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お前で三人目『だった』

「ほら。考えないと。早くしないと死んでしまいますよ」


 エスピラは手を叩いた。

 その間もメルアが短剣を振り降ろし、乱雑にトリアンフの体に埋まっていく。


 メルアの力自体は強くないが毒で弱っている上に出血で弱っているトリアンフでは防ぎ切れていない。でも致命傷にはならない。傷が増えるだけ。


「頭を使って。頭を。放棄しちゃだめですよ。生きようとしないと。そうすれば、息子さんのように私やメルアに天罰が下ってトリアンフ様が助かるかもしれませんよ」


 メルアがトリアンフの上に塩をふった。

 傷口に入り込むこともあるが、塗りこんではいないからだろう。トリアンフに新たに苦しんだ様子は無い。そのせいで、メルアの顔がどんどん不機嫌になっていく。


「私に、なんの、うら、みが……」


「そうですね。会話は重要ですね。会話の途中なら死にたいと思いませんから。

 何故こんな目に合っているのかと言いますと、メルアが望んだからです。『血の繋がった者を殺すのが他とどう違うのか知りたい』ってね。トリアンフ様はメルアと母も同じ兄妹。その上、メルアに欲情した下種野郎。一番プレゼントに最適でしょう?」


「違う! 欲情なんて」

「気持ち悪い。私に触れないで」


 トリアンフが伸ばした手を、メルアが突き刺した。


「エスピラ以外の男が私に触れるとか、あり得ないのだけど」


 そのまま、紫のオーラがトリアンフを呑み込む。

 悶え、苦しみ。

 首をかきむしり、のたうち回り、短剣がさらに突き刺さって床の上で踊るようにくねりまわっている。


 泳げない小動物を、片手で掴んで水瓶に突っ込んでいるかのような光景だ。


「神へ祈るため! いや、母上への贖罪か? そうだろう!」


 トリアンフが必死に叫んだ。

 死にかけとは思えない良い絶叫である。


 エスピラは、晩餐会でよく使う笑みを浮かべると、トリアンフの前にしゃがんだ。


「そう思います?」

「あってるよな! そうなんだろ!」


「さあ、考えて。頭を動かして。まだ生きる希望を捨てちゃ駄目ですよ」

「とぼけるな! 助けてくれ。なあ、当たりなんだろ?」


 言っている間にも、トリアンフの肩に短剣が突き刺さった。追撃で皿が頭に落ちる。


「ああ。勘違いさせてしまったのなら申し訳ありません。あくまでも『生きている間に気づければ良いですね』という意味で言ったのです。正解したら助けると、私、言ったでしょうか?」


 エスピラは、温厚な空気を冷徹なモノに一変させる。

 肌を突き刺し、憎き敵を睨みつけるかのように。


「メルアのオーラを知った者を生かしておくとでも思ったのですか? 私の大事な妻を害する可能性がある者を? 私の妻に欲情した者を? 楽観的過ぎますよ。法務官まで経験し、死の間際でも冷静な思考ができる者ではありますが、アレッシアに必要な方ではありませんね」


 トリアンフが血を吐いた。


 曲がった背中に、メルアの短剣が突き刺さる。抜かれて、首にも刺さる。血しぶきがメルアの顔に跳び、メルアが思わずと言った様子でトリアンフを蹴っ飛ばした。


 トリアンフは、床に崩れるだけ。


「ああ。そうそう。メルアのオーラを知っていて生きているのは今のところ貴方で三人目。私のオーラを知っているのも、今生きているセルクラウスではメルア以外では唯一ですよ。おめでとうございます」


 エスピラは長剣を抜くと、メルアに手渡した。

 いや、と言って、メルアがエスピラの右腰に差している短剣を指さす。


「怪我しないようにね」

「ねえ。私を何だと思っているの?」


 トリアンフの震える手が上がってきた。エスピラはその手を弾く。落ちていく間に、メルアの短剣がトリアンフの眉間に突き刺さった。


 抜かれて、目に、目に、頬を貫いて白い頬骨が見える。何度も何度もメルアの白く美しい手を赤黒く汚しながら、妹と同じく整った顔を惨めな肉塊に変えて。


 ついに、刺された衝撃でしか動かない程度の生肉にトリアンフが変り果てた。


 メルアが離れる。


 エスピラは机に置かれていた、二人で飲むにしては多すぎる甘い匂いを放つ瓶を掴み、トリアンフの頭に叩きつけた。液体が飛び散り、血を流して大きくへこんだ頭蓋を露わにする。瓶は砕けて散らばり、酒は紅く染まり。


