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仮初の独裁官

 トリアンフの惨殺体は、有象無象のごみのように川に投げ捨てられた。彼の無残さを際立てたのは、彼の御者は川辺で丁寧に横たえられていたことだろう。


 余程の恨みがある者か。否、これだけの刺し傷、犯人は一人ではない。


 恨みを持つ者が複数人、トリアンフを襲った、と言うのが有力な説になった。


 もちろん、エスピラの関与を疑う者だっている。エスピラもその前日のことを聞かれても『妻と一緒に居た』としか言わないのだから、それも当然だ。


 エスピラがトリアンフの死について占わせたことも、その疑惑に拍車をかけた。


 殺してしまったからでは無いかと、口さがない者が陰口を叩いた。


 無論、エスピラの行動に苦言を呈した者も居る。やめた方が良いと言った者も居る。


 エスピラはその者たちの顔を覚えた。確実な『味方』と定義したためである。

 そして、あくまでも『処女神の神殿から』のお願いと言う形で他の神殿にも占わせた。背後にエスピラがいる可能性は高い。多くの者がそう思っただろう。それでも構わない。


 影響力の確認でもあるのだ。


 処女神の神殿が『ウェラテヌスの炎は一度静かになるが、セルクラウスの炎に何も変わりはない。アレッシアの炎にも影響はない』と断じたことで完全に影響下ではないと言うアピールもできた。その上で、各神殿に言葉を通せる者でもあると認識をさせることができた。


 占いの結果に関しても

(これまでが上手くいきすぎていたのだ)

 と、エスピラはウェラテヌスの勢いが落ち着くことに関しては何の心配もしていない。


 加えて、ナレティクスが『不謹慎な』動きを見せたことも話題を変えるのに役立ったのである。


 トリアンフが受け継いだのはアグリコーラ周辺。同じくその近辺に土地を持ち、増やしたいと考えているナレティクスがトリアンフの子に「祖父、父と亡くなり、何かと物入りでしょう。言い値で買いますよ」と持ち掛けたのだ。


 あまりに速すぎる動きであり、あまりにも早く噂が漏れた。


 恐らく、サジェッツァの策であろう。ナレティクスの動きは反感を買い、大人しくせざるを得なくなった。それはそれとして物入りになったトリアンフの家門はタイリーから受け継いだ土地を国家に渡すことで更なる家門の介入と当座のお金を手に入れたのである。


 国家に渡すと言う動きはコルドーニの入れ知恵だが、タヴォラドとサジェッツァもとい元老院に計算された動きだろう。


 エスピラの悪評を抑えたのは、もう一つ事情がある。

 バッタリーセらが率いるアレッシア軍がまた負けたのだ。


 一回目の敗報はトリアンフの死とナレティクスの失態の間。この時は「いったん様子見で引いただけだ」と報告してきたが、エスピラには負けだとはっきりとした情報が伝わっていた。

 二回目の敗報はナレティクスの失敗の後。両執政官は勇敢に戦うも敵軍の中に消えた、と言う話だった。


 これを受けて、元老院は『独裁官ディクタトル』を任命することに決めた。


 この官職に就けるのは半年限りではあるが、執政官よりも上の地位である。裁判なしに人を裁けるなど、多くの特権を有する職だ。


 だが、独裁官の任命、体制構築に当たって横やりが入った。平民の怒りが元老院に向けられたのだ。


 曰く、前年より弱い者を何故執政官に選んだのか。

 曰く、優秀な者が他にもいたはずだ。

 曰く、権力争いにしか興味が無いのか。


 だから、平民で副官を選ぶ。平民が声を上げる。元老院だけには任せられない。


 正直言って、盛大な矛盾を孕んだ発言だ。

 副官は独裁官が組みやすい人を選ぶもの。そこを勝手な、それこそ良く分からない人を配置されれば意見が割れる。軍団として弱くなる。アレッシアのためになんかならなくなる。

 元老院から力を奪おうとする権力争いの行動に他ならないのだ。


「ティミド様ではないが、これでは『平民風情』言いたくなるのも無理はない。何のための独裁官だと思っているのだ」

 とは、独裁官に指名されたサジェッツァが溢した言葉。


 才能があって、実績がある者として指名されたが、平民の強烈な横やりは想定していても防ぐ手段が無かったのだろう。軍団の大半は平民なのだから。彼らの支持を失っては軍団が動かなくなってしまう。


