第4話
見上げなければ全容を掴めない程高い城門が開き、リクトは城内へと入っていく。
城内も天井が高く、豪華なシャンデリアが飾られている。よく磨き上げた大理石の床は、リクトの姿を映し出している。廊下の端にはエプロンドレスを身につけた侍女が頭を下げていた。
クライムリル城塞で着替えさせられた薄汚れた麻の服は、この王城内においては悪い意味でよく目立つ。木製の手枷をつけたままの姿は、連れてこられた奴隷より酷く見えたかもしれない。
みすぼらしい姿とは不釣り合いな城内を兵士が先導していく。それも途中までで、上質の服を着て腰に剣を帯びた兵士に代わる。
「あの……僕はどこへ――」
「黙っていろ」
さらに進むと、床には赤い絨毯が敷かれるようになった。今まで味わったことのない柔らかな感触に、自分の足で歩いてるのかわからなくなる。
先導されるがままに進むと、十分広かった廊下から、さらに広い広間へとやって来た。
天井には廊下にある物よりさらに巨大なシャンデリアが飾られ、広間は眩い程に明るい。村で一番大きな家より圧倒的に広いこの部屋は、さらに階段が続いておりその先が見通せない。その階段の隅には従者が並び、物々しい雰囲気を感じさせる。
ここまで来て、先導していた兵士がリクトの背後へ来ると、剣の柄で背中を殴打する。突然のことに姿勢を崩したリクトを、兵士が片手で抑え込み、床に顔が付きそうなほど跪かせた。
「私には何故貴様のような下賎の輩に陛下がお会いになるか理解できん。だが、貴様の一生でこのような光栄に与れることは2度とないことを胸に刻んでおけ」
心底侮蔑した様子の兵士はそう言い捨てた。この兵士が何を言っているのか、最初は理解できなかったが、その理由はすぐに分かった。
「国王、クリオリス・デオ・マーリナス陛下、ご入場!」
跪いたリクトからは見えない階段の上、色取り取りの宝石が散りばめらた深紅の玉座が備え付けられていた。その玉座のさらに奥にある階段から、人影が下りてくる。国王であるクリオリスが深紅の玉座に腰を下ろした。
兵士はリクトの頭を押さえつけ、額を床に擦り付けてきた。
クリオリスは肘掛に右肘を突き、体重を預ける。金の刺繍の入った青いローブを身につけ、ウェーブのかかった長い白い髪をしたその姿は、一国の王に相応しい姿であった。
この広間にいる人はすべからく頭を下げており、クリオリスの頭より高いものは天井以外存在しない。
「面を上げよ」
クリオリスの低いが丸みのある声が、広間に行き届く。
兵士は押さえつけていたリクトの頭を、強引に引き上げた。髪を引っ張られる痛みで、リクトは顔を上げるしかない。
「名はリクト、姓はなし、歳は16。カルボゲムマ公爵領の片田舎、ハジクシミ生まれ。お前が偽造手形を使ったスパイ容疑者か……」
クリオリスは眉を顰めながら、従者から受け取った用紙を読み上げた。
「滅相もありません! 僕はスパイなんかじゃ――」
「黙れ! 貴様に発言権はない! 王の御前なのだぞ!」
髪を引っ張られ強引に頭を上げていた状態だったが、急にその頭を押さえつけ、床へ擦り付けられた。痛みを感じるより、自由にならない事への憤りを感じた。
「いくら帝国領に近いカルボゲムマより来たとはいえ、偽造手形の使用だけでスパイを疑うのは、少々度が過ぎるのではないか?」
「いえ、国王陛下。物証には弱いのですが、この者、怪しげな物品を所持しておりました」
怪しげな物品。つまり、村のみんなが作った工芸品を指している。その程度のことはリクトにでも理解できた。頭部を押さえつけられており、声を上げようにも、口がろくに動かない。自分の思い通りにならないことに、憤りが募っていく。
「であれど、明確なスパイである証拠はなかったのだな?」
「は、はい」
リクトを押さえつける兵士が小さな声で答えていた。何もできないリクトはじっと我慢するしかない。
「そのような曖昧な理由で前途ある若者をスパイ呼びをするのは少々忍びない」
「し、しかし!」
国王の言葉に、リクトを押さえつける兵士が狼狽える。押さえつける力が弱まったのを見逃さず、すかさず頭を上げる。
「お前のスパイ容疑は余の名において撤回しよう」
「あ、ありがとうございます!」
「おい! 誰が発言を許可した――」
「よい」
兵士がリクトの発言を取り下げようとすると、クリオリスは手をかざし兵士の動きを止める。リクトは這いつくばりながらも、クリオリスの顔を見ようと顔を上げる。だが、距離があったために顔を見ることは叶わなかった。
「余ができるのは、スパイ容疑を否認ことまでだ。お前が偽造手形を使ったという事実を覆すことはできん」
