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『お前の』では無い

 首から下げている出来上がったばかりの指輪を大事に握りしめているクイリッタと、同じく指輪を抱えて眠っているマシディリの頭を今一度撫でてからエスピラは子供たちから離れた。


 それでもぐっすりと眠っており、兄弟仲良く健やかな寝息を立てている。


(寝姿は二人ともメルアに似ているか?)


 くすりと音もなく笑って、エスピラは部屋を出た。


 夜番の家内奴隷に後を託して子供部屋を離れる。


 点々と蝋燭がついているが、今日は月が隠れてしまっているためいつも以上に室内は暗い。子供部屋で暗闇に馴れたためエスピラが動くには支障は無いが、もう文字を読むのはやめた方が良いだろう。


「旦那様」


 家内奴隷の声だ。


「どうした?」


 エスピラはリンゴ酒を注ぎながら返した。

 コップの一つを、家内奴隷に渡す。


「奥様が、ひっそりと外に出ていかれました」


 コップを一度かじってしまい、それから心臓ごと飲み下すようにエスピラは酒を一口飲んだ。


 ゆっくりと瞬きをしてから口を開く。


「いつ?」

「クイリッタ様が叫ばれていた時です」


 大分前だな、と思うが、クイリッタは今日指輪を取りに行ったので興奮していたのだ。

 下手に邪魔をして、さらに時間がかかる方が良くないと言うのは正しい判断だとエスピラは思っている。


「私が探しに行くから問題ない。それよりも、今夜は誰も家に入れないでくれ」


 良いな、と念押ししてから、エスピラはメルアの寝室に入った。


 メルアは基本的には一日中此処で過ごしているため、部屋の匂いは完全にメルアのモノになっている。エスピラはリンゴ酒を端に置くと、乱雑に布が投げ捨てられているベッドに近づいた。


 夜目になっていれば見える程度に紙が挟まっている。トリアンフの文字だ。よもやと思いベッドの下に手を入れれば、最近見ないなと思っていたメルアの服が乱雑に投げ捨てられていて、さらに手紙が出てくる。


 トリアンフ、コルドーニ、プレシーモ。たまにクロッチェ。パーヴィアのモノも一通。


(随分と金遣いの荒い)


 パーヴィアのは一応の母親としての手紙だから除外するとして、トリアンフやコルドーニ、プレシーモは見込みの無いことに精を出していたなとエスピラは手紙を閉じた。


 ぱっと見で内容が違ったクロッチェとパーヴィアのモノはそれ以上は読まない。


 分かるように隠していたとはいえ、あまり読むべきものでは無いだろう。


「さて」


 小さく呟くと、エスピラはやや柄の大きく細い剣に差し替え、ペリースも変え、幼い頃の自身に一応割り当てられていた子供部屋から外へと出た。


 いつもより夜闇に紛れやすいペリースに身を包み、堂々と、それでいて静かに、無音でアレッシアの外れへと進む。目的地は幼少期の最も多くの時間を過ごした場所。


 アレッシアの夜は静かなのだ。火を焚くのにも金がかかり、晩餐会やその後の酒宴でもしない限りは煌煌と明かりをともすことは無い。大抵の平民は日暮れと共に眠りにつく。


 そのような事情もあり、エスピラは誰に見つかることも無く森の前に止まっている馬車までたどり着いた。


 耳を肌を鼻を頼り、気配を探る。


 近くに人はいない。御者が恐らく一人だけ。


 エスピラは御者の座っている場所を遠くから確認すると、馬車を挟むようにして静かに近づいて行った。振り向いても確認できず、立ち上がればすぐに短剣を投げられるように柄に手をかけて。


 そうして背後に近づくと、布を取り出した。両手で端を持って跳び上がる。着地と同時に御者の口に布を噛ませた。

 ふごふご言う御者を、布を引っ張ることで黙らせる。


「声を上げるな。首を動かして応えろ」


 こくこくこくこく、と高速で御者が頭を動かした。


「運んだのはトリアンフ・セルクラウスか?」

 首が縦に。


「一人か?」

 次は横。


「護衛が一人?」

 横。


「二人?」

 縦。


「護衛以外に人はいたか?」

 横。


 エスピラは布を外すと、左手で首の根元を抑えて座らせたままにした。

 御者が振り返ることも許さない。


「誰に会いに行ったか、知っているか?」

「し、知りません。ただ、甘い酒の匂いがしたので女性かと。贈り物も持っておりました。何度か見たことがあります。懇意にしている女性に夜半に会いに行く時は、いつもそのようないでたちでしたので」


 震える声で御者が言った。急流を思わせるような早口である。


「相手を、知っているか?」

「知りません!」


 早すぎる返答。

 エスピラは短剣を抜き、御者の首に当てた。


「知りませんか、言えませんか。今なら許そう」

「し……知りません……」


 短剣を動かす。動脈が切れ、血が噴き出した。


「仕える人を間違ったな」


 エスピラは馬を留め、御者を荷台に放り込む。馬が落ち着いていることを確認してから馬車から離れた。


 短剣を振り、血を拭って森に入る。

 目を瞑っても歩けると言っても過言では森の道を歩み、住み慣れた小屋を見つけた。


(知らない訳が無いんだよ)