「せっかくある程度はサジェッツァの計算通りに行っていたのにな」

 と、エスピラは紅茶を傾けた。


 サジェッツァの長男、パラティゾ・アスピデアウスが黙って父に視線を向けながらエスピラと同じ動きをする。


 エスピラにとって友人サジェッツァよりも歳の近い友人の子供パラティゾは今年十六。まだ幼さを残しつつも父譲りの精悍な顔立ちである。


「分かってはいたことだ。完全に私の思い通りの人選ができるなら、マルテレスを呼ばないはずが無い」


 サジェッツァが平坦な声で返してきた。

 確かに、エスピラも足の引っ張り合いが起こりうる軍団での動きならマルテレスよりも自分の方が向いているとは思っている。


「大分邪魔されたように思えるけどな」


 エスピラはプルーンを掴むと、机の上に並べ始めた。



「副官、グエッラ・ルフス。声の大きい人気者。


 軍団長、コルドーニ・セルクラウス。セルクラウスの汚名を雪ぐべく軍団の訓練から精を出し、自身も参加している。息子たちも騎兵として入れた後が無い者。


 軍団長、フィガロット・ナレティクス。金と酒と女と少年が大好きな建国五門の恥さらし。


 騎兵隊長、ボストゥウミ・スグトゥムス。好戦的な性格。腰を痛めてなければ春先の軍団に入っているはずだった男。


 軍団長補佐筆頭、イルアッティモ・ティバリウス。猛将。知略に難はあるが、少ない兵を扱うことにおいてはアレッシアでも有数な実力者。


 軍団長補佐筆頭、クヌート・タルキウス。年齢、家柄を見れば適当。サジェッツァがまだ若いことを丁度良く補佐できる肩書を持つ。


 軍団長補佐筆頭、アモレ・ズマーニャ。百人隊長の経験が豊富な頼れる人材。だが、少々声が大きく戦闘以外においての才覚は不明。奴隷の扱いも良いとは言えない。


 軍団長補佐筆頭、エスピラ・ウェラテヌス。カルド島の凱旋将軍。そう言えば聞こえは良いが格下相手に勝っただけの若輩者。


 どこまでが欲しかった人材だ?」



 サジェッツァの手が伸びる。



「コルドーニ・セルクラウス。セルクラウスの名に恥じぬ実力者。扱いにくさが解消された今、家柄と実力的に妥当。汚名を着る覚悟がある。


 フィガロット・ナレティクス。失敗の後ゆえ必死になるだろう。家柄も良い。軍団に格ができる。


 イルアッティモ・ティバリウス。劣化版マルテレス。マルテレスに失礼だったな。


 クヌート・タルキウス。家門内での発言力とアレッシアでの発言力が同程度の男。軍団の格としては申し分ない。うるさくないのも良いポイントだ。


 エスピラ・ウェラテヌス。誇り高きウェラテヌスの当主としていま最も平民に人気がある貴族と言っても差支えが無い。プラントゥムで踏ん張っているペッレグリーノ様と共に今のところ唯一会戦で勝っている将軍だ」



 フィガロットの時にとられたプルーンは、残されたプルーンとあまり変わらない位置に置かれていた。


「主要なところを抑えられているじゃないか」


 副官と、騎兵隊長と、軍団長の一人と軍団長補佐筆頭の一人。


「ああ。まだ権力闘争をしている余裕があると思っているのが驚きだな」

「この分じゃピエタが落ちても互いを叩くだけになりそうだな」


 ピエタはアレッシアからは半島中央部にあるさほど高くは無い山を越えた先にある街である。

 街壁は立派とは言い難く、攻城兵器の類も少ない。食糧の備蓄も多くはなく、大量の船を止めて置ける港も無い。だが、大きな川に近く、他の都市への移動はしやすい街だ。


「インツィーアまで落ちれば話は別だがな」


 インツィーアはピエタの近くにある街だ。

 街は小さく、海からは離れている。

 だが、川で半島裏側の穀倉地帯と繋がっており、食糧の集積地の一つなのだ。

 ハフモニ軍が休むことは出来ないが、養うことは出来る街である。


「今月中にも出陣か」


 エスピラは溜息交じりに呟いた。


 ピエタを明け渡しても良いが、インツィーアを渡すわけにはいかないのである。たとえそれが、訓練が十全にできない状態でも、睨みに行かなくてはいけないのだ。


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