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群がる人々

「お兄ちゃんさあ、すっかり話題の人だよね」


 我が物顔で奴隷に指示を出した後、中庭で足を伸ばしながらカリヨが言った。横にはカリヨの夫であるジュラメント・ティバリウス。


 この二人の間には昨年第一子である女の子が生まれたが、エスピラにはカリヨが母親だと言う実感は無かった。去年は忙しかったのだ。姪の顔をきちんと見ることができたのは今日が初めてだと言っても過言では無い。


「一人の男をめぐって姉妹が争う。自分のことを棚に置いておいて英雄を奪い合うのは傲慢なセルクラウスの血か、ってね。タイリー様が死んでから言いたい放題だよね」

「随分と脚色されているだろ」


 エスピラはエスピラの足元を見ながら戸惑っているジュラメントにリンゴ果汁を進めた。


 ジュラメントが小さく頷いて、ガラスのコップを受け取る。


「いやいや、これがね、メルアさんが本当に睨みたかったのはシジェロ・トリアヌスでは無いかって言っている人もいるんだよ。処女神の神殿で血を流すことは厳禁でしょ。そうなるとあと八年は手出しができない。だからこそ、睨むために姉を襲ったんじゃないかってね。

 ほら、お兄ちゃんが処女神の神殿にグライオ様を送り込んでからは何かとグライオ様がお兄ちゃんのところに来るじゃない。それもメルアさんのためにシジェロ様から距離を取ろうとしているんじゃないかってわけ」


「よく考えているな」

「他人事だねえ」

「所詮は噂。私がメルア以外と寝ると思っているのか?」

「もう必要ないか」


 凱旋行進の将軍で、ウェラテヌスとしても大分復活を印象付けられた上にタイリーからタヴォラドに次ぐ後継者候補に指名されたも同然なのだから。


 実際の力は別として、名声としてはしたくない手を打ってまで獲得する段階ではない。


「ジュラメント。どうかしたか?」


 エスピラは、一回も会話に参加してこなかった義弟に話を向けた。


「あー、と、エスピラ様もカリヨも、何故気にしないのかなと思ってしまいまして……」


 ジュラメントがエスピラの足元に目を落とした。カリヨも続く。ただ、カリヨの場合は頬が緩んでいた。


「乳母たちにけしかけられたらしくてね。朝からずっとこの調子だよ」


 言って、エスピラは両足にくっついているクイリッタとユリアンナに優しい目を向けた。


 パン配りを終え、マシディリと書物を読んでいる時に乳母がエスピラの足に置いて行ったのだ。その時から、二人の子はお菓子や水を飲む時、お手洗いに行く時だけ離れて、その後すぐにエスピラの足へとことこと戻ってきている。


「随分と仲が良いですね」

「マシディリにエリポス語を教え始めたからな。ただでさえ裁判で家にいないのに、居る時も長男だけに構っているのは良くないと言われてしまってね」


「早いですね」

「お兄ちゃんは二つの言葉を扱えるだけじゃ満足しないから」


 カリヨがジュラメントに参考にしない方が良いよ、と言わんばかりに手を振っている。


「教えていると言ってもマシディリが読んでくれたものをエリポス語で私が言うだけだ。本格的なモノではない」


 息子を膝の上にのせてのひと時はエスピラにとっても癒しの時間なのだ。勉強はおまけ。今後も考えて、少し早めに教えているだけに過ぎない。


「でも、家庭教師になる奴隷を見繕っているんでしょ?」

「ああ。セルクラウスに居た、優秀な教師だ」


 もちろん、ウェラテヌスに居た家庭教師の奴隷も探したり買い取ったりはしている。これに関しては、元手をメルアが継いだタイリーの遺産から出させてもらった。


 もちろん、メルアに許可をもらって。


「セルクラウスと言えば」

 と口にして、ジュラメントが言葉を濁らせた。目線はエスピラの足元。エスピラの足に抱き着いているクイリッタとユリアンナ。


「父は大事な話をするから離れてもらっても良いかな」


 エスピラはユリアンナに手を伸ばした。長女は、聞き分けよく手を離してくれ、大人しく引き取りに来た乳母へと抱かれる。


 対して次男はしがみついたまま。


 脇の下を掴んで持ち上げようとするが、エスピラの膝に噛みつくように堪えている。


 エスピラとしては此処で諦めても良いが、すると素直に従ったユリアンナに悪影響が出かねない。


(どうするかな)