 その中でも、二重底の構造になっていた可能性は見て取れた。粘性の違う物体が見て取れた。


 女性に人気と言う酒の匂いで判別は限りなく厳しいものになっている。

 だが、エスピラはその粘体がはちみつ主体のモノであり、黒いのはヤモリの黒焼き、そして少量のサフランと恐らく獅子の睾丸の粉末が混ぜられていたのであろうと判断した。


 色だけでははっきりとはしない。だが、そう言う媚薬があることも、トリアンフが使っていることも知っている。特にサフランは遠方から運んでこなくてはならず、獅子の睾丸もそう多くあるわけでは無いのだから足取りを追うのに苦労はしないのだ。


「証拠が出て来たな、トリアンフ」


 エスピラは長剣の先をトリアンフの首に向け、やめた。

 何もせずに鞘に仕舞う。


 そして、妻の顔を見た。


 血に塗れている。今、最も嫌いな男の血に。穢れた血に。クズの血に。


 エスピラは布を取り出すと、メルアの顔を拭き始めた。


「なに」


 メルアが声だけ不機嫌に言う。


「そんな血を着けるな」


 くすり、とメルアが笑った。

 赤く綺麗な舌が横に伸びる。

 エスピラは、血を拭く手を止めて、右手でメルアの舌をつまんだ。勝手に動かし、その間に顔を拭いきる。


 顔が終われば次は手。


「あら。私に流れているモノに近い血よ」

「……楽しかったか?」


「別に。近縁者と言ってもこの程度なら、こだわる必要もないのだけど。ああ。だから失格よ。私の生誕日に手紙だけで済ませた埋め合わせには全く足りないわ」

「そうか」

「それから、あれもただの言葉の綾。雰囲気に流されて言っただけ」


 エスピラは拭き終わったメルアの手からウェラテヌスに代々伝わる短剣を奪うように受け取った。

 襟に刃を当て、トリアンフの血がついているメルアの服を切り裂く。


「そうか。それで、私以上の男はいたか? 居るわけが無い」


 そのまま服を横にやり、トリアンフの血が染み出して肌に着いた汚れをゆっくりと拭う。メルアの手も動かし、服を完全に脱がして、死体からも距離を取った。


 汚れ、切り裂かれた服は捨て置く。


「私以上に君を必要としている者が居るわけが無い」

「あら」


 メルアの言葉は口で封じて。

 エスピラは汚れていないメルアの下着まで剥ぎ取って、布を持っていない手で布を持っていた時と同じように布を取り払った場所を優しくなでた。


「どっちだ」


 メルアの耳元でエスピラが機嫌悪く囁く。


「どっちだと思う?」


 メルアが悪戯っぽく言った。


 エスピラは白く艶めかしい首に噛みついて、左手を背中に回した。掌が一層やわらかい所に触れる。口を離して、右手をメルアの膝下に回すと、エスピラは寝室までメルアを運び、もう手入れする者のいなくなったベッドに投げ捨てた。


 乱雑に自身の服も剥ぎ取っていく。


「エスピラの策でしょう?」


 自分の魅力を理解しているのか、メルアは一切体を隠そうとはしていない。

 そのことが、余計にエスピラを苛立たせる。


「だからと言って、男と二人きりになるな」

「あら。理不尽な人。自分は女と二人きりになるのに」

「ああ。分かってるよ。それぐらい。どうせ、メルアは私の話も聞かないこともな」


 エスピラは、メルアに覆いかぶさった。


「貴方が他の女を一分たりとも目に入れないのであれば、考えてあげても良いわ」

「できることならそうしてやるよ」


 エスピラはそう吐き捨てて、メルアの足の間に体を埋めたのだった。

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