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第1話

 カルボゲムマ公爵領。

 その僻地には、山に囲まれた集落がある。

 人口は100に満たないそれは、特別な産業があるわけでなく、貧しい暮らしを送っている。それでも、他地域との交流があり、多少の交易もあった。

 自給自足が精一杯で、上納金も僅かであった。領主ですらその存在を忘れるような農村、ハジクシミ。

 その村に存続の危機が訪れていた。

 夏が過ぎ、秋を迎え、冬の支度を始めなくてはならない時期になった。だが、稀に見る凶作により、越冬が難しくなっていた。




「……ト、リクト。起きて、もう朝よ」


 体を優しく揺さぶられ、リクトは目を開ける。まだハッキリとしない頭で顔を上げると、少女が覗き込んでいるのが分かった。手入れの行き届いたブロンドの長い髪が、少しリクトの顔にかかっている。彼女の黒色の瞳がじっとこちらを見つめていた。目を開けたことを少女は少し微笑んでから顔を上げた。


「おはよう、ハルカ」


 ハルカと呼ばれた少女はリクトの幼馴染で、稀に起こしに来ることがあった。リクトは身体を起こすと、固いベッドによって凝っていた身体を伸ばした。布団から抜け出し、ベッドから降りる。


「おはよう。今日は珍しくお寝坊さんだったわね」


 白い麻の服に、茶色のエプロンを身につけたハルカは、冗談を言ったように、朗らかな笑顔をして見せた。そんな彼女の笑顔につられて、リクトも笑顔を浮かべた。


「今日は出発の日よ。昨日は緊張して眠れなかったの?」


 訊ねてくるハルカを横に、リクトが立ち上がる。2人が並ぶと、頭1つくらいの身長差があった。歳は近くとも、これだけの違いがある。


「そうかもしれない。いつものように眠ったつもりだったけど」


 リクトの答えを聞く前から、ハルカは台所へ移動していた。

 この木製の家は1室しかなく、寝床と台所が1つになっている。台所にはベッドとテーブル程度しかない。天井には薬草や羊の肉などがぶら下がっている。乾燥させるて長期保管をするためだ。

 リクト1人で生活するなら、不自由はない。むしろ、広いくらいだった。


「朝食の準備はしてあるから、ちゃんと食べてね」


 ハルカの元気な声が聞こえてくる。

 台所からスープのいい香りが漂って来る。それでようやくお腹が空いていることに気付いた。リクトはテーブルへと近づく。そのそばにある木製の椅子に腰を下ろした。


「どうぞ、召し上がれ」


 テーブルの上には、皿の上に乗ったトーストに簡単な野菜サラダ、木製の器には豆のスープが盛られている。その中からトーストを選んで手に取った。


「朝食まで用意してくれてたのか、ありがとう。いただきます」


 トーストを齧ると、程よい焦げ目が音を立てた。豆のスープは温かく、先ほど調理されたものだとわかる。スープをスプーンですくって口の中に入れる。

 その様子をニコニコとしながら、ハルカが見つめていた。

 用意された料理は、量が少ないもののどれも美味しく、すぐに平らげてしまった。


「ご馳走様」

「お粗末様でした。味はどうだった?」

「美味しいかった。ハルカはきっといいお嫁さんになる」

「何言ってるのよ。『きっと』じゃなくて『絶対』でしょ?」


 リクトの冗談にハルカも付き合ってくれる。

 空になった食器をハルカが片付けていく。その手際は慣れたもので、すぐにテーブルは綺麗になった。一通り片付けたハルカはエプロンを外して、椅子の背にかけていた。


「早く準備してよ。きっとみんな待ってるわ」


 ハルカの準備は終えおり、リクトを待っていた。

 着替えを済まし顔を洗う。準備は昨日のうちに終わらせているので、すぐに出発できるようになっていた。リクトは自分の身長ほどある荷物を背負った。荷物が重く、立ち上がるのに苦労したが、慣れれば問題なく歩けるようだった。

 ハルカに手を取られ、家の外に出る。

 家の外、広がる空は青く晴れ渡り、朝日がまぶしくてつい目を細めてしまう。辺りの風景は見なれたもので、畑と牧場しかない。遠くから家畜の鳴き声が聞こえてくる。


「こっち、こっち」


 ハルカに手を引かれ、村の中心に位置する井戸へと向かっていく。リクトの家は村の外れにあり、家々が集まってる中心地までは距離がある。道に沿って歩いて行くと、隣の家に差し掛かる。家の前で鶏を飼育しており騒がしく鳴いていた。


「今日が出発だったわねぇ。頑張っておいで」


 少し腰の曲がった老婆が声をかけてくる。隣に住んでいるということもあり、老婆にはいつも世話になっていた。鶏の産んだ卵をもらったこともあった。今日もこうして、声をかけてもらっている。


