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 五月の大型連休の初め、私は成田空港のロビーにいた。

 今回の事件は、偶然が積み重なって起こってしまった凶行だと考えている。

 アオは人間性をも縛る村の男子結社的性質に疑問を持っていた。それは私たちと共に日本で過ごすうちに、耐え難い不満へと変わった。

 しかし、アオは人間になれぬまま村に逆らうすなわち大地に背いて死ぬことで、死後この森の中で寂しく漂い続けることを恐れていた。

 その時、ひき逃げ事件が起こった。これが最初の偶然だ。

 あの時ドリは、トイレにたった私に、「お前も後を追う」と言っていた。つまり、セダンの持ち主だった女性は、祭の生贄となって食べられたのだ。

 アオはその時すでに、村長の指示で『殺す父』の役割を与えられていたのではないか。村長はそもそも男の子を欲しがり、アオが生まれた後も、髪を短く切り詰め、男のような格好をさせていた。自分の娘に村の担い手である男の役割をさせたかったのは、一種の親心であったかもしれない。

 しかし、それはアオを、男として祭に参加させることを意味した。成人する男たちのために神の子供から人間へと脱皮させる権利を与えたと同等の意味を持ったのだ。

 図らずも、村から、そしてその大地から人間であることを許されたアオは、しきたりに押し込められていた自分の感情に隠すことなく向き合った。ドリを、幼馴染の友達からただの村の男としての役割に作り変えてしまった村に、日本で一番の親友で、村の人たちとも仲良くしてくれた私を生かしてはおけないとする村の人間たちに対し、彼女は何を思ったろうか。

 村の人間は、アオが私ととても親しい仲であることは知っていた。もしかしたら、アオが私をこっそり逃がしてしまうかもしれない。そこで、アオは演じることにした。生贄の私を手にかける『殺す父』の役を進言し、村の人間の信用を得たのだ。未来への凶行のために。

 もう一つの偶然は、三人の訪問客だった。射殺された三人のうち、二人の警察官は川の下流で銃を奪われて打ち捨てられており、河野は生贄として食べられたのだ。

 大物政治家のスキャンダル発覚とネットで高まる遺族に対する心無い報道への批判感情を受けてテレビでは報じられなかったようだが、新聞の方では広場で発見された白骨死体が遺伝子検査で河野と一致したと掲載されていた。

 しかし、疑問が残った。私をその日の深夜過ぎに生贄に捧げる予定であるのに、他の女を祭に出して食するなどという事があるだろうか。ましてや、日中のうちに既に遺体となった女だ。祭を仕上げるための過程で齟齬が生じるだろう。

 もしやと思った可能性は一つ。その女を私と誤認している場合だ。彼女は私と同じ日本人で、背丈もあまり変わらなかった。図書館で、河野の死体が首から上がない状態で当初身元不明だったと書いてあったのが自説の確かさを裏付けるような気がしていた。

 事件当日、河野は死後数日たっていた。ニューギニアは気温は春夏秋冬、日本の真夏と同じかそれ以上の気温であり、負けず劣らず多湿でもある。肉体の早期腐敗は免れない。

 そこで、アオは一計を案じた。砂糖である。河野を誰にも見つからない場所へ一人で運び、首を斬って埋めるかどうかして隠匿する。残った肉体を、村で相当数備蓄してあった砂糖に漬けて保存する。浸透圧の関係で、砂糖が腐敗を防止してくれる。砂糖をそこに運び出す際に、自分の持っていった玩具を村の目立つところに置いて周囲の目を自分から離しておく。後は、私が舌を噛んで死んだという事を伝えて、腐らないうちに急ぎ食事の準備を、という流れで砂糖漬けの死体を持ってくる。

 村の人間達には、村長をはじめ、共通した認識が出来ていた。それは、「日本の食べ物は甘くて美味しい」という事だ。特に年寄連は教授の菓子折りを機に業務用砂糖を買い占めるほど、甘いものに目がなかった。今から食する肉に砂糖が加わっていたからといって、味はともかく、何らかの別の意図を感じることがあるだろうか。ましてや、病原菌による殺人など。

 日本の食べ物がおいしい、という認識が出来ていたからこそ、アオはぱんぱんに膨らんで菌の温床となった自家製缶詰を玩具にしていた子供とその母親の家を訪ねて、こういうだけで良かった。それは日本の食べ物だ。日本の食べ物を、粗末に扱ってはいけない、と。

