家庭学習について:緊急事態宣言延長に就き緊急投稿
緊急事態宣言が延長され(これを投稿している2020年 05月06日時点の話です)、特定警戒都道府県では更なる休校措置が続く事となりました。
この期間をどう使うかで、休校明けの学力に大きな差が出来ることは明白です。
では、どうすればよいのか。
よく、「何をしたらよいのかわからない」
と、学校や塾へ質問する保護者、生徒がいます。
そう言う質問をするだけ、まだよいほう、なのかもしれません。
休講措置を、"休み"だと勘違いして外へ遊びに行く如何しようも無い人も確かにいます。
そう言う手合の事を持ち出すと切がないので横に置いておきます。
話をもとに戻して、「何をしたらよいのかわからない」という質問。
その手の質問を受ければ、学校や塾は、懇切丁寧に教えてくれることでしょう。
気をつけてください。そこに落とし穴があります。
学習習慣が身に付いている子供やその家庭から、そんな質問は出てきません。
「何をしたらよいのかわからない」という質問が浮かぶこと自体に問題があるのです。
しかし、そのことについて普通、学校や塾は指摘しません。不興を買うからです。
火中の栗拾い給う事無かれ、ですね。
だから、いつまでたっても気付けません。
何をするのか・したいのか、を考える所から、学習は始まっています。
その自覚がなく、"受け身"である限り、ある程度以上の学力向上は望めません。
<何故学ぶのか>
色々な理由があると思います。正解はありません。
が、私の好きなたとえ話があります。
淮南子の說山訓という章の16番目のお話の冒頭部分です。
他にも色々な本に少しずつ違う形で載っています。
<書き下し文>
鳥の将に来たらんとする有り 羅を張りて之を待つ 鳥を得る者は一目なり 今一目の羅を為れば 則ち時として、鳥を得る無し
<訳>
鳥が飛んでくるだろうと、待ち構えている者がいる。
網を張って、鳥を待っている。
実際に鳥を捕まえるのは、その網の目の一つにすぎない。
だからといって、目が一つしかない網を作ったとしたら、いつまでたっても鳥を捕まえることは出来ない。
<原文>
有鳥將來 張羅而待之 得鳥者羅之一目也 今為一目之羅 則無時得鳥矣
網を学問、鳥を成功とるすと、
成功はどこから飛んでくるか分からないのだから、どこに来ても捕まえられるよう、広い網を張っておこう、
という事になります。
また、網を学問、鳥を役に立つこと、と解釈することも出来ます。そうすると、
広く学んだ学問でも、実際に役に立つのはほんの一部、他の部分は無駄に思えるかもしれない。でもその一部が役に立つためには、それを支える他の広い部分が必要。
という事になるでしょうか。
「何のために勉強するの?」
「これを勉強するのにどんな意味があるの?」
と質問する子は、勉強が嫌いで、やらなくてよい言い訳を探しているだけで、本当にやる意味があるのかを探っているわけではないのです。
そして残念なことにこういった質問にまともに答えられる教師が少ないのも事実です。
それが子供の自己弁護を正当化させてしまっています。
上記の質問に、
「偏差値をあげる為・いい学校に合格するため」
というような"結果"を持ち出す教師には気をつけてください。
そういう教師は大概、
「これはこういう物なんだ、理由なんていいからとにかく覚えろ」
というような"結果"だけを見て過程は無視するような教え方をします。こういうふうに教えられた知識はほとんど役に立ちません。
"何のため"かは、その人の心がけで変わります。
学習で身につけた知識は道具です。
道具は持っているだけでは意味がありません。
どう使うかで、価値が決まります。
同じ事を学んでも、それを活かすかどうか、学習して身につけたものを使って、よりよい人生を歩めるかどうかは、その人次第。
この、大前提を先ずしっかり持っておいて欲しいのです。
この前提があった上で、やっと教師の側は、具体的にこれこれをやろう、というアドヴァイスが出来、そして、生徒はそのアドヴァイスを活かすことが出来ます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
では、具体的に。
先ず、国語力の強化。
これは基礎の基礎、建物の土台な訳だからこれを怠ると大変です。
どんな教科も日本で教育を受ける場合、普通日本語で、教えられます。
英語の教科書であっても、日本語で説明してあるのだから、国語が出来ないと話にならない。
換言すると、国語力と教材さえあれば、どんな事でも自習できるのです。
それだけ大切な国語力を身につける時期に子供を幼児英会話などに通わせる家庭がありますが、私には意味がわからない。
子供をどうしたいのでしょう?
