シニストラは、その剣のような雰囲気を一切変えない。
「何か?」
グエッラが静かに燃え上がる声を出す。
「いえ。士気を下げている根本がタイリー様やペッレグリーノ様よりも戦上手だなんて喚いていれば、笑いを堪えることなんてできる性分ではありませんので」
グエッラの目が大きく開かれ、飛び出ているようにも見えた。
すぐに口角が上がり、余裕の顔を取り戻してからグエッラの目がフィガロット・ナレティクスの方へ向く。
「フィガロット様。シニストラ様は貴方の管轄のはず。上官に対する態度がなっていないのではないですか? シニストラ様はまだ若いのですから、きっちり教育していただかないと」
シニストラは二十一。エスピラがディティキ攻略戦に参加した時と同じ年齢である。
「そうか」
フィガロットが堂々と言った。目は合わせていない。真正面を向いたままである。
「そうか?」
グエッラの鼻筋が動いた。
「貴方の怠慢ですよ?」
「そうですか?」
文章として返ってこないので、グエッラが言葉尻を捉えることができていない。
(グエッラ様としては軍団長の中では一番丸め籠めやすいフィガロット様を攻略したい、と言ったところか)
エスピラなどのカルド島の兵の頭を押さえつけ、自身の影響下に収めるためにも。
「フィガロット様。貴方の炎を見ようともしない態度、それは貴族の余裕と言うモノですか? この窮状、何度もアレッシアが負けている中で悠長に裁判を起こして国を分断する。しかもあらゆる家を巻き込んで無謀に暴れる。なるほど。貴族で一番力のある一門がそんなことをするモノですから、他の貴族もそうだと? 分断しても関係ないと? 危機感が無さすぎるのではありませんか? 今は一致団結して敵に挑む時。その時に上官を虚仮にした笑いを向ける者が居ては問題だと思わないのですか? これだから貴族連中はと、貴方も言われたいのですか?」
「失礼ですが」
フィガロットの顔に青筋が浮かんだように見えて。
エスピラは口を開いた。
「現状で分断をしているのはグエッラ様かと。裁判の話、貴族連中が、との言い方。これは明らかにコルドーニ様を始めとするセルクラウスに喧嘩を売る言葉。軍団の方針で会戦を行わないと決めているのに会戦を求め、兵を焚きつける行動。これを分断と言わずして何を分断と言うのでしょうか。
副官とは諫言はすれども分断はしないものです」
グエッラが奥歯を噛み締めたような笑みを浮かべてくる。
「兵の意見を高官が無視する方が問題では?」
「兵を説得できない上官も問題でしょう」
無視することもできたが、そうなった場合は誰も返答をしそうにない、あるいはシニストラがさらに炎を強くする未来が見えたため、エスピラはそう返した。
「自虐か?」
グエッラが笑う。
エスピラは細くなりかけた目を、堪える。
「そうでしたね。失礼。グエッラ様の場合は支えるべき者。軍団の方針・考えを理解しようともせず、と前につける必要がございましたね」
グエッラの表情がやや余裕のあるモノになった。
(私に余裕がなく見えたか)
後悔しつつも、どうしようも無い。
「オルゴーリョ様なら裁判で味方した者を忘れなかったと言うのに」
オルゴーリョはエスピラの父親だ。特別抜きんでた才覚は無かったが、ウェラテヌスの誇りは常に持っていた男である。
「道化師は盛り上げるのが仕事だろ」
シニストラが言った。
「誰が道化師と?」
グエッラがシニストラを睨む。
「いえ。裁判の最中、広場でよく見たモノですから」
「道化師でないなら、貴殿は私の敵。兄上の仇か? よもや兄上を無残な姿に変え、橋から突き落としたのは貴殿の手の者か?」
シニストラのすっとぼけに被せるようにコルドーニがグエッラに怒気をぶつけた。
愚かな手も打ち、暴走気味であったトリアンフを盲目気味に支え続けてきた男であるが貴族社会で育った男である。貴族社会で生きているとはいえ平民であるグエッラを言葉だけで圧倒できるだけの圧は持っているのだ。
「副官に対して道化師とは侮辱の言葉。貴族ならばそれぐらいはご存じでは無いのですか? 貴族は生まれた時だから貴族だから勉強していないのでしたら申し訳ありません」
騎兵隊長ボストゥウミ・スクトゥムスが不遜な態度を取った。
「まあ、生まれた時からの特権階級なら必死になる必要もありませんからね」
こんなことを続けてはいるが、ボストゥウミも新貴族。貴族社会で生きてきた男。さらに付け加えるならばただの平民ならばこの天幕にもいないはずだ。コネがあるか、莫大な財があるか。そうでないなら基本は百人隊長止まりだ。
もちろん、ソルプレーサのように庇護者を支えると言う意味で庇護者が指示を出せるような高官に就くこともある。
「皆さま。会議の場ですので」
アルモニアが落ち着いた声で言った。
サジェッツァの眼光が鋭くなる。
「話を聞いていれば、皆が分断を良く思っていないのは良く分かった。ならば今やっていることを振り返ってみよ。完全なる分断では無いか。
良くないと分かっているならば、くだらない分断に時間を取るな」
そう、サジェッツァが締めた。
「失礼いたしました」
「……失礼いたしました」
エスピラ、シニストラと続き、コルドーニ、グエッラ、ボストゥウミと小さく頭を下げた。
サジェッツァの顔がフィガロットを捉える。
「フィガロット様。挑発に乗らない堂々とした態度、見事です。戦うべき時では無い。それを態度で示す。兵の動揺を鎮めるのには一番の行動だと思います。是非とも続けてください」
フィガロットが慇懃に頭を下げた。
フィガロットの行動はエスピラが糸を引いているモノだとはグエッラも知っているだろう。だから、これは間接的にエスピラを褒めたモノだと気が付かないはずが無い。




