鍵、ティミド
「ティミド! 貴様、何をしているのか分かっているのか!」
トリアンフがすぐさま叫んだ。
ティミドの肩が大きく動く。目はこれまでにないほど高速で左右を行き来していた。
「落ち着いてください」
「ああ?」
エスピラの言葉にすぐトリアンフが噛みついてくる。
エスピラは溜息を吐くと、ペリースの下から剣を鞘ごと抜き取った。コルドーニの顔が固まる。マルテレスもそれは不味いと呟いている。トリアンフも腰に手をやった。
エスピラは、騒然とする聴衆を無視してトリアンフの目の前に剣を投げ捨てた。
トリアンフの目は投げ捨てられた剣へ。
「今回ティミド様を呼んだのは別にトリアンフ様に不利になる証拠を提示するためではありません。ただ、私の都合、そしてアレッシアのためになると考えて呼んだまで。まずは、アレッシアを騒がせている噂についてティミド様に語っていただきましょうか」
トリアンフが黙った間にエスピラは声を通した。
「すみません。噂と言うと、あれ、ですよね。私が兄上に頼んだと言う」
「ええ。それであっておりますよ」
コルドーニがトリアンフをなだめている間にエスピラは悠々と返した。
ティミドが両手を下で組んで、指を細かく動かす。
「父上の遺言で、エスピラ様が子である自分よりも良い位置に居ることにすみませんが思うことが無いわけではありません。恨めしくも思います。カルド島での出来事も、すみませんが、私は間違っていないと思っております」
トリアンフは勝ち誇ることなく、睨みつけるような視線をティミドに向け続けている。
普段のトリアンフ様ならこんな感じですぐに結論を出すことは無いのに、と思わないことも無い。
「それでも、エスピラ様の功績も本物ですし、メントレー様に功を譲っても良いと思っていたとはスーペル様から聞いております。処罰されそうだった私を庇ってくださったのもエスピラ様です。すみません。こういうことを言いたくは無いのですが、兄上たちは誰も庇ってくれなかった。それなのに、エスピラ様だけが元老院に反対してまで庇ってくださいました。今の私の処分に不服を示してくれたのもエスピラ様だけです。
すみませんが、そんな私がエスピラ様を訴えることを提案する利点はありません。トリアンフの兄上に頼んでエスピラ様を排除しても、すみませんがその後で私が排除される未来しか見えません。
とは言え、すみませんが、信じてもらえないことは理解しております。ですので、その、私もフィルフィアの兄上のように父上から受け継いだ全財産を国庫に納めます。遺言でいただいた土地も国に委ねます。被庇護者、奴隷につきましても父上の遺言に従い、後継者たるタヴォラドの兄上のおっしゃる通りに致します」
最後に、ティミドが慌てて頭を下げた。
すぐに頭を上げると同時に傍聴席にいるタヴォラドを探して、また慌ただしく頭を下げている。
「シニストラ、グライオ、イフェメラ。聞いたか?」
エスピラは、今日の裁判も見に来ていた三人に声を掛けた。
三人の三様な顔がエスピラに向けられる。
「私を思い、国を思っての行動、誠に痛み入る。君たちには本当に感謝してもしきれないよ。だが、アレッシアの栄光のためにはティミド様の力は必要だ。不幸な行き違いがあったのも、私の力不足で対立を招いたのも重々承知している。
その上で言わせてもらえるのなら、ティミド様にもう一度チャンスを上げてはもらえないだろうか」
エスピラは表情にも緩急をつけて、三人だけではなく聴衆全てに訴えた。
「構いません」
とグライオが言えば、シニストラも「エスピラ様が言うのであれば」と口をもごもごさせたまま言ってくれる。
「お言葉ですが! エスピラ様。ティミド様が言った言葉が撤回されるわけではありません。謝罪も結局一度もしていないではありませんか!」
されど、イフェメラはなおもティミドを断罪した。
エスピラもイフェメラの言葉には頷いて同意を示す。
「その通りだ。そこの落とし前は必要だろう」
言いながら、エスピラはティミドの肩に手を置いた。ティミドが震える。エスピラはティミドを押さえつけるように肩を押した。
ティミドが、膝を着く。
「だが、イフェメラ。君は今更ティミドの言葉を信じられるのか?」
「いえ、それは……」
「私も信じられない。近くになど置いておきたくない。ましてや兵の士気にかかわるところになど絶対に配置できない。
それでもだ。
ティミドの管理能力は優秀だ。これからマールバラに対抗して二個軍団以上の軍団を動かすことがあるだろう。その時にこそティミドの能力は役に立つ。食糧の管理、軍資金の管理。その二点においてティミド以上の者はそうはいない。優秀さは、イフェメラも、マルテレスも実感しただろう? ティミドをエクラートンに置いて行った後、どれだけ仕事が増えた? 今度はあれよりも多くなるのだ。
だからこそ、これからの働きでアレッシアのためになると示してもらおうではないか。ティミドが見下した者たちの腹を、懐を、その働きで満たしてもらおうではないか。
言葉などよりもそちらの方が十分に伝わるだろう?