この事については長くなるので後述します。
▶ 音読・訓読について。
漢字は中国から入ってきたので、もともとは中国語。
その、中国語の音をそのまま取り入れた読み方を、音読といいます。
だから、それだけ聞いても意味がわかりません。
例えば、ケン、と言われても、県なのか、剣なのか、拳なのか、券なのか、犬なのか、(もういいうよ)分かりません。
訓読は、中国から渡ってきた漢字に、日本語を無理やり当てはめた読み方。
だから、聞いただけで意味が分かります(その言葉を知っていれば)。
上記の例を訓読すると、
県・剣・拳・犬です。
券は?
券の訓読はありません。だって、"券"はその当時の日本になかったから、これを表す言葉が無いのです。
音読・訓読の簡単な見分け方
2音で読むもので、2音目が、い・う・き・く・ち・つ・ん、であるものは、ほとんど音読です。
下品な覚え方ですが、私は並べ替えて、「くいつきうんち」と覚えています。
(注意してほしいのは、"ほとんど"、であって、必ず、ではない、ということです。
結局は1字1字、辞書で調べるしかありません。)
上の"ケン"も2つ目の音が、"ん" でしたね。
この法則で、読み方を考えてみると、訓読だと思っていたものが、音読で驚きます。
例えば、愛 アイは2音目が"い"なので音読です。
アイが音読なら、訓読は?
ここで、辞書を引いてみましょう。
いとしむ・めでる・おしむ
とあります。
愛しむ・愛でる・愛しむ
確かに、パソコンに打ち込んで変換すると、出てきます。
母国語なせいか、訓読は音読より、柔らかく感じます。
どちらが優れている、ということではなく、状況にあったものを使い分けられるようにしておくと、表現に幅が出ます。
訓読と思われがちな音読みは他にも、本・肉・悪・鉄、などがあります。
訓読で、なんと読むのか、時間のある今こそ、辞書で確認してみてください。
漢和辞典を是非手元に置いておきましょう。
辞書は調べるためにあるんじゃない!
読むためにあるんだ!
カレーは飲み物。辞書は読み物。
私の"推し漢和辞典"は、新字源です。少し難しいのですが、ほかの辞書に載っていないものでも、載っていることが多いです。
これで駄目な時は、"支那文を讀む爲の漢字典"を引きます。
この2冊で、大概の疑問は解決します。
しかし、その他の辞書もひきます。
"趣味"です。
漢語林・漢辞海もおすすめ。
何冊か揃えて、比べてみてください。
結構、違うことが書いてあります。
漢字がどう出来たかなんてことは、誰もその時代から生きていないので推測するしかありません。
だから、随分いい加減な事が書いてあったりします。
どう推測してそんな結論に達したのか、ということを比べると、研究者・学者の人柄や考え方も見えてきて、三流のドラマや小説より、余程面白いです。
▶ 熟語の構造
音訓が分かったらそれを使って、次は二字熟語の構造を理解しましょう。
これが身についていれば理解力はぐんと上がります。
漢字は中国語です。
それを和語に変換出来るようにしておくことが大切です。
例えば歴史で習う、"墾田永年私財法"。
丸暗記するにはちょっと長くて難しい。
そこで訓読みで読んでみます。
田を墾いたら、それを永い年月、私の財としていいよ、という決まり。
"墾"を"ひらく"と訓読みできれば何も難しくありません。
この様に読み下して覚えておけば、忘れることはありません。
読み下しの基礎は二字熟語で練習できます。
漢語の熟語↔和語、の言い換えは言語センスを磨くのにとても良い練習で、後の英語などの外国語学習でも必ず役立ちます。
語彙力も表現力も鍛えられるので沢山やりましょう。
熟語は、大体以下のように分類出来ます。
① 主・述:主語・述語の関係になったもの。
例)頭痛=頭が痛い
② 補足:一文字目が動詞で、二文字目が、補語・目的語になっているもの。ひっくり返すと日本語になる。
例)登山=山に登る
③ 修飾:二文字目を一文字目が修飾。
例)悪人=悪い人 毒殺=毒で殺す
④ 並列・同類:同類・共通の意味を持つものを並べたもの。
例)牛馬=牛と馬 飲食=飲む・食べる
⑤ 対立:反対の意味のもの。
例)天地=天と地 昇降=昇る・降りる
⑥ 同義:同じ意味の違う漢字を並べたもの。
例)道路=どちらの漢字も"みち"を表す。 墜落=墜ちる・落ちる
⑦ 重言:同じ文字を重ねたもの。
例)年年→年々と書くこともある。々は踊字と呼ばれる符号。(々=漢字・ヽ=カタカナ・ゝ=ひらがな、の繰り返しに使う)