今だ罪状は残るものの、スパイ容疑の否認という恩赦を受けられたことに、リクトは心から感謝し、自ら頭を下げる。そんな様子が面白くないのか、兵士は再び強く頭を押さえてきた。
「偽造手形については公正な裁判を受けよ。無実だと言うのであれば、そこで無罪を証明してみせろ」
クリオリスは言うべきことは言ったとい感じで、ゆっくりと玉座から立ち上がる。ひれ伏すリクトに視線を送ることなく、玉座の横にある階段を上っていく。
「国王、クリオリス・デオ・マーリナス陛下、ご退出!」
その声を合図に跪いていた従者は立ち上がり、視線をリクトへ向けてくる。そんな中、リクトは髪を引っ張られて、立ち上がらせられた。
その痛さに呻くが、兵士は気にすることもない。兵士はリクトを引っ張って広間から退出した。
広間から出ると、兵士は投げ捨てるようにリクトを開放した。その手荒さに、リクトは奥歯を噛みながら睨みつけるも、兵士は何も気にすることなく平然としていた。
「おい、誰かいないか」
兵士が声を上げると、すぐさま別の兵士が駆け寄ってくる。その兵士は最初に城へ先導してくれた兵士と同じ格好をしていた。剣を帯びた兵士より、いくらか位が低いのだろう。
「こいつを、地下室へ連れていけ。これから尋問が行われるはずだ」
「はっ! 承知しました」
呼びつけられた兵士はリクトの前までやって来ると、汚いものでもを見るように、露骨なほど嫌な顔をした。
「おい、ついてこい」
兵士は反転すると、そのまま歩き出す。
無防備な背中を見せる兵士に、リクトは今までの憤りをぶつけようかと身構える。しかし、王城の中では、無意味であることに気付いて、兵士の後に続いた。
今度は城に入ってきた時と逆で、絨毯から、大理石、石造りの床と、床も内装も貧相になっていく。先に進むと表面がでこぼこな石の床になり、飾りっけは全くなくなった。兵士は頑丈そうな木の扉の前に立つと、ガチャリと鍵を解除する。
「先に入れ」
開かれた扉の奥は暗く、何があるのかわからない。リクトは兵士に促されるままに、扉の中へと入っていく。
そこは灯りがほとんどなく、ひんやりとした風がリクトを撫でる。足を踏み入れ、少し歩こうとしたが、床が無くなっていることに気付いた。
暗くてよく見えなかったが、どうやら階段が壁伝いに並んでおり、螺旋状に下へと続いているようだ。足場が狭いせいで、もう1歩踏み出していたら、暗い底に落ちていたことだろう。下をのぞき込むが、階段は長く、底は見えない。
「何やってんだよ、早く進め」
兵士は立ち止まったリクトを蹴りつけてくる。再び姿勢を崩すが、なんとか踏みとどまった。
「あーあ、最悪だぜ。なんで俺がこんなことしなくちゃいけないんだよ」
扉をくぐった瞬間、兵士の態度が一変する。今まで体裁を整えていたが、ここに来て本性を現したようだ。
「ここはどこなんですか?」
「いいから進め。嫌でも分かる」
兵士の態度に不満を持ちながらも、リクトは一歩一歩確かめながら、階段を下りていく。随分と長く階段を下りていたが、やがて床に到着する。
「止まってんじゃねーよ! 先に進め!」
兵士に追い立てられ、暗いながらも、先へ続く通路を進む。
ぴちょん。ぴちょんと、どこからか、水が滴る音が聞こえてくる。ひんやりとしていた風は、気づけば冷たくなっていた。錆びた鉄のような臭いが強くなり、リクトは顔を歪めた。
狭い通路を抜けると、そこには数多くの牢獄があった。
牢獄はレンガ造りの壁と床。入り口は鉄格子によって堅く閉じられている。日の光は入るわけはなく、壁に掛けられた小さなランタンしか灯りはない。
この牢獄はそれだけではない。もっと異質なのは、用途のわからない器具と、大きなテーブル。ただの牢獄というには、あまりにもイメージと異なる。
「どういうことなんですか!」
「貴様は何も知らずに付いてきてたのかよ!」
何が可笑しいのか、兵士はげらげらと声を上げて笑う。
「ここに入ってな。きっといい目に遭えるぜ」
兵士は鉄格子の扉を開けると、リクトに入れと命令してくる。
リクトは抵抗しようとすればできたが、そうしなかった。国王クリオリスが自らの罪を減らしてくれたのだ。それを思えば、事態をややこしくすることは得策ではない。リクトは屈辱に身を震えさせながらも、自分の意志で牢獄へ入っていく。
「ここで何をすればいい?」
「ん? 貴様は何もしなくていいぞ。ただ、黙っていればいいのさ」
リクトの間抜けな質問に、兵士は声を上げて笑う。兵士は牢獄に鍵をかけると、一歩退いた。
「これから尋問が行われる。まあ、頑張れ。何をどう頑張るのかは知らんがな!」
兵士はさらに声を上げて笑う。
リクトはその様子に手をぐっと握って、耐えていた。一通り笑った兵士は気分よさそうに、牢獄を後にした。そして、牢獄にはリクトひとりが残された。