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第二話 晴れ時々少女が降りそそぐ天気模様

 

「が、ば、ァああ……ッ!!」


 視界が紅蓮に染まる。ボッボァ!! と『慣れた』爆音と衝撃とが全身を襲う。


 上空何十、いいや何百メートルか。とにかく森を見渡せるほど高くから落ちたのであれば、魔力の一滴も持ち合わせていないレンディナ=レッドサラマンダーは地面に叩きつけられた瞬間には腐った果実のように弾け飛んでいたはずだ。


 だが、実際にはそうはなっていない。奇跡的に木の枝が衝撃を殺した、なんてもので助かるレベルではなかった──のであれば、何らかの必然が関与しているはずだ。


 つまりは、魔法。

 奇跡さえ凌駕する、摂理の歪曲地点。


「ま、さか……炎の、爆発で……落下の、衝撃を、相殺した……?」


 単に爆風をまき散らしただけなのか、周辺空気を熱することで上昇気流を生み出したのか、他に何らかの手段を用いたのか。とにかくランディはレンディナを突き落とすと共に魔法による炎を放ち、落下死することを回避した。


 レンディナのため、なわけがない。

 あの残虐に優しさなんてありはしないことを、そんなこと期待してはいけないことは散々思い知っている。知っていたはずなのに、期待してしまった。


 その結果が、このザマだ。

 落下の衝撃はある程度軽減されたようだが、完全ではなかったようでズキズキと痛みが走る。それでもレンディナはゆっくりと立ち上がり、周知を見渡す。


 緑が広がっていた。

 森。一面木々が屹立する、どこか。


 吹き荒れた熱波を受けたからか燃えつつある木々を見て、レンディナは痛みに重い身体を無理に動かしてとにかくその場から移動する。じっとしていては炎に焼かれるか煙に巻かれてしまうのは目に見えていたからだ。



 ーーー☆ーーー



「ふあ。今日の空模様は晴れ時々少女が降ることでしょう、みたいな? 『寝起き』だっつーのに騒がしいじゃねーですか」


 鈴のように清らかで鮮血のように濁ったあべこべな声音であった。その声の主は欠伸を漏らし、大きく両手を上に伸ばす。


 数百年ぶりの『覚醒』、ゆえにこれより混沌が解き放たれる。



 ーーー☆ーーー



「はぁ、あう……」


 果たしてどれだけ歩いたことか。辺り一面は代わり映えしない緑が続いていた。落下の衝撃に痛む身体を動かしているとはいえそれなりの距離を進んだはずだか一向に景色が変わることはなかった。


 ああ、だけど。

 妹が何を考えているのかはわからないが、万が一、もしかしたら、何らかの狂いが生じたならば──このまま逃げられるのではないか?


『はじめて』の外。これまではレッドサラマンダー公爵家が本邸というホームでのことだったがために逃げる機会すら得ることはできなかったが、このならば違う。ここがどこであれ、いつものルールは通用しない。


 可能性は、決してゼロではない。

 あの残虐から虐げられるだけの日々から脱却できる可能性は必ずやあるはずだ。


 だから。

 だから。

 だから。



 ぐるる、と。

 それは、唐突にレンディナの耳に届いた。



 考慮するべきだった。考えて、考えて、考え抜くべきだった。あのランディ=レッドサラマンダーが、あの残虐性の塊が、あの鮮やかな赤が殺すと明言したのだ。であれば、必ずやそのための暴虐が存在する。


 残虐性に見合う悪趣味が、必ずや振るわれるはずなのだ。


「ひっ!?」


 それは四足歩行の生物であった。

 それは子猫と同じく爪や牙を持っていたが、数メートルもの体躯に見合うまでに肥大化していた。

 それは魔獣と呼ばれる人類の敵にして命を喰らう破滅の象徴らしいことをレンディナは悟った。


 全部で五体。

 一体であっても致命的な破滅が視界に入った瞬間、レンディナ=レッドサラマンダーは即座に間合いを詰めた一体に押し倒されていた。



 ーーー☆ーーー



 ザザッ。

 ザザザッ!!



