4
「過ごしやすくなってきたねっ」
炎天下。活き活きとアオがそう口にして明石家の開いた口がふさがらないでいると、父が済まなさそうに頭を下げた。
「実は避暑も兼ねて親戚の家へ行こうと思ってる、少しここより寒いかもしれないね」
石川県の能登半島近くにある親戚の家へ二泊三日。その話を聞くとアオはさきほど自分が口にした言葉も忘れ、行きたいと目を輝かせた。
出発の当日。呼び鈴が鳴ったのに気づき、私が支度を終えて二階から降りると、先に玄関先でみんなを待っていたアオが、来客の青年と挨拶を交わしていた。私は手を上げて声をかけた。
「ごめん、悠一。待たせちゃった?」
「いや、待ってないよ。今さっき来たところだから。あ、由美子さんのお父さん。お誘いいただきありがとうございます。今日は御厄介になりますのでよろしくお願いします」
「アオ、紹介するね。この人、私のボーイフレンドで、悠一」
「アオちゃん、よろしくね」
渋滞にあった時の事も考慮して、早めにミニバンで自宅を後にした。首都高速五号池袋線から、藤岡ジャンクションをなだらかに、道をうねるように通過するルートを取る。
小杉料金所を出て二桁数字の県道を北上し、七尾市に着いた。国立病院前の通りに並行して走る通りの民家群の一角に父親の母、つまり私の祖母の家があり、門のそばに車を寄せて停めたときには日はすっかり暗くなり、曇りのない空に白いラメが広がっていた。
「あんたち、よう来たねぇ。この辺はずっと曇り続きなんやけど、今日は空がまんで綺麗やわ。きっとあんたちが来てくれたからやねぇ。ほしたらごっつぉ出来とるさけ、きまっし」
玄関先で迎えてくれた祖母に付き従って和室二間続きの広い居間まで行くと、食材の意をこらした海の幸が鴨鍋の周りを取り囲むように置かれ、私たちはこもごもに歓声を上げて舌鼓を打った。明日は早いからと母に言われてお風呂をすますと、それぞれが布団に吸い寄せられるように一日を終わらせた。
翌日。まさかの午前5時過ぎに起こされた私は、父の背中に「何でこんなに早いの、市場で行って八百屋でも始める?」と不機嫌さを隠すこともなく言葉をぶつけた。
その言葉は半分当たっていた。朝食も採らず6時前に祖母の家を車で出て、国道249号線を道なりに北上していく。行きついた先の街でにぎやかな催し物が行われていた。横長の長方形のタイルが敷き詰められた明るい灰色の道の両沿いを、大小さまざまな露店がひしめき合って先まで続いていた。そこかしこから「こうてくだぁ」と女の客をもてなす女の声が聞こえてくる。
「輪島朝市だ。観光ついでにここで買い物頼まれたんだよね」
父親はそう言うと手近の軒やパラソルの中に首を差し入れ、顔見知りかのように冷やかしていく。私たちはその間、曇り空に傘を持ち歩く男女の波にあわせてぶらつき、土産物屋で足を止めた。
「これかわいいっ」
そう言ってアオが手に取ったのは、掌に収まるほどの大きさの、子猫と小玉が平べったい皿の上で延々と転がる玩具だった。カウンター上の輪島塗の食器の横でせわしく踊っているその姿を、アオはしゃがんだまま見入っていた。
「これいくらですか」
「あぁ~、いちゃきなお嬢ちゃん二人も来とるんやねぇ。この猫、二つでお揃いやさけ、お姉ちゃん両方こうてくれるんやったらおまけするわいねー」
子供のようにスキップするアオの背中を見つつ、私と悠一は手を繋いで元の道を戻っていった。市場の入り口あたりで立っていた母が手を振り、「お父さん、冷凍ものをボックスに詰めに行ったから、私たちも帰りましょ」といって踵を返し先頭に立った。
近場のお食事処で新鮮な海鮮丼に胃を満たすと、次の行き先は日本海を臨むように広がる白米千枚田だった。
あるものは古代の文様のように見え、あるものは緑の波がつづらおりのように流れていくその様は、私たち三人を童心へと返らせた。水平線の先まで広がる海と、三方を緑の森に囲まれた棚田の中で、潮風と草いきれを切って追いかけっこしている内に、太陽は中天を越えて傾いていた。
「おーい。写真とろっかー」
父親が一眼レフのファインダー越しにこちらを覗くと、私と悠一は思い思いのポーズを取った。私はカメラと写真について簡単な説明をアオにし、とりあえず一枚撮ってみましょうと彼女にピースを促す。父がシャッターを切ると、カメラのフラッシュに驚いたアオが手庇で目を隠した。
父親がリーダーを私のスマホに接続して操作すると、画面に三人の画像が表示された。アオは興奮して歓喜し、次の撮影からは無邪気なポーズを取ってみんなを楽しませた。日本海をバックにした写真を数枚撮り、私たちは帰途についた。
アオはもう一人の家族だった。悠一だけといるのとはまた別の愛しい日々が続く夏だった。