 この家が誰の家か。セルクラウスの従者なら知らないはずは無いのだから。


 月明かりの無い夜だからこそ小屋から光が漏れているのが分かる。

 人の気配は一つ。草むらの陰。

 エスピラはペリースの下で先ほどとは違う短剣を抜いた。


 左手に短剣を持ったまま、小屋の中を窺うかのように草むらに近づく。時に直線で、時に離れつつ。草むらに意識をしていないようでいて、その実正確な位置を探って。


 呼吸。草の音。微風に揺れる中での小さな異質。


 そう言ったもので場所を割り出し、剣を持って仕掛けるには遠く、我慢し続けるには限界に近い距離に到達するとペリースの下から素早く短剣を投擲した。長剣も抜く。走る。微かなうめき声。大きな動き。影。

 男が見えると同時に、エスピラは男の胸に剣を突き刺した。


 蹴り飛ばし、口から剣を馳走する。


 強張った手を動かしている男に膝を埋め、それから先ほど投げた短剣を引き抜いた。


 こめかみ、両目と短剣で突き刺してから横に蹴り倒す。

 静かに処理すると、エスピラは長剣を仕舞い、短剣を左手に隠したまま小屋に近づいた。扉を開ける。


 真っ先に目に入ったのは紫の光。口元まで飛び散った血で濡らしているメルア。服も血に塗れている。


 そして、何かを呻いているトリアンフ。地べたを這い、紫色の唇がわなないている。扉の傍には傷跡の無い男。ただ、すでに死んでいるのか、うつ伏せにも関わらず呼吸では胴体が動いて無かった。


(助けを求められれば入る方と、ずっと見張っている方、か)


 随分と組織分けした夜這いだなと、エスピラは冷たく考えながらトリアンフの手を取った。


 トリアンフが不安と期待と恐怖の綯い交ぜとなった顔でエスピラを見上げる。


「まだ生きる希望はありますか?」


 問いかけて、エスピラはオーラを発動した。

 緑のオーラが出る。包む。見る見るうちに毒素が消え、トリアンフの唇に肌に赤みが戻ってきた。


「ねえ」


 代わりに、機嫌が急降下したメルアの声と、短剣の鞘がエスピラに投げつけられる。

 エスピラは困ったように肩をすくめると、トリアンフに微笑みかけた。回復をしながら小さな壺を取り出す。


 中身は血止めだ。壺を見て顔を強張らせたトリアンフの目にも映る場所から塗る。

 劇的に止めるわけでは無いが、少なくとも毒ではないと理解してくれただろう。


「だから、私のメルアをエスピラにやったのか」


 トリアンフが呟いた。


 エスピラの短く切りそろえている爪が自身の掌底に刺さりかけ、ゆっくりと拳を元に戻す。


「そこまで理解してくれましたか。なら次は?」

「違う! 決して不純な目的で来たわけでは無い!」

「知っていますよ」


 言いながら、エスピラは傷の深い場所、危ない場所から血止めを塗っていく。


「貴方は既に負け方を考える段階。ですが、私へのとりなしを頼んだ相手の下には居ることを良しとは思わないでしょう。そうなると、タヴォラド様は無理。親しい中で一番手はコルドーニ様ですが、貴方が負けることで得る利益が大きくなった以上は怖い相手。他の支援者もそう。貴方の味方はほぼ全て私との和解で貴方以上に利益を得ますから。

 となると、もう数は限られていますよね。下に入らず、なおかつ私が耳を傾け、意見を取り入れそうでトリアンフ様の言いなりになりそうな相手。


 なるほど。メルアは、メルアのことを良く知らなければ良い相手ですよね」


「……ハメたな」


 エスピラは、とぼけた顔で肩をすくめた。


 トリアンフの顔に覇気が戻る。


 エスピラは立ち上がってすぐさまトリアンフの胸を蹴り飛ばした。硬音。トリアンフの頭と机の足がぶつかった。


「メルア。待たせてごめんね。でも、折角のプレゼントなんだからもっと楽しんでほしくて。ほら、毒も抜けて出血も少なくなったからもう少し遊べるよ」

「なにボッ!」


 言葉の途中で、トリアンフの背中にメルアの短剣が突き刺さった。

 振り返ったトリアンフの頬にも短剣が刺さる。


「トリアンフ様」


 エスピラはしゃがんでトリアンフと目を合わせた。

 声は常通り。状況にそぐわないほど凪いだもの。


「もう、分かりましたよね。タイリー様が何故闘技場をたくさん建てたのか。永世元老院議員の椅子や執政官を嫌がりながらも最高神祇官は手に入れたいと願い、手放さなかったのか。何故、私が神殿と仲良くなったのか。何故私に闘技場関連がそのまま渡されたのか」


 返答は、無い。


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