第7話
前を行く尋問官にリクトは後に続く。牢獄を出て下水道を進んでいる。灯りは尋問官が持つランタンのみで、足元は暗闇で見えない。
隣には何を垂れ流られたわからない臭いを放つ濁った水が淀んでいる。その水には『何か』が沈んでいるようで、ランタンの光が水面に影を作っていた。ネズミすら存在しないような、生命を感じることができない場所。
あまりに酷い環境に、リクトは口と鼻を押さえ、顔を歪ませていた。尋問官はリクトに反抗の意思がないと思っているのか、リクトに手枷も何もつけていない。リクトを侮っているのか、賢い人間だと評価しているのか、判断はつかなかった。
尋問官は下水道の脇にある鉄格子の前で足を止める。そして、開錠して先に行くように促してきた。
「ここです。この先でお前を待っている人物がいます。頑張って来てくださいね」
リクトが鉄格子を覗くと、遠く小さな光が見える。外に続いているのか、別の部屋に出るのかわからないが、現在よりマシな場所に行けるのは間違いない。
「わかった。その人物が新設される部隊の説明をしてくれる……ということか」
「理解が早くて助かります」
ランタンで照らされた尋問官の笑顔が陰影がはっきりと映し出されて、やけに不気味に見えた。
リクトは頷き扉をくぐると、尋問官はすぐに扉を施錠した。もう、リクトは後に引くことができない。もともと後戻りのできない状況だったので、何も変わってはいなかった。不安を抱きながら、遠くにある光に向けて歩き出す。歩いていると、後ろからランタンの灯りが無くなる。尋問官もこの場所を去ったことが分かった。
下水道から出ると白い世界が広がり、あまりの明るさにリクトは目を細める。明るさに慣れてようやく目を開くと、目の前につなぎを着た腰の曲がった老人がいることに気付く。ハゲ上がった頭に白髪、くすんだ茶色の目をしたその老人がこちらを見つめていた。
「よく来たな。儂のマナ人間研究機関へ。貴様が派遣された人間じゃな? いや、ここに来る人間はそれ以外ありえんからな、そうじゃろう。おい、説明があるからこっちゃこい」
老人は一方的にまくし立てると、背を向けて黒板に向けて歩き始めた。老人が口にしたマナ人間研究機関は、下水道と直接つながっている部屋らしく、岩造りの壁に覆われている。
中央に置かれた6人掛けのテーブルの他は棚と黒板、他の部屋に繋がる木製の扉があった。棚には色とりどりの液体の入ったガラス製の容器が置かれており、その中にはリクトの知らない物体が浮かんでいた。その他、成人女性のものだと思われる手と足まで無造作に収納されていおり、異様な雰囲気が漂う。用途のわからない品々は、リクトの目にはやけに不気味に映った。
黒板にはリクトの理解できない文字のような数字のようなものが走り書きされている。それはただ文字が汚いだけであって、清書されれば理解できるかもしれないし、できないかもしれない。
ここはリクトが今まで生きてきた世界とは全く別の世界だった。
「何をしているんじゃ、はよこっちゃこんか! 時間は有限というのに、そんなにグズグズしていては無為に過ぎていってしまうじゃろ。これからが大切じゃと言うのに……」
老人はいつしか黒板の前に立っており、リクトを睨みイライラししているようで、腕を組み指を何度も叩いていた。何も言えないままにリクトは、老人の言うがままに近くのテーブルへ移動する。
「そこに座れ。全く、本当に役に立つのかのぉ。じゃが、役立ってもらわんと困るからのう、今後の活躍に期待するか」
リクトが椅子に腰かけると、老人は背を向けて黒板に書いてある文字を消していく。この老人が何を考えているのか、リクトには今一わからなかった。
「よし、じゃあ、説明を始めるかの。あーなんじゃったかのぉ……貴様、貴様だ貴様。名前は何だったか?」
「リクトです」
「あーあー、そうじゃったなぁ。リクトじゃった。その、リクトととやら、貴様はどうしてここにいる? いや、ここにいるということは、アレじゃろうなぁ」
老人の喋る内容に具体性がなく、何を言いたいのかリクトに伝わってこない。今もぶつぶつと喋っている老人に、リクトは質問を投げかける。
「ここはどこなんですか? マナ人間……? 研究機関とか言ってたけど……」
「そんなことも知らんじゃと? 何と嘆かわしいことじゃ。ここは、戦争新たに投入される試験型マナ重機の開発と、戦闘に特化した改造マナ人間の精製を行う研究所じゃよ」
試験型マナ重機、改造マナ人間。聞いたことのない単語にリクトは面食らってしまう。言葉から想像するなら、今までにないものを作っているのだろうが、詳細は全くわからない。
「ん? その様子じゃと、何も知らんようじゃな。もしかして、マナ人間のこともろくに知らぬのでは?」
眉間に皺を寄せているリクトを見て、老人は大げさに手を広げて、大げさに驚いてみせた。その小馬鹿にした態度に腹が立つが、事実、マナ人間のことを知っているとは言いにくい。
「まあいいじゃろう。特別に儂が説明してやろう。貴様でもこの城から木が生えていることぐらい知っておるじゃろ?」
リクトはこの城に初めてやって来た時のことを思いだす。たしか、兵士から『マナの大樹』であることを教えてもらっていた。その程度しかリクトは知らない。
「あのマナの大樹じゃがな、毎日実を落とすのじゃよ。ほれ、貴様の後ろの棚を見ろ」
リクトが振り向くと木の実の欠片が棚にしまわれているのが分かる。欠片でも相当な大きさがあり、その木の実は人間1人程度の大きさであることが推察できる。
「この木の実にマナ人間の素が入っておるのじゃ。その取り出した素を精製することで、マナ人間が生産される。つまり、マナ人間は大樹から生まれる人形であって、人間とは致命的に異なる存在じゃ。言ってしまえば、いくらでも替えの効く使い捨ての道具じゃな」
だから、マナ人間は人間ではない。人間に利用される道具。人間より卑下されるべき存在。それはリクトも十分承知していることだった。けれど、リクトはマナ人間と深く関わったことがあるわけではない。本当にそんな存在であるのか、いまいちピンとこなかった。
「マナ人間の精製には3日かかるんじゃ。その状態ですでに成人しておってな、それ以上成長することはないのじゃ。その時点ですでに多くの知識を得ておってな、マナ重機の操縦もできるんじゃよ。これは、マナ人間が群体の1種で、知識を共有しているのではないかという学説もあり、個々人の自我が薄弱なのも有力な証拠じゃと言われておる。そして、生まれてくる個体全てが雌なのじゃよ。これはマナの大樹が雄の因子を持たないからじゃと、儂は考えておる。そもそも、色素が人間より――」
「ああ! もういいです!」
放っておいたらいつまでも喋り続けそうな老人の言葉を遮って、リクトは叫んでいた。意味の分からない事ばかり言っているのもそうだが、マナ人間を実験動物程度のものとして扱う老人の態度もリクトは気に入らなかった。
「ふむ、そうじゃな。貴様には理解できない話じゃったな。次はマナ重機の説明でもしてやるかの。ついてこい」
リクトのことを気にする様子もなく、腰の曲がった老人は木製の扉を開けて1人だけで出ていってしまう。大きく溜息を吐くと、リクトも椅子から立ち上がる。だが、過酷な尋問を受けていたせいか、力が入らずによろけてしまう。テーブルに手をついて、倒れるのを我慢すると、老人の後について棚ばかりの部屋から出ていった。