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頭を垂れる先には

「灰が溜まっております。でも、灰の下には未だに消えない炎が灯っている。そう、でました」

 と、シジェロが言った。


 いつもより少し距離があるのは、今日はグライオがエスピラを認めるなりついてきているからだろうか。それともメルアのけん制が効いているのか。


(そんな女性では無いか)


 息子であるマシディリを連れてきているから、と言うのが一番大きいのだろう、とエスピラはあたりをつけた。


「セルクルス……。コルドーニ・セルクラウスのことでしょうか」


 グライオが言う。


「吹き飛ぶ存在でも無ければ払おうとしたときに手を焼く者でもありませんので違うでしょう」


 エスピラとしては、灰は複数の存在であり、つまもうとしても残り続けるがきっかけがあれば一掃できるようなモノだと推測している。


 そう考えれば、ほどほどに脅すことは出来るコルドーニは違うだろう。


 脅せば引いてくれ、排除しようとすれば相応の傷を覚悟しなくてはいけない。

 実の妹に欲情して頭に血が上るトリアンフとは違うのだ。むしろ、トリアンフと言う重石が無くなった以上はより厄介になった可能性がある。


(とは言え、生かしておく気も無かったが)


 軽く乗せやすいあの男は、旗印としては十分だったのだから。


「あまり、今回の遠征はお勧めできません」


 シジェロがはっきりと言った。

 不言色いわぬいろの目が真っ直ぐにエスピラに降り注ぐ。


 シニストラを連れてきていれば、「同じく」とでも無愛想に同意したのだろうとエスピラは口元を緩めた。


「おかしなことを言いましたでしょうか」


 シジェロの頬が少し膨らんだ。


「失礼いたしました。ただ、誰に聞いてもお勧めはしないでしょうと思いまして」

「どういうことですか?」


 シジェロが小首を傾げる。


「半年の任期で結果が出るのか、と言うことです」

「エスピラ様は出ないと思っているのですか」


 エスピラは頷いた。

 マシディリの視線を感じ、しゃがむ。


「サジェッツァの作戦は恐らくアレッシアの一年任期のシステムを考えた場合マールバラに対する最善の策でしょう。ですが、結果が出るのには時間がかかります。国民性とも合いません。せめて副官がサジェッツァの作戦を支持する人なら良かったのですが、違うのなら一つの失敗がすぐに作戦の崩壊に繋がります」


 話している内容の深刻さとは裏腹に、エスピラはマシディリに安心させるような笑みを向けた。


「ウェラテヌスの名声は非常に高くなっておりますが、例えここで勝っても上がり幅は小さく、負ければ一気に落ちてしまうでしょう。得られる利益に比べて失うモノが多すぎます。エスピラ様がお望みならば」

「友を助け、アレッシアを救う。それ以上の理由が必要でしょうか」


 アレッシアに生まれた者にはどれだけの理由を重ねようとこの二つが並んでいれば行動は変わらない。


 エスピラは、シジェロに返答しつつもマシディリにそう伝えた。


 エスピラはマシディリの頭を撫で、顔を上げる。性質が少し悪くなっているシジェロの笑みが見えた。


(悦びか)


 エスピラがシジェロの言葉を庇うように切ったのを感じての。

 エスピラとしては神への不敬を許したくないのとグライオが居る以上は神殿の言葉を重いモノのままにしたかったからではあるが、喜びを感じるには十分だったのだろう。


 危険だとは分かっている。離れるべきだとも分かっている。


 それでも、エスピラは未だにシジェロ以上の占いをできる者を見つけられていない。カルド島にも居なかった。

 シジェロが神に愛された人間であるならば、手放すわけにもいかないのである。


「サジェッツァの運勢はどうですか?」


 エスピラはマシディリと手をつないだまま立ち上がった。


「よろしくありません。今年から来年にかけて火は弱まり壁も屋根も隙間だらけのモノしか用意されておりませんから。ですが、それを耐え凌げれば川の流れに乗るように物事が動き始めます」


 よりにもよってその時期に独裁官に任命されたか、とエスピラは友の不運を嘆いた。

 とは言え、嘆いてばかりでもいられない。


「言うまでも無いことかと思いますが、アレッシアとサジェッツァの勝利を神にお願いしてください。不幸中の幸いか、葬儀には事欠きませんので闘技場からの収入は幾らでもありますから」


 剣闘士の戦いは国威発揚と故人への贈り物の意味がある。

 大敗を続けている現状において、タイリーからアレッシア随一の闘技場群を受け継いでいるエスピラには剣闘士大会の開催の依頼がひっきりなしに届いているのだ。


 つい先日も、バッタリーセを追悼するために、仲直りをアピールするためにプレシーモを中心としたクエヌレス一門から多額の金銭を受け取っている。


「他の神殿にも最高神祇官代理の名を使って依頼すると思ってもよろしいですか?」


 選挙が終わるまでは国の守り神たる処女神の神殿が最高神祇官の代理を務めるのがアレッシアの決まりだ。


「ええ。特に正義の女神の神殿には盛大にやっていただきましょう」


 正義の女神ユーティフィティアはサジェッツァが信奉している神である。

 お金では動かないが、祈るのに必要な物を用意すればいつも以上に派手にはやってくれるだろう。


「お伝えしておきますね」


「頼みます。それと、クエヌレス主催の剣闘士大会でついでに勝利への祈りをお願いしてもよろしいでしょうか。時期が時期ですので、午前の部を全てそちらに回してしまおうかとも思っております」