受け継いだものを国に返還し、今日までの蟄居もし、財務官の記録も一年分抹消されたのだ。言葉代わりの担保としては十分すぎるとは思わないか?」
イフェメラの眉間に皺が寄った。
睨んでいる先はティミド。
「…………かしこまりました」
不承不承だとありありと分かるが、それでも返事をしてイフェメラは再び座った。
エスピラは優しい表情でイフェメラに頷くと、聴衆の中からスーペル・タルキウスを探し出す。
「スーペル様。勝手に進めて申し訳ありません。されど、ティミド様を訴えた人物の中で貴方が最もアレッシアにとっての発言権を有しております。どうか、説得の順番に御理解いただければ幸いです」
「元々、アレッシアを割りかねないことには反対でしたから」
スーペルがぼそりとした声で了承の意味する言葉を出した。
エスピラは満足気に頷いて、次いで聴衆に紛れている元老院議員やそれに近い者にベクトルを移す。
「最後になりますが、ここにきている方々に、名門ウェラテヌスの当主として一つ頼みがあります。もう言わなくてもお分かりかと思いますが、ティミド様の処分の解除です。
正直に言います。これだけの人材を遊ばせている余裕は今のアレッシアにはありません。もちろん、クズみたいに国を割りかねない裁判をしている余裕も同時にありません。雷神が大笑いしているでしょう。
ですから、私もティミド様の処分が解けるのであれば私が起こした訴訟の全てを取り下げましょう。その愚かさを、考えなしに動けばどういう事態を招くのかを理解していただければ十分な訳ですから。
如何でしょうか」
エスピラは左手を聴衆に向けかけて、ああ、とわざとらしく手を戻した。
「ティミドがまた何かをした場合は、ウェラテヌスが落とし前をつけましょう。運命の女神に誓ってこれを誓います。もちろん、ティミドが人を指揮する立場にならない限り、ではありますが。今の状態で上に就けるのはアレッシアのためになりませんから」
言い切ると返事を待たずにエスピラはトリアンフに向いた。
人の好い笑みを作り、意地悪く口を開く。
「すみません。これこそ盛大な論点のすり替えを行ってしまいました。いやはや失敬失敬。それでは、『セルクラウス』による『ウェラテヌスへの糾弾』を続けましょうか?」
トリアンフに味方などいない。いるはずが無い。
ともすれば、トリアンフは自分を頼ってきたティミドを、弟を守れなかったと言うことになるのだ。弟を守ったのはウェラテヌス。義弟のエスピラ。
トリアンフは信を失い、エスピラは嫌いだと言いつつも能力をかって元老院に睨まれかねない『ティミドの処分を解くことを訴える』ことをやってのけた。
どちらが信用できるか。言わずもがな。
加えて、コルドーニの妻も、エスピラが訴えを取り下げると言った訴訟に入っている。
コルドーニの徹底抗戦以外の言葉は、『自分のため』『妻の訴訟を取り下げるため』と言う風に聞こえなくも無いのだ。
これまでのような諫めはできなくなる。トリアンフが好きなようにやれば共倒れ。本当に味方を守らない者に堕ちるのだ。
「閉廷だ。閉廷してくれて構わない。言いたいことは言った。後は、またその内」
空気感と言うモノもある。
今続けるのは得策ではないとトリアンフも判断できたのだろう。
「では、そうしましょうか」
言って、エスピラはトリアンフに右手のひらを向けた。
トリアンフが睨んでくる。
エスピラは、トリアンフの足元の剣を見て、顔を動かした。トリアンフの顔が下りる。トリアンフが鼻筋をひくつかせてから剣を拾い、乱暴にエスピラの手に押し付けた。
「どうも」
エスピラは剣を受け取ると、腰に差しなおして法廷に背を向けた。
マルテレスがすぐに追いついてきて、少し歩けば壁に体を預けているサジェッツァにも会う。
「完璧だ。神の寵愛を受け、指導者に足るウェラテヌスと言う印象が確固たるものになっただろう。これで、私も動きやすくなった」
サジェッツァが小さな声で言う。
「こっちこそ悪いね。四個軍団を動かすのにティミド様は便利だから、元からそろそろ処分を解く予定だったんじゃないか?」
エスピラも小声で返した。
「構わない。これはこれで、良い解き方だ」
サジェッツァと頷き合うと、サジェッツァが背を向けて去って行った。
頑張れよ、とマルテレスが声を張り上げた後、エスピラの肩に手を回してくる。
「俺も連れてってくれないかな」
「リスク管理も必要だよ。凱旋行進の将軍と、第一功の持ち主。両方が失敗するわけにはいかないだろ?」
エスピラはマルテレスの腰に手を回し、一度叩いてからサジェッツァとは別方向に歩き出した。