 さらに進むと、洗濯が終わったシーツを干している主婦とすれ違う。


「しっかり売ってきなよ。私たちも作るのを頑張ったんだからさ」


 エプロンを着用した少し太った主婦はリクトを見つけて声をかけてくれる。彼女は1人で暮らしているリクトへ、作り過ぎたパンを分けてくれていた。


 目的地に近づくと、道の脇が畑へと変わっていく。

 畑には鍬で耕す農夫がいた。健康的な白い歯を見せて笑顔を向けてくる。


「長い道程になるんだろ。まあ、お前くらい丈夫なら問題ないだろうけどな」


 農夫は鍬を肩に担ぎ、声をかけてきた。リクトは彼から作った野菜を譲ってもらっていた。


 他にも多くの村人から声援を貰いながら、井戸へと進んでいく。


 井戸の辺りは広場になっており、多くの村人がリクトの登場を待っていた。見知った面々がこちらを出迎えてくれる。

 その中でも白い髪と白い髭が特徴的な老人がリクトの1歩前までやって来た。老人は村で長と呼ばれており、村をまとめ上げている人物である。長はリクトを見上げた。


「今更言う必要はないと思うが、今のハジクシミにはお前が稼ぐ金が必要だ」


 リクトはこれから村人の作った工芸品を、他の町に売りに行かなくてはならない。

 この日の為に、村中の住民は慣れない工作に四苦八苦しながらも、品々を完成させていた。その苦労に報いるためにも、リクトはこの役目を果たす必要がある。

 今、リクトはその為に旅立とうとしているのだった。


「わかっています」


 リクトは頷き、その意思を示す。背中の荷物が少し重くなったように感じた。


「私も刺繍ししゅうを頑張ったんだから、絶対に売ってきてね」


 ハルカはリクトの手を取って、期待に満ちた視線を送ってくる。

 他の村人も言いたいことがあるようで、次々に声をかけてきた。1つ1つは聞き取れなかったが、それはリクトへの期待によるものだとわかる。

 そんな中、村人の間を通って、村の入り口へと向かっていった。そして、村人へと振り返る。


「おう、リクト。これから旅立つんだな」


 村人の中から、がっしりとした体格の兄貴分といった容貌の男性がリクトへと近づいてくる。


「うん。ジョウとはしばらくは会えなくなるけどね。寂しくなるよ」

「そういうことは、ハルカに言ってやれよ」


 リクトとジョウの視線がハルカに向けられる。その言葉に、ハルカは慌てて両手を素早く振って否定する。


「別に私に言う必要はないからね。みんなに言えばいい事だから」


 その照れた様子は誰が見えても、ジョウの言う通りだとわかってしまう。そのハルカの反応に、みんなから笑い声が上がる。ハルカは恥ずかしさから、耳まで赤くして俯いてしまった。


「リクト、こいつを持っていけ、絶対に無くすんじゃないぜ」


 ジョウが差し出した手には、羊皮紙ようひしが握られていた。リクトはそれを受け取る。


「王都行きの通行手形だ。信用できる商人から買い付けた奴だからな、結構高かったんだぜ」


 リクトが売りに行くのは、人の出入りが多く、商店が賑わう王都セントロタス。国王のお膝元として、最も人口が多く、裕福な人が多い。

 ハジクシミにとって、その途中にある城塞を通る為の手形はかなりの値段になる。その手形は村人がお金を出し合って買ったもので、ハジクシミの希望と言ってもいい。


「ありがとう。これで王都に行けるよ」

「今生の別れになるわけじゃない。帰ってきたらみんなにお金で返せよ」


 ジョウの言葉に、リクトは苦笑いを浮かべた。

 通行手形を手に持ち、送り出してくれる村人を見渡す。誰もかれも、リクトが知った顔。その期待を背負って旅立つのだ。


「みんな! 行ってきます!」


 大きな声でそう言うと、頭を下げる。荷物があるので、深い礼はできないが、リクトにとって最大限の感謝の気持ちだった。みんなが声援を送りながら、手を振ってくる。リクトもそれに応えて、大きく手を振った。


「行くのだ! リクトよ」


 長の言葉で、村人全員から送り出す言葉を受ける。背を向けて、今度こそ村の外へと歩いていく。


「頑張ってね、リクト! 絶対に帰ってきてね!」


 ハルカの大きな声援を背に受け、ハジクシミから旅立った。




 リクトがハジクシミを出てから2日。王都への道程はまだ6分の1ほどであった。後1日歩けば、クライムリル城塞へたどり着く。城塞で馬車に乗れば、王都まであまり時間はかからない。

 歩き続きだったリクトは疲れを感じて休むことにした。

 見晴らしのいい平地で荷物を降ろし、背筋をぐっと伸ばす。そして、草が多い茂る地面に腰を下ろした。ハジクシミから使い続けている水筒に口をつけて、水を喉に流し込む。その清涼感と喉の潤いが、リクトの疲れを癒す。