「エスピラ様の頼みを拒絶をするはずがありません。神殿の方々にとっても、タイリー様の時と大きく変わらない方がありがたいと思います」


 要するに、最高神祇官は置くが影響力としては同程度のモノをエスピラに持ってもらいたい、と言う話である。偉大なる前任者に対して独自色を入れて自身の成果を誇りたいと言う欲を封じる。自分の成果を望むのならばこちらにも考えがあると神殿側が圧を掛けられる。


 そのためのエスピラだろう。


 同時に、エスピラとしても神殿勢力に影響力を持てるならばありがたい。

 最高神祇官の選挙に出る気は一切無いが、折角足をかけた土台から降りるつもりも一切無いのだ。


(土台と言えば、マフソレイオもだが)


 これの取り扱いは、やや難しい。


 ズィミナソフィア三世がタイリーが居なくなった穴の一つに入ってこないとも限らないからだ。他の者は取り合おうとはしていない。少なくともアレッシア人でそのような動きをすれば名誉を損なう。そんな立場に、ズィミナソフィア三世なら入ることができる。


 そう。エスピラに首輪をつけると言う役割に。


 タイリーが亡くなり、完全に独立したように思えるがウェラテヌスの基盤はしっかりとはしていない。父祖の功績、名誉、名声でそれらしきものを構築できただけなのである。


 此処に、ズィミナソフィア三世が入ってきたらどうなるのか。


 無論、ズィミナソフィア四世がエスピラの子だと吹聴しても効果は薄いだろう。むしろ、マフソレイオに混乱をきたす恐れがある。だが、アレッシアが負け続きの現状で、凱旋行進を行った将軍が『ハフモニを潰すつもりは無い』『ハフモニと言う国家は存続させる』と言ったことを吹聴されたら? 


 それは、アレッシアを更なる窮地に陥れることになる。ハフモニに味方したことにもなれる。

 エスピラとしては裁判などが起こっても勝手に味方になってくれるのは一回きりだと思っている。後は味方の数が減っていくだろう。使えないだろう。


 タイリーが空け、トリアンフが広げた穴にズィミナソフィア三世が埋まる可能性は十分にあるのだ。


「何かございましたか?」


 そんなことを考えながら神殿の外へと向かっていると、グライオがそう問いかけてきた。


「いえ。今後を考えていただけです。このご時世ですから、あまり良いことばかりでは無いでしょう?」

「マールバラ・グラムですか……。カルド島のメンバーを集めたと言いましても、マルテレス様もスーペル様もズベラン様もおりません。ソルプレーサ様もシニストラも引き離されてしまいました。これで同じ働きをしろと言う方が難しいと言うモノかと存じます」


 その話では無いが、言う必要は無い。

 エスピラはそう判断して、マシディリを抱きかかえた。大分体重が増えているが、まだまだ抱っこは出来る。そう思い、エスピラは少し恥ずかしがっている息子の頭を撫でた。


「エスピラ様」

「ん?」


 衣擦れの音と膝を着くような気配を感じ、エスピラはマシディリを抱っこしたまま振り返った。


 耳と気配通り、グライオが膝を着いている。


 形としてはエスピラと、エスピラが抱えているマシディリに頭を下げているようにも見えるだろうか。


「ソルプレーサ様もシニストラも、マルテレス様もエスピラ様の傍に居ることができません。ベロルスの名声も未だに地に落ちたまま。このまま父を父祖の元へやることは不孝に他ならないと考えております。

 神官の任期が終わり次第、私にエスピラ様の下へ駆けつける許可を頂けないでしょうか。必ずや働きを以って許可を下したことを間違いでは無かったと証明致しましょう」


(噂か)


 マシディリの父親が誰なのか。

 口さがない連中が未だに何かを言っているのはエスピラも知っている。


 このグライオの行動は、この噂に対する一つの回答でもあるのだろう。血の繋がりは、父親が誰かは関係なく、マシディリはウェラテヌスの子である。エスピラに恩義を感じる者は必ずやマシディリに頭を下げ、ウェラテヌスの当主として認めると。噂の相手の一つであるベロルスは父親として主張もしないし、何なら全てを投げうって仕えると。


「かしこまりました。立派に神官を務め上げ、私の下に合流してください」

「は」


 それから、と小さく頭を下げながらグライオがやや言い辛そうに口を開いた。


「エスピラ様は軍団の長でベロルスを弾劾した者で、裁判において協力した自分たちを従える者です。どうか、その時と同じような言葉づかいでお願いしてもよろしいでしょうか。エスピラ様に丁寧な言葉を使われると、背筋に悪寒が走るのです」


 あー、と口には出さずにエスピラは目だけで天を仰いだ。


「分かった……」

「ありがとうございます!」


 温度差のある二人に、マシディリも何とも言えない目をエスピラに向けて来たのだった。


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