 粗末にできない。今日は男たちの祭だ。それなら、祭で食される肉のおかずに加えよう。母親は自発的にアオに缶詰の開け方を聞いて、その中身をアオが伝えた生贄の躯のところへ空けにいっただろう。背後から、アオに撮影されているとも知らずに。

 ボツリヌス菌はきちんと処置をすれば罹患してもほぼ重症化しない。が、未開地で衛生状態も栄養バランスも思わしくなく、かつ最寄りの街まで車で一日かかる距離まで離れている状態で足を奪われたら、科学の知識のほとんどない彼らには、なすすべがないのではないか。唯一の足だった村のジープは、アオが握っていた。重症化は免れなかったはずだ。

 しかし、それでも疑問が残る。私がドリに襲われたときのことだ。私はてっきり、広場に連れていかれ衆人環視のもと、祭の一環としてそれが実行されるものと思っていた。しかし、実際に起こったのはドリが一人でやってきただけだった。そもそも、アオが私を助けるつもりで、救いだした私に謝るぐらいなら、私がドリに襲われる前にやって来て私が自分で死を選んだ、と村人に説明して私を森へ隔離しておいてもよさそうなものだったのだ。

 その疑問が、悠一推薦のアメリカ映画を見ていた時に、氷解した。

 ナチスなんてなければ、この子もきっと素直でいい子に育っただろうに。

 母の言葉が、アオのある言葉とリンクする。

 かつてはあんな子じゃなかった。村が彼を変えた。もし彼がここで生まれていなければ。

 ここで生まれていなければ。その言葉の持つ意味はこうもとれるだろう。日本で生まれていれば、と。

 アオは悟ったのだ。自分はドリとは結ばれない。ドリの子供を産むこともできない。もし出来ても、この村で育った人間は村のしきたりで悪しく変えられてしまう。

 アオは、自分が素敵な時を過ごした日本という大地でドリが育ってくれたら、彼は素敵な人間となってくれるだろうと思った。

 だから、私に託したのだ。ドリの遺伝子を。

 ドリを私にけしかけて、事が終わる頃に撤収させ、私を森の中へ連れて行ったのは、アオなのだ。

 私と、悠一と、私の家族。自分の村にはなかった、愛と自由に溢れた、素晴らしき円環。その内側で、愛する人の未来が巣立ってほしかったのだ。

 目の前が暗くなる思いだった。アオの人間性は、そしてこの凶行の下地は、他ならぬ私が育てたのだ。

 アオが日本にいた頃、テレビで見ていた不倫の昼ドラで、不倫女が子供を身ごもり、共に相手に捨てられたことに涙を流していた。あの時私は、ちゃんとした家族がいるから、と口にした。アオから見て私たちは、理想の家族に映ったのではないだろうか。テレビの中でやっていることが常識の一つでもあるのだと考えても、何ら不思議はない。

 食中毒に思い致ったのは、乳児死亡のニュースだ。そして、私が彼女に読み聞かせた菌の生態事典でたまたま知ったボツリヌス菌の嫌気性を知り、その性質から国で子供が玩具にしていた自家製缶詰に着目した。

 砂糖の腐敗防止機能も、私が教えた。

 アオは賢く、素直だった。

 だから、全てを吸収した。「殺す父」として儀式を務め終えて大地のくびきから解放された人間性は、村への憎しみと、日本への希求と、私とドリへの愛情において、私の死刑が決まったことを機に、静かな暴走となって開花したのだ。砂糖も、カメラも、猫の玩具も、もともと村の人たちを喜ばせるために持ってきたものだった。その子供のような無垢な想いは、人間が人間として生きるために約束されたものを求めたために、殺意へと変化した。

 だがその陰で、アオは後悔していた。私の身体と、私たちの友情を、自分の身勝手な想いを成就させるために利用したことを。だから、何度もごめんねと謝っていたのだ。

 今、私の手の中にあるエアメールの、あの一文。

 I’m alive as a human being.

 これは、自由と権利を得た人間になれた喜びを表す言葉なのではなかったのだ。

 自分が人間として、犯した私へしたことを、人間として、後悔して今も生きていますという、私に対する懺悔であったのだ。

 私はエアメールを封筒に戻し、かわりに一枚の写真を取り出した。水平線まで広がる日本海を背景に、思い思いのポーズを取った私と、悠一と、アオ。白米千枚田の豊かな緑が太平洋ではなく日本海を向いているのは、アオが自分の村から背を向けてこの日本の大地で抱かれていたい、そんな気持ちを汲んでくれているからのような気がした。


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