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机上の空論

「どう思う?」


 エスピラは、最初の挨拶以来何も話さず、時折エスピラと同じ動きをしているパラティゾに話を振った。


「出陣、するべきでしょう。軍団が居るのと居ないのとではインツィーアが降るまでの速度が違います」


 淡々とパラティゾが答える。


「理由はそれだけか?」


 パラティゾの背筋がやや伸びた。目が一度エスピラから逸れて、それから戻ってくる。


「アレッシアの信義を見せられます。あくまでも守ろうとする。守ろうとしていると。例えピエタを失ったとしても、同盟諸都市のために訓練をすぐに終わらせたのはアレッシアの力が健在なのを示す良い材料になります」


 淡々とした顔にやや満足気な雰囲気を見て、エスピラは能面のままで右眉を上げた。

 パラティゾの眉が僅かに歪み、眼球がまた動く。


「……積極的に戦わない口実にもなります。父上が取る戦略も致し方なしと思ってもらえるかと」


 パラティゾの言葉が止まった。


「そうだな。他にもハフモニ軍が略奪するはずの土地から先に収穫を行い、物資を与えないことも可能になる。軍団が先に動けば人を動かすこともできるからな」


 エスピラは理由を補強してからサジェッツァを見た。


「初陣までさせておきたかったな」


 エスピラの言葉を受け取ったサジェッツァが息子に目をやってから、口を開く。


「年齢が足りないのは仕方ない。決まり事だ。その代わり、色んな雑務を押し付けて構わない。しっかりとしごいてくれ。側にソルプレーサもマルテレスもイフェメラも居ない以上は、書類仕事に使う新たな手が必要だろう?」


「サジェッツァの近くの方が学べるんじゃないのか?」


 エスピラとて、サジェッツァが忙しいことは知っている。


 四個軍団を扱うのだ。しかも、エスピラの時とは違い明確に反対の意思を持つ者たちがそれなりに存在している。


 苦労は、エスピラがカルド島で体験したモノをはるかに越えてくるだろう。


「マルテレス、イフェメラ、シニストラ。あと、グライオもか。

 元老院の見立ては、彼らは完全に武の人。裏方業務は苦手だと思われていたが、カルド島で経験して以来一気に注目を集めている。エスピラが経験させ、指導したおかげだ。

 ソルプレーサに関しても、元から実力はあったが軍団補佐に入れても誰も文句を言わなかった。カルド島の英雄の一人、と言うだけではあるまい」


「本人たちの実力さ」


 エスピラは紅茶を口に含んだ。


「それでも構わない。アスピデアウス以外のやり方、考え方を学ぶのもパラティゾの役に立つはずだ。エスピラだってそうだろう? ウェラテヌスだけでなく、セルクラウス、そして独自の方法、考えを身に着けている」


「そこまで言ってくれるのはありがたいが、万が一があっても何も言うなよ」

「アレッシア人なら、男の子が生まれた時から覚悟はしているだろう」


 その通りだとは思うが、エスピラはマシディリに何かがあった時に平静でいられる自信は無い。


 アレッシアは人質を許さない。人質ごと相手に剣を返す。それがアレッシアのやり方だ。

 そう考えてはいるし、そう実行もしてきた。建国初期は何よりもウェラテヌスが積極的に行ってきた。


 それでも、と迷いは生じてしまっている。メルアと、子供たちに関しては。


「襲撃の時も連れて行った方が良いか?」


 素早く反応したのはパラティゾ。

 顔を動かすが、口は開かずに元に戻った。


「エスピラは私の親友だ。疑問が出たなら、迷わずに聞いて良い」


 サジェッツァが平坦な声で言う。


「……それでは。徴発部隊を叩くだけならば決まった部隊があるのでは無いのでしょうか」


 カルド島の戦いなどを見れば確かに決まった部隊で襲撃を行っている。


「それが確実だろうな」

 とエスピラは同意しつつ


「ただ、それは一度勝っている軍団ならばの話だ」

 と続けた。


 紅茶で口を潤してから、パラティゾの方へ少しだけ体を乗り出す。


「会戦を行わないと言うことは相手を無視すると言うことでもあり、ともすれば逃げると取られる行為でもある。この時に、兵たちが『戦っても勝てる』『戦略的な逃げに過ぎない』としっかりと理解できていないと、逃げたフリが本当に逃げたい気持ちに変わり、簡単に軍団が崩れてしまう。