 少し迷って、エスピラは乳母の胸でうとうとしているユリアンナを見た。


「ユリアンナ。マシディリと一緒に父上が果物を食べても良いと言っていたと母上に伝えてきてもらえるか?」

「はい」

 と、舌足らずな声でユリアンナが答える。


「許可が下りれば二人で好きな物を食べなさい」


「ずるい」

 次に反応したのはクイリッタ。


 エスピラは、よだれを衣服につけるクイリッタに優しい視線を向けた。


「父から離れないと食べられないよ」

「ずるい」


「ずるくない。ユリアンナは言うことを聞いてくれたから当然だよ」

「あにうえはきいてない」


「兄上は抱き着いたまま離れ無くなったりしないよ」

「ちちうえはあにうえのほうがすきなんだ」

「誰がそんなことを言っていたの?」


 エスピラが上に引っ張ると、今度は簡単にクイリッタが離れた。

 そのまま抱っこし、エスピラはクイリッタの背を撫でる。


「クイリッタ?」


 クイリッタは黙ったまま、エスピラの首元に顔をくっつけた。

 メルアだったら噛みついてくるような動きである。


「みんな父と母上の子だよ。誰か一人だけを好きになれだなんて、酷いことを言わないでくれないか?」


 エスピラは立ち上がり、揺らしながら乳母にクイリッタを預けた。

 クイリッタは離れてくれるが、エスピラの衣服を軽く握ったままである。


「あとで一緒に遊ぼうな」


 幼子のふわふわの髪を撫でる。


「……ゆびわ」

「そうだね。完成したらまた一緒に行こうか」


 クイリッタが頬を膨らませながらも頷いた。

 エスピラはユリアンナの頭も撫でてから、乳母たちに子供たちを任せる。


「クイリッタはメルアさん似かな。マシディリはお兄ちゃんに似ているけどね」


 カリヨが去っていくユリアンナと手を振りあいながら呟いた。

 ジュラメントがマシディリのことに関しては同意する。ただ、クイリッタとメルアに関しては何も言わなかった。


「時間がかかってすまないな。で、セルクラウスがどうかしたか?」


 エスピラは中庭の椅子に座り直し、ジュラメントに聞いた。


「あ、はい。裁判での勝利はほぼ間違いないと聞きまして。今日お持ちした瓶はそのお祝いです」


 瓶の中身はそれぞれリンゴ酒と魚醤に漬けた白身魚であった。他にも、ドライフルーツもたくさん。


 どうやら、奴隷なども含めた家族内での消費でも晩餐会用にも使えるようにとの量らしい。


「たくさんのお祝い嬉しいよ。晩餐会を開くだけの時間が用意されているかは分からないのが申し訳ないくらいにね」


 裁判でも絶対に勝てる、と言う訳では無いと言うのがエスピラの心情だが、言う必要は無い。

 ただ、絶対に勝てるような準備をしなくてはならないと思うには十分であった。


「時間が用意されていない、と言うのはマールバラですか?」


 ジュラメントが粘土板を取り出した。


「それもあるが、どちらかと言うと無断で私に協力してくる人たちの方とも言えるな」


 エスピラは粘土板を受け取った。


 ジュラメントが収集してくれた半島南部の状況が書かれている粘土板である。どの都市がどれくらいアレッシアに踏みとどまる人がいて、ハフモニに心が揺れている人が居るのか。馬や食糧はどれくらい残っているのか。捕虜となった者は何人帰ってきているのか。


 そう言ったことが書かれている。


「協力者が多いとは聞いていますが、そこまで多いのですか? 凱旋行進の時と同じ要領で準備すればさほど時間はかからないと思うのですが」


 ジュラメントが聞いてくる。


「なぜ奴らが群がってきたのか。それが問題さ」


 ジュラメントが僅かに眉を寄せた。


 カリヨが頼んでいた物を持ってきた奴隷から紅茶を直接受け取り、ドライフルーツを落としていく。残りは脇に置いてある机の上に。


「ウェラテヌスの名声ですか?」


 ジュラメントが言う。


「それもあるだろうな。凱旋行進をわざわざ執り行ったんだ。民衆からの指示を集められ、かつ勘違いしない人だと思われていてもおかしくは無い。だが、グエッラ様などの平民、新貴族は兎も角貴族までも私に味方する理由には薄いよ」


 エスピラも紅茶を受け取り、ドライフルーツをコップに落とした。

 最後にジュラメントが同様にドライフルーツを紅茶に落とす。


「お兄ちゃんさ、今ぐらい簡単に答えを言ってくれても良いじゃん」

「ティバリウス一門であるとは言え、義弟である以上は失礼かもしれないが育てるような行動も必要だろ? ジュラメントにとっても、これから本格的に高官になろうと思うなら必要なことだしな」


 気分を害したのなら申し訳ない、とエスピラはジュラメントに対して続ける。


「いえ。お心遣いありがとうございます」


 ジュラメントの立場ならそう言うしかないよな、と言いかけて、エスピラは口を噤んだ。


 タイリーから似たようなことを言われて、返答に窮することは良くあったことである。言うべきことでは無いだろう。


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