⑧ 接尾語:二文字目に、化・性・的・然がくるもの。 例)美化=美しく、化=かえる
⑨ 接頭辞:一文字目に、未・不・無・否がくるもの。 例)否決=それに決めることを否む(いなむ)
⑩ その他:中国語にとっての外来語や、四字熟語の略など。
例)喇叭梵語由来
葡萄西域諸言語由来
国鉄=国営鉄道の略
上記の分類を参考にして、以下の熟語を読み下し(和語にすること)て、上記のどのグループの熟語かも考えてみましょう。
例) 地震=地が震える ①
日没
読書
流水
衣服
軽重
朋友
悠々
劇的
未来
雷鳴
降雨
激動
玉石
往復
計算
堂々
偶然
非常
休校の間、これら、音訓を調べる、熟語を読み下す、という事を習慣づけるだけで、今後の学習の質が格段に向上するでしょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
幼児英語教育について。
上述した通り、英語教育に付いての私見を述べます。
"私見"ですので、正解なわけではありません。
が、上の音訓・熟語構造、を読んでいただければ分かる通り、学習の基礎は国語です。
これらをしっかり学ぶべき時間を削ってまで英語を学ぶ意味は何でしょう?
ちゃんと環境を整え、英語も日本語もしっかり学べるのであればよいのです。
しかし、現在の日本で、それが出来ている家庭はどれだけあるでしょうか?
特に町の英会話教室。
先生が、英語が好きなだけの日本人、ってなんですか?
そんな人の発音を学んでどうするのでしょう?
そもそも文法などを教えず、歌ったり踊ったり簡単な絵本を読んだり挨拶に毛が生えた程度の会話を習ったところで、結局大人になる前に忘れてしまいます。
自分は小さい頃から英会話を習っているから、と、中学に入って油断する子のなんと多いことか。
確かに中学1年生の秋くらいまではその貯金でなんとかなります。
しかし、文法学習が難しくなるに連れ、どんどん成績が落ちていきます。
でも、本人には間違ったプライド(自信と過信は別物です)があるから、なかなかちゃんと勉強しません。
そして、もう駄目だ、ついていけないから塾へ行こう、となった頃には手遅れ。
こんな子がザラにいます。
それでも英会話を習わせますか?
何故そこまでして英会話を習わせるのでしょう?
大概は、英語が話せない親の劣等感の裏返しです。
大丈夫です。
日本でちゃんと教育を受けていれば、必要になってからちょっと努力するだけで、使える英語力はすぐに身に付きます。
それよりも、国語をしっかり学び、それを通して人間としての魅力を磨いておく事のほうがよっぽど大事です。
英語がペラペラ喋れても、その話に中身がなかったら、誰がそんなつまらない話を好んで聞いてくれるというのでしょう?
言語は飽くまでも道具です。
道具ばかり磨いても、その道具で何も出来ないのであれば、持っていても無駄です。
想像してください。
外国から来た人がいます。
あなたはその人に何を質問しますか?
その人の国の事を聞きませんか?
日本人が外国に行ったって同じ。
日本のことを聞かれます。
私は海外で暮らした時、三島由紀夫や、源氏物語について、議論をふっかけられたことがあります。
それなりの知識があったから良かったものの、もし何も答えられなかったら、きっと侮られていたでしょう。
その時の私の英語力なんで、大したものではありませんでした。
しかし、「こいつの言うことは興味深い、自分のためになる」と判断されれば、真剣に聞いてくれるし、「こう言いたいのか?」と確認もしてくれます。
そんなもんなんです。
結局どこの国へ行っても、物をいうのは語学力ではなく"人間力"です。
だから、母国語を磨いて様々な知識を吸収し何事にも自分なりの意見を持つことが国際人になる一番の方法です。
外国で聞かれる様々な知識とは、例えば、
・好きな音楽家・作家・詩人・画家等はいるか、どうして好きなのか。
・西洋哲学と東洋哲学の違いを説明できるか。
・母国の文化を歴史的背景を踏まえて説明できるか。
・何故日本人は宗教を持たないのか。
等です。英会話教室に通って、こういった事に答えられるようになりますか?
ここまで読んでも、英会話教室に行きますか?
子供を通わせますか?
だから私は子供に英会話を習わせることの意味がわからないのです。
思いつきで一気に書きました。
他の教科についても書いてくれ!
というリクエスト等、お待ちしています。