「おや、あなたも行商人ですかな? この辺りには休憩できる家がなくて大変ですなぁ」


 リクトと同じくらいの荷物を背負った恰幅のいい男性が話しかけてきた。

 ハジクシミを出てから初めて出会った人物である。


「ええ。行商の真似事で、モノを売りに行くんです」

「ほう。その商品を見せていただきたかったのですが、少々懐が寂しくてねぇ。買い付けは無理でしょうなぁ」


 商人は自分を笑っていた。それにつられて、リクトも少し笑う。


「お金があれば、見てもらいたかったのですが」


 商人はタオルを取り出すと汗を拭った。


「申し訳ないことですな。ところで、あなたはどこまで行商へ?」

「王都セントロタスまで行こうと思っています」


 商人はリクトの答えに、驚いた様子で目を丸くした。そして、値踏みをするように、リクトの頭からつま先まで凝視した。


「王都へ行くには、それなりの通行料と関税がいるのでは?」


 ハジクシミのあるカルボゲムマ公爵領からマーリナス王国に入国するためには税関を通る必要がある。そこでは、交通だけにかかる税金と、王国内への物品の持ち込みにかかる税金が存在している。どちらも安くない金額を負担することになる。田舎から出てきた風貌のリクトを見て、料金の心配をしてきたのだろう。リクトはそんな商人に対して堂々とした態度で胸を張る。


「はい。村のみんなが通行手形を用意してくれました。これで、城塞を通行できます」

「ほほう。それは素晴らしい。ですが、気を付けた方がいいですな」


 商人の心配そうな視線に、眉を顰める。


「どういう意味ですか?」

「最近、王都のいい噂を聞きませんでしてな。戦争に力を入れ始めたとか……」


 戦争と聞いて、リクトは胸をなでおろす。


「なら、高い値段で買ってもらえそうです」

「商売上手ですな」


 リクトは商人と共に笑い合う。

 戦争に力を入れるということは、様々なものに需要が高まる。人間には危害が及ぶことはなく、行商には最適と言ってもいい。リクトが気にするべきことは、どれだけの値段で売るかということだけだった。


「それでは、私はこれで。急ぐ旅ではないのですが、野宿は避けたいですからな」


 商人は背負っている荷物を背負いなおすと、リクトに背を向ける。


「そうですか。あなたの行商が上手くいといいですね」

「ははは、そちらも上手くいくといいですな」


 別れの挨拶を交わし、商人はゆっくりと歩き出した。

 リクトもその姿を見ながら立ち上がると、隣に置いた荷物を背負う。そして、商人とは別の方向へと歩き出した。




 さらに歩くこと2日。

 リクトのゆく道の先に、大きな門が見えてきた。


 クライムリル城塞

 カルボゲムマ公爵領と、マーリナス王国に属するエナプリゾン公爵領とを繋ぐ城塞の1つ。

 山に囲まれた要塞であり、ここを通らず王国に入るは至難の業。手形がなければ、高い通行税と関税が必要になる。しかし、この城塞を通らなくては王都へ行くことができない。強固な城門に加え。常に衛兵で守られたこの城塞を破ることは不可能と言って過言ではない。


 道の先には、壁に対して大きな門が備え付けられており、人だけではなく馬車も頻繁に行き来している。馬車の全高を遥かに超えるその大きな門は、馬車以外のモノも通ることを想定されていた。


 城塞までやって来ると、大きな門の隣に人が通るための通路が用意されている。もちろん、武装した衛兵が待ち構え、鉄壁の守りを見せる。


 そこには城塞を越えようとする人の列ができていた。並ぶ人は様々で、大きな荷物を背負う商人はもちろん、外套を身につけた旅人、洋服を着た通行人、それと、みすぼらしい服を着た難民だと思われる人までいた。


 リクトは列の後ろに並ぶと、自分の番になるのを待った。

 前の人々は、衛兵によるボディーチェックに、持ち物検査を受けている。この持ち物検査は、持ち物によって税がかかる物がある。その税を免除してもらうための通行手形だ。


 リクトの1つ前にはお金を持っているのかも怪しい程、薄汚れた衣類を身につけている人がいた。荷物も何も持っていない。手には通行に必要なだけのお金が握られており、衛兵に手渡していた。そんな人物であっても、お金さえ払えば入れるのである。


「待て」


 リクトの番になると、武装した若い衛兵と中年の衛兵が持つ槍によって行く手を阻まれる。そして、上等な身なりの検査官が現れて、リクトを舐めるようにその姿を見た。


「手形は?」


 リクトは背負っていた荷物を降ろすと、中身を漁り始めた。


「はい。これが通行手形です」


 リクトは大事に保管しておいた通行手形を、検査官に提出した。衛兵はリクトの顔を通行手形を何度も見直す。


「これは……おい、捕らえろ」


 その一言で、2人の衛兵によって地面へ取り押さえられ、2本の槍の柄で首を固定された。瞬間、周囲がざわめきだし、リクトを中心に人が避け、人垣が大きな円状になる。


「な、何をするんですか!?」


 取り押さえられたリクトは動くこともできず、ただ訴えかけた。そのリクトの発言を阻むように、先ほどより強く拘束されてしまう。


「何だこの通行手形は? 偽物ではないか」


 検査官の言葉に、頭を強く殴られたような衝撃が、リクトを襲った。何を言われたのか、よくわからないままに、リクトは顔を上げて検査官を見上げた。その扱いは罪人そのもの。

 リクトは偽造された手形を使った犯罪者として捕まったのだ。

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