第三話 契約成立
Segmentation fault 嫌いです
頭が...痛い...。
どこか息苦しい。ジメジメとした暑さが億劫だ。耳鳴りもする。
幾重にも重なる不快感に、傷だらけの少女は目を覚ます。凸凹の天井に灯る橙色の光が見えた。
「――いまー」
『お―――さい、――ク。―――はありました?』
どこからか、声が聞こえた。まどろんでいた意識が急速に覚醒していく。どうやらベッドに寝かされているようだ。
「あったぜ!えーっと...本体を袋のまま鍋に入れ水を張り沸かす、だってよ!」
『鍋の用意はできています。ルーク、それをこちらに。器とスプーンを』
声は二人分、片方は合成音のような不自然さがあった。ハスキーな声でわかりづらいが、おそらく女。そこまで気づいて、少女は思い出す。間違いない、さっきの奴らだ。
瞼を薄く開き、最小の動きで辺りを見回すと、薄暗い洞窟のような室内に無数の電化製品が見えた。それらに囲まれるように、その少年はいた。そいつは妙な袋から何かを取り出し、奥の方へと姿を消した。女の方は確認できていない。
(ここは...あいつらの拠点か?二人だけか...?)
疑問を抱きつつも、少女は彼らを敵とみなした。そう考えることが身を守るためには最善だと知っているからだ。
少女はゆっくりと右腰に手を伸ばす。だがサイドアームは抜かれていた。当然、先に構えていた獲物も手元にない。
(クソっ。素手で二対一はリスクが大きい!なにか他に、武器になりそうなものは...!)
「あっつあっつのー♪でっきたってのー♪おかゆ!」
『音楽の授業、増やそうかしら...』
そうこう考えているうちに、標的が来た。気の抜けるような下手な音頭だったが、少女の緊張は最大に達していた。
(こうなったら、不意を突いてどっちか一人を人質にとる!)
覚悟を決め、耳を澄ませる。相手はまだ自分は寝ていると勘違いしている。そしてなぜか拘束をしていない。よほど自信があるのか、それともただの間抜けか。どちらにせよ、一度不意打ちが成功している相手だ。隙を見て
「ん?起きてるのか?」
反射的に瞼が開く。腕と足で勢いよく立ち上がろうとするが、ベッドの弾力が姿勢を乱す。
(しまっ―――――――)
「おはよう!」
「お、はよう...」
◇ ◇ ◇
その後、ようやく他人との初会話を果たせたことに一人盛り上がるルークをエダがなだめ、ルークが落ち着きを取り戻したのはもう粥が冷めた頃だった。
ルークはわざとらしくせき込み、近くの壁に寄りかかった。エダは本日4度目のため息を吐く。
ベッドの上で座り込む少女は、その鋭い目つきこそ変えないものの、とりあえず問答無用で襲い掛かるという行為は自重してくれるようだ。
『では、お互いに自己紹介から始めましょうか』
エダはそう切り出し、室内で一番大きな筐体に姿を現す。
『私の名はエダ。見ての通り、生物としての身体はありません。現在は彼の教育係としてともに過ごしています。以後、お見知りおきを』
「ふむ、俺の番か。俺の名はルーク!年齢は15歳!人間!性別は男だ!よろしくだぜ!」
なんとか落ち着いた雰囲気を醸し出しているが、その心中は興奮さめやらぬままだ。
ルークが名乗り終え、期待と好奇心の視線が少女を指す。重い口がゆっくりと開かれた。
「...私は、レイ」
短くそう言うと、今度はそっちの番だとでもいうように口を閉ざした。
エダはルークが余計なことを言うより早く話を進める。
『レイ。私たちはこの星で生まれ、この星で生きていました。貴方が何者であろうと、貴方が私たちに危害を加えない限りは、私たちに貴方と敵対する理由はありません。貴方の事情を聞かせてくれませんか』
エダの言葉を聞き、レイは気を失う前の景色を思い返す。荒廃した地表。ガラクタの平野は地平線まで伸びていた。外界との縁は一切断たれているのだろう。そんな境遇の星に、一つだけ心当たりがあった。