 魔獣の爪が振り下ろされ、右手が千切れ……ザザザッ! 妹の赤と似通った鮮やかな色をした液体が勢いよく噴き出しザザザジジッ!!……を踏み潰され、押し出されるように口から血の塊が吐き出さザザッザザザ……ザザザザザザッ!! 右目が抉られ、ザザザ、……足が三百六十度回転し、そのまま何度も何度も回転していき、最後には根元から千切れ……ザザザザザザッ!! ザザザザザザザザザザザザッ!!



 記憶が、削れる。抜け落ちる。

 正しく現実を認識できず、記憶にとどめておくことができない。ガツガツと腹ペコの子猫が食べ物に噛りついていたいつかの光景と同じように『何か』に殺到する五体の魔獣。『何を』食べているのか、『何を』食べるために弱らせ、食べやすいよう分解していたのか、詳細を認識しようとするとノイズが走る。


 だから。

 たった一つの真理のみが脳裏を走る。


(ああ……これ、死ぬわね)


 あのランディ=レッドサラマンダーが殺すと決めたのだ。そうなるように調整されているのは当然で、魔力の一滴も持ち合わせていないレンディナ=レッドサラマンダーが生き残れるわけがなかったのだ。


 可能性なんて、はじめからゼロに決まっていた。


(……やっと、終わりってこと、かぁ)


 辛かった。

 嫌だった。


 だけど、死んで逃げる気力すら削ぎ落とされていた。そんなことをしてランディを怒らせたら、と考えたらもうダメだった。死にさえすればそれ以上ランディ=レッドサラマンダーが何かできるわけもないはずなのに、それでも恐れてしまうほどに魂が屈服していた。


 だから。

 それでも、だ。


「なによ、それ……」


 こぼれ落ちた。

 溢れ出た。


 最後の最後、理不尽に虐げられてきた彼女が『はじめて』本音を漏らす。


「死にたく、ない。ひ、あぐっ。こんな、ランディのクソ女に好きにいたぶられるだけの人生なんてふざけんじゃないわよ!! やめて、ぶ、ばぶっ!? やだ、痛い食べないでわたしは死にたくないこんな終わりなんて絶対やだあ!!!!」


 叫んで、叫んで、叫んで。

 殺されてしまうという現実に向き合った時、レンディナ=レッドサラマンダーは己が現状を認識する。


 右腕は半ばより千切れていた。左足はねじ切れており、右目は潰れ、内蔵だって弾け飛んであることだろう。一つ一つの損傷による痛みを正確に感じ取ることなんてできない。ただただ全身に途方もない激痛が炸裂した。


 損壊。

 何らかの奇跡が起きて、今もなお牙を突き立ててレンディナ=レッドサラマンダーの血肉を貪る魔獣たちから逃げられたとして、衰弱死するのは目に見えていた。もう、完全に終わっていた。


 それでも。

 それでも、だ。


「が、ばぶっ!?」


 血反吐を搾り出すようなその言葉は、しかし血肉を貪る魔獣たちに届くことはなかった。うるさいと吐き捨てるように牙がレンディナ=レッドサラマンダーの首筋に突き立てられる。


