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今は我慢

「全軍、決して動くな。準備はテントの中だけにしろ」


 エスピラは現場に出た時に自身が指揮することになる四個大隊にそう指示すると、堂々とした所作で預かっている友の息子パラティゾ・アスピデアウスを伴って直属の上司である軍団長フィガロット・ナレティクスのテントまで赴いた。


 実際の陣形と同じように並んでいるテントはフィガロットに近づくにつれ慌ただしさが増している。出陣の準備に取り掛かったうえで既にテントの外で並び始めているのだ。

 朝食は、まだ作り始めたばかり。


「フィガロット様。出陣の許可は下りておりません。誤解される前に兵をテントの中に入れるべきかと思います」


 郎、と周囲にも良く通る良い声でエスピラは意見具申した。否、強制した。


 丁寧な口調と丁寧な態度ではあるが、兵からの人気はエスピラの方がある。軍団長補佐もシニストラ、ソルプレーサとエスピラの味方で、あとの二人も中立とフィガロットの息子だからと言うだけ。


「しかし、奴らは陣から出てきたが陣形が整い切ってはいないぞ。アレッシアはすぐに軍団を整えられるのだ。今こそ攻めるべきだとは思うがなあ」


 及び腰でフィガロットが反論してくる。


「胸を張って堂々としてください。フィガロット様は軍団長なのです。常に堂々と、自信に満ち満ちた姿を兵に見せるべきかと思います」


 エスピラは、今度は声量を落としてフィガロットに言った。


「言われるまでも無い」


 フィガロットが吐き捨てながら、胸を張る。

 エスピラは、おべっかを使うように笑みを浮かべて頷いた。


「フィガロット様。タイリー様やペッレグリーノ様ですらマールバラの策略に嵌ったのです。相手のタイミングで、相手が用意した戦場に行くことがいかに愚かなのか。名門ナレティクスの当主である聡明な貴方ならお分かりになるでしょう。


 加えて、サジェッツァ様からの命令は『決して会戦するな』なのです。相手の誘いに乗らず、相手に勢いを与えず、相手の思惑を外し続ける。それが狙い。半島内に居る限り相手は戦わないと生きていけないのですから。徴発部隊を叩くだけで良いのです」


 エスピラはよどみなく言い切った。

 基本的にはフィガロットだけに向けた言葉だが、最初の声掛けで注意は集まっている。軍団兵にも十分に聞こえただろう。


「しかし、それでは不安が残ろう。現にピエタの民は碌に戦わずに門を開いたそうでは無いか。逃げ腰はアレッシアの男の最大の恥。やはり、戦うべきでは無いか? 戦って、アレッシアの力を同盟諸都市に見せつけるべきでは無いか?」


 堂々と言い切ってはいるが、どこかエスピラに伺いを立てるような言い方であった。


(気のせいかも知れないがな)


 建国五門。名門であることを誇りにしている家門。その当主を張り続けている男。

 簡単に他者に頭を下げるような者では無いだろう。


「今の軍団を思い返してください。独裁官でありながら副官を任命する権利を奪われたサジェッツァ。サジェッツァの策に反するような主張ばかりしているグエッラ様。高官たちが誰の推薦かもバラバラ。

 対して、ハフモニ軍は出身地こそバラバラですが、この地で生き残るにはアレッシアを倒すしかないためマールバラの下に団結しております。

 数も敵が上。団結力も敵が上。その上相手の好きなタイミングで好きな場所で戦うのですか? ならば、せめて時と場所はこちらで選びましょう。もう万が一は許されないのですから」


「しかし、攻めてこられたらどうする」


 切羽詰まったようなモノも微かに感じる声である。


「攻めてきませんよ」


 故に、エスピラは端的にゆっくりと言葉を返した。


「保証はあるのか」


「幾らでも。それに、グエッラ様の軍団は命令違反をして戦う準備を進めているでしょう。騎兵も半数は準備をするでしょうか。彼らが時間を稼ぎ、敵の初撃を止める。されど陣は乱れ敵にとっては好機が訪れる。アレッシアに深い恨みを持つ者たちは我先にと、自分の手で恨みを晴らさんとどんどん攻撃してくるでしょう。


 そここそ、こちらにとっての好機。


 しっかりと時間をかけて陣形を整え、自慢の重装歩兵で単独戦闘に移りつつある敵兵を討てば良いのです。その時こそ勝機。鮮やかな逆転劇。その立役者は、もちろん冷静な判断を下したフィガロット様。


 焦りは禁物です。セルクラウスへの声掛けも焦ったでしょう? フィガロット様の大敵は焦りなのです。ここぞと言う時まで、堂々と胸を張り、鷹揚に頷き、雑事を配下に任せて勝機の一点だけ声を上げる。それでよろしいのです」