レイは言葉を返す。
「...その前に、一つ。聞きたいことがある」
『どうぞ』
「星の名前は、知らないが...ここは、かつて青いと言われた星か?」
『はい。数千年前、人類が初めて宇宙へ飛び立った時、この星を見た飛行士が放った言葉ですね』
「...そう、か」
レイはため息を吐き、一間の静寂を挟んだ。
「私はグレイテストという星で生まれた。この銀河の中でも1、2位を争うくらい栄えた星だ。親の顔は知らない。子供のころに人攫いに遭い、紛争の絶えない星に連れられた。そこでしばらく少年兵として戦っていたが、私より先に雇い主が死んだ。それからもフリーの傭兵として食い扶持を稼いできたけど、ある日個人艦を手に入れて、その星を脱出した。けど星の外でも海賊どもに終われ、なんとか逃げているうちにここにたどり着いた」
レイは淡々と語った。まるで興味のない他人の人生を振り返っているような、無機質な声音だった。
長い話ではなかった。だが、実際の言葉以上の重さがあった。エダは掛ける言葉が見つからなかった。人並外れた機能を持つ彼女だが、その反応はずっと人らしいものだった。が、
「じゃあ、やっぱり...」
ルークがぽつりと言葉を洩らした。そしてそれは、次第に確信を持って、レイへと投げかけられた。
「やっぱりみんなは、人間は宇宙にいるんだな!?」
それは、ひどく身勝手な言葉だった。同情も、励ましもない。あるのは、子供のように純粋な好奇心のみ。ルークの精神はまだまだ幼いものだった。
しかし、レイにとってはどうでもいいことだ。他人との交流とは、双方に独立した、同等の利が生じる場合にのみ行うべきものである。一時の感情などすぐに風化する。
そんなものに身を寄せられるほど、レイの歩んできた道は、優しくない。
かといって、ここまで空気の読めないコメントをする輩は初めてだったため、レイは困惑とほんの少しの苛立ちを覚えた。
「レイ!俺は今日、お前に会って分かった!俺は世界中を見てみたい!この星を出て、俺の知らない世界を冒険したい!お前はどうする?お前はこれから何をする?」
ルークはずかずかとベッドに近寄り、レイに指を向ける。
レイは若干驚きながらも、その言葉に視線を沈める。
それはレイにとっても思いも寄らない質問だった。これまで生きることだけを考えてきた。かつての星を逃げ出したのも、危険な仕事から抜け出すためだった。だがその先は、生き延びたその後に何をしたいのか。
(考えたこと、なかったな...)
思いがけず言葉に詰まった。
しかしルークは返答を待たずに無防備に手を差し出す。
「これは交渉だ。俺はお前を故郷の星に連れて行ってやる。代わりにお前の知識を俺にくれ」
交渉。
前提として、レイは帰郷を望んでいる体での取引だった。まるでそれが当然の帰結であるかのようにルークは言う。そしてルークは、レイがまだ何も承諾していないにもかかわらず、自分の世界に入りつらつらと宇宙への好奇心を語り始めた。だが、レイが思い浮かべていたのは別の言葉だった。
(『帰る』...?故郷に...?帰りたいのか、私は...)
一度頭でなぞると、次第にそれが自分の本心であったかのように思えてくる。身に覚えのない衝動が、故郷への想いがとめどなく溢れてくる。
「...わかった」
レイは決断する。
目の前の情緒不安定な少年を信用したわけではない。教育係とかいう人工知能も同様だ。
だが、互いの利は相反しない。そして情による不安定さもない。であれば、傭兵として取るべき手段は一つしかない。
「お前は私を故郷へと運ぶ。私はお前に世界を教える。契約成立だ」
そう言って、レイはルークの手を叩いた。乾いた音が鳴る。ルークが船を持っていないことを知るのは、それから数秒後のことである。
最後のところで、レイはルークやエダが宇宙を渡れる船を持っていると思い込んでいます。