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「由美子。お前に手紙が来てるぞ」
二週間後、父が玄関口から帰宅を知らせた私に向かって手の中のものをひらひらと振ってみせた。私はもしやと思い、廊下を荒々しく駆けて父の手からそれを奪うように受け取った。
一通のエアメール。赤青白の縞の縁取りをした封筒の左上には、ポートモレスビーから投函された差出人の名前がアルファベットで書かれてあった。
Ao。
封を開け、中身を取り出す。一文が、英語で添えてあった。
I’m alive as a human being .
私は人間として生きています。
その文字が瞬く間にぼやけた。私は手でこぼれる涙を目に抑えつけるようにして、嗚咽した。
アオは、人間になれた。自由に、幸福を追求する道を踏み出すことが出来たのだ。
会いに行きたい。春期休暇が終わり、私は四回生になろうとしていた。
4月。
私は夢を見ていた。暗闇の中、私は走っている。その後ろから、ドリが追いかけてくる。前を向いて必死に走る私の視線の先に、アオがいる。あの時、私は人間にはなれないと涙を流したアオ。
彼女の姿がどんどん近づいてくる。それでも私はまっすぐに走る。やがて視界を彼女の顔だけが埋めつくされ、私とアオ、そして背後のドリが追い付いて三人が重なったとき、私は目を覚ました。
どうしてこんな夢を見るのだろう。自分が把握している以上に、脳があの出来事にショックを受けているというのだろうか。
リビングにいくと、母が午後の昼ドラを見ていた。それを見てしきりにため息をついている。
「ドラマだからいいけど、普通じゃ考えられないよ。本当、嫌な女だね」
主演女優を見て苦々しげにそう呟く母は、ドラマだからといいつつも現実とフィクションを混同しそうに見えた。
テレビの手前にあった縦長のプラスチックケースが目に留まり、私はあっという声をあげた。
「お母さん、ブルーレイ。今日、返却日だよ。早く見なきゃ」
私は昼ドラが終わるとすぐに画面表示を切り替えてディスクを機械にセットした。しばらくして、テレビの暗闇から英字が浮かび上がる。
90年代のアメリカ映画で、ナチスの足音が忍び寄るドイツを背景に、音楽と躍りに高じる少年たちと、その後を描いた青春映画だった。だいぶ古いが、映画好きの悠一が薦めてくれたことが、借りるきっかけになった。
映画が中頃に差し掛かってきた。学校で行われたナチスの教育授業で、少年の一人が自分の父親を密告し、その夜、家にやって来た憲兵に父親が連れていかれるところを少年が階段から冷たい目で見つめていた。
「父親も可哀想だけど、この子もかわいそうだね。ナチスなんてなければ、この子はとても素直ないい子に育ったはずなのに」
母親がそう口にしたその時、私の頭の中で、幾つもの記憶の断片が、歪で独立した形から整合された一つの体系へと変化していった。
私は図書館へ出向いた。事件当時の新聞記事をフィルムリーダーで目を通す。
首無しの死体に、死体解剖から明らかになった糖分の過剰摂取。
私は、確信した。