 視界が暗くなる。

 激痛が荒れ狂い、意識が霧散していく。


 死が、強烈なまでにその存在感を露わとする。

 最後の一線を踏み潰され、明確な死がレンディナ=レッドサラマンダーを呑み込む──その寸前であった。



 ゴグシャアッッッ!!!! と。

 肉と骨が砕ける轟音が炸裂した。



 数メートルもの巨体を誇る魔獣が一体残らず吹き飛ぶ。レンディナ=レッドサラマンダーを貪っていた怪物たちは文字通り粉々となって赤黒い飛沫と化していた。


 そして。

 そして、だ。


 先ほどまで蔓延していたどうしようもない死の空気を塗り潰すほどに、ドロドロとしたサイケデリックな空気が噴出する。


「これは珍しいじゃねーですか。処女の血で喉を潤そうと思っただけだったんですが、とんだ拾い物です」


 声自体は美しいソプラノのそれであった。愛らしい少女の声音がレンディナの鼓膜を優しく揺らす。


 声の主は仰向けに倒れるレンディナを覗き込むようにしゃがみ込み、喉の奥からくつくつと笑い声を漏らしていた。


 金髪碧眼の美女であった。

 魔女がかぶるようなとんがり帽子にマント、ただしその色は絵本の中の魔女の漆黒の真逆に位置する純白である。


 そして、何よりも。

 口の端から覗く鋭い八重歯がその存在を強烈に示していた。普通より少し長いだけのはずなのだが、その八重歯──いいや、『牙』には無視できない引力が備わっているのだ。


 見覚えのない誰か。

 魔獣を粉砕するだけの力を持ちながら、レンディナとそう変わらない年頃の少女の外見をした誰かは片目を抉られ、壊れたレンディナの顔を細く綺麗な手で撫でる。


「これは、やはり……くっくっ。漆黒じゃあねーですか」


「っ」


 レンディナ=レッドサラマンダーはもう間もなく死に絶える。いかに現実から目を逸らそうとも、今の惨状から生き残れるわけがないことくらいは理解していた。


 もう残り僅かなこの瞬間でさえも。

 魔獣を蹴散らし、レンディナを助けてくれた誰かにさえも侮蔑の言葉を浴びせられるのか。


 漆黒。

 魔力なしの欠陥品。


 生物として致命的な欠陥を抱えている者に生きている価値はないと突きつけられる。先天性のそれが、後天的な努力で覆すことができない欠陥が、レンディナ=レッドサラマンダーの価値を決める。


 死んで当然だと。

 生きている価値なんてないと。

 そう突きつけられるに決まっていた。


 だから。

 残った目玉の下に指を這わせて、金髪碧眼の美女はこう告げた。



「綺麗ですねえ」



 うっとりと目元を緩めて、声音に歓喜の響きを乗せての反応であった。憎悪や嫌悪、侮蔑をぶつけてくるのではない。ただただ喜びを露わにして、レンディナの漆黒の瞳を慈しんでいるのだ。


 どうして、と。

 思わず、言葉が漏れていた。


「漆黒、よ。魔力なしの証よっ。それを、綺麗って、なんでそんなこと言えるのよ!?」


「なんでって率直な感想ですもの。理由なんてそう感じたから、以上のものが必要でして?」


「……ッ!?」


 淡々と、気負うことなく、彼女はそう言った。変に言い繕ったりしないその態度が、先の言葉が嘘ではないという証明であった。


 金髪碧眼の美女は笑う。

 笑って、続ける。


「本当、()()()()()()()()()()綺麗です」


「ひ、ぁふ……っ!」


 ぶるりっ! とレンディナ=レッドサラマンダーの華奢にして清らかな背筋に震えが走る。目元に触れるひんやりとした指の感触や頬を妖艶に赤く染める金髪碧眼の美女の綺麗な顔、そして何より強烈なまでに求められていると伝わってくる肉欲にまみれた声音がレンディナの全身をカァッと熱くする。


 そして。

 そして。

 そして、だ。



 ゴドンッッッ!!!! と。

 何かが降り注いできた。



 正面。舞い上がった粉塵より歩み出てきたのはレンディナを幼くした、鮮やかな赤き瞳の少女。


 すなわち、


「おほほ!! エンターテイメントのなんたるかを理解しない、つまんない横槍ですわねえ。不愉快にもほどがあるというものですわぁ」


 ランディ=レッドサラマンダー。

 残虐性の塊が鮮やかな赤と共に降臨したのだ。

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