 それを防ぐために、どの部隊も、誰も彼もが一度はハフモニの徴発部隊を襲撃する必要がある。この軍団が訓練不足であるのもこちらの兵の恐怖を掻き立てる要因にもなるしな」


 遠くに居る者が頭で分かっても意味が無いのである。


 それは理想だから。当事者意識が薄いから。全部の盤面を見えているから。


 貴族の指揮官と言うのも平民の一兵卒から見れば遠くの存在だ。

 ならば、理想論しか言わず失敗しても自分たちに害は無いから調子の良いことだけを言うのだと思われてしまう。それを防ぐためにも、指揮官が前に出てその他戦いぶりを見せる必要もあるのだ。


 もちろん、アレッシアの伝統がそうなのであって、それに則った結果討たれてしまったバッタリーセなどの例も数多にある。


「最初は、私が行こうか?」


 エスピラは声のベクトルをサジェッツァへとかえた。


 訓練された軍団と言う意味では、つい五か月ほど前まではカルド島で戦い続けていた軍団を中心に編成されるエスピラの大隊が一番近いだろう。


 軍団長補佐筆頭が率いるのは四個大隊千六百人がベース。そのほぼ全員がカルド島ないしタイリーに従って北上し敗走した兵で構成されることになっている。

 いわば、当面の間の最精鋭だ。


「そうしたいのは山々だが、他の部隊が優先されるだろうな」


 サジェッツァがコルドーニ、ボストゥミ、イルアッティモの名を呼んだ時に置いたプルーンを手に取った。


 パラティゾの目がエスピラの後ろに行った。彼の頬に僅かに朱が走る。馴染みの足音も耳に入った。


「とはいえ、同時多発的に襲うことになるだろう。一つ一つは一個大隊を連れていく戦いにもなるまい。その際は、エスピラにも出てもらう」


 サジェッツァの目もエスピラの後ろに一度動いたが、こちらは何も変わらない。


「ああ。タイリー様の遺言に逆らわない程度には戦うよ」


 二年は戦うな。

 つまり、才能ある者を道連れにするような戦いは起こすな、と言うモノに。


「あら。家族との時間を削れと遺すだなんて、やっぱり碌な男では無かったのね」


 メルアの声がして、エスピラの目の前に脇から持ち上げられた状態のユリアンナが吊り降ろされた。

 これでも泣かないのだから、兄二人とは明らかに違う。これが女の子だからか、ユリアンナの個性なのかは分からないが。


「メルア。タイリー様は立派な方だった」


 エスピラは窘めながらユリアンナを受け取った。二歳になろうかと言う娘が大人しくエスピラの胸に収まる。


「ええ。エスピラはそう言うしか無いのでしょうね。貴方もどうせ家庭を顧みない男ですもの」


 メルアが髪を耳に掛けた。綺麗な首筋にうっすらと紅くついている歯形が露わになる。

 低い声で注意したいところではあるが、エスピラの腕の中には娘が居るのだ。エスピラは、娘の頭を撫でながらメルアに厳しい視線を送るに留めた。


「ウェテリ殿は」


 メルアの開いた口よりも先に空気を揺らしたのはサジェッツァの声。


「随分と上手い立ち回りを演じたようですね。間違いなくエスピラの立場を良くしたのは貴方の働きでしょう。

 我儘なセルクラウスと振り回されるウェラテヌス。

 究極的に行きつく先は、セルクラウス同士の争いにウェラテヌスもディアクロスもクエヌレスも巻き込まれた、と言うモノ。いや、ディアクロスは上手く回避した方か。

 どちらにせよ、神殿で罰当たりにも暴れる妻と神殿のルールに従って神を尊重した夫。

 最も信奉して然るべき姉は逃げ、義弟の方が神を重んじた。

 エンターテインメントに飢えていた愚衆には素晴らしきエサだったと思います」


 サジェッツァが静かに紅茶を傾けた。


「ねえ。勘違いしないで。私は一門なんてどうでも良いの」


 メルアが見下す。


「一門の話はしておりませんよ。随分と仲の良い夫婦であり続け、エスピラの拠り所であって欲しいだけですから」


 サジェッツァがコップを置いてから、メルアと目を合わせてそう言った。

 メルアがエスピラの手からユリアンナを奪うように取り、去っていく。


「あまり妻を揶揄わないでやってくれ」

「褒めたつもりだったのだがな」


 ふむ、と難しい顔をするサジェッツァに、子たるパラティゾが訳が分からないと言った表情を向け、そのまま目をエスピラからも逃がしていくのであった。


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