 平民だけれども声の大きく人気のあるグエッラをフィガロットが良く思っていないのはエスピラも知っている。


 プライドが高いのだ。そんな人が、生まれも育ちも立場も実力も下に居て当然と思っている奴が立場も人気も上に居て、命令してくることに何も思わないはずが無い。


「それに、フィガロット様の軍団の半数は私と苦楽を共にしたカルド島の軍団兵。凱旋行進を歩いた勇者たち。少数で待ち続ける怖さも、倍にのぼる兵との戦いも経験済みです」


 最後に、指揮権に関する脅しも混ぜて。


「恐れる必要は何もありません。神々は私たちの味方なのですから。神々の御寵愛を、実感した者たちが揃っておりますから」


 最後に、もう一度朗々とした声を張り上げてエスピラは締めた。


 エスピラはアレッシア人らしからぬ体を隠す装いをしていることでも有名であるが、その声の良さでも有名なのである。

 声の張り方、聞きやすさ、通りやすさは頼れるものを探している不安定で恐ろしく揺れ動きやすい軍団内では非常に有用な説得の道具なのだ。


 フィガロットも兵の雰囲気が分からない男ではない。


 これ以上の反論は士気を損ねてハフモニに利するだけだと判断したのか、それ以上は何も言ってこなかった。


「それでは、私は他の軍団長補佐の陣を見回ってきます。フィガロット様は、兵の道標となるべく堂々とここに座していてください」


 鷹揚に頷くフィガロットに深く礼をして、エスピラは踵を返した。

 向かった先はフィガロットへの宣言通り他の同僚の陣。


 カルド島に居なかった二名の陣はエスピラが鎮め、フィガロットの陣を見せ、そして軍団長補佐をフィガロットの下へと向かわせた。


 カルド島に居た二名。ソルプレーサはエスピラを見るなり「朝食の時間ですか?」と聞くなど、エスピラの欲するところを良く理解していた。兵も朝食の準備を進めており、のんびりとしたモノである。


 少し不安のあったのはシニストラに対してであったが、彼は兵はテントの中に入れ、百人隊長三人と監督役だけ自身の傍に呼んでどっしりと自身のテントの外で座っていた。ただ、足は踵が時折浮いている。


「見事だ。それで良い」


 立ち上がったシニストラに、エスピラはゆったりと威厳のある声を掛けた。

 シニストラの頭が深く下がる。


「命令を守っただけです」

「それが重要だ。憎き敵の目の前で悠々と構える。言葉にするほど楽な話では無いよ」


 目の前に迫る恐怖。相手は整っているのにこちらは整っていない。そして、苦楽を共にした者の仇であり、アレッシアの敵。


 アレッシア人は父祖に誇りを持っているのだ。父祖が得たモノを奪おうとする相手にはそれだけで嫌悪感を抱くのだ。


 千人を超えるそんな集団を落ち着かせておくのも一苦労である。


「少しよろしいでしょうか」


 シニストラが丁寧に言う。


「構わないよ」


 エスピラが悠と返せば、シニストラが他の者に待つように伝えて陣地の端へ移動した。目で合図を受け、エスピラもシニストラに続く。パラティゾにはシニストラの下にいる百人隊長たちと待てと伝えて。


「宜しければ教えていただきたいのですが」


 シニストラが先にそう切り出す。エスピラは拒否するつもりは一切無い。


「ハフモニの陣形は未だに揃っていないように見えました。最速で隊列を整えれば、そのまま敵を蹴散らせたのではないでしょうか」

「かも知れないな」


 シニストラの疑問に、エスピラはフィガロットの時とは異なり『肯定』の意を返した。


 シニストラが僅かに眉を寄せる。

 本当に僅かな動きで僅かな時間だけであり、すぐに普段通りの顔に戻っていった。

 続きを待っているのだろう。


「だが、保証は無い。百戦錬磨のペッレグリーノ様を打ち破り、満を持して執政官になったタイリー様を戦死させた相手だ。こちらをおびき寄せるための罠では無いとは言えないだろう。正解は突撃しないと分からないけどな」


「それでは」


「ああ。ただ、命令は待機。会戦を避けるべし。その上、タイリー様の遺言で二年、即ちマールバラの力を見極められるまでは戦いを避けなくてはならない。消極的に映るかも知れないが、この決断が最も正しい判断だと思っているとも」


 エスピラは周囲の気配を再び探った。

 相変わらず、近づこうとする人はいない。


「なら、次は自分が機を見て突撃致しましょうか」


 シニストラが言う。


「シニストラもアレッシアの未来を担う大事な人材だ。絶対にするな」


 一拍置いて


「かしこまりました」

 とシニストラから感情を無理矢理抑え込んだような声が返ってきた。


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