第一次プレシシオ継承戦争
少しダレるかもしれません。
しかし、この話は重要です。
1648年の5月から8月にかけて、ニファーナ王国とスベンノ王国との間で土地の継承権をめぐる戦争が起きた(第1次プレシシオ継承戦争)。
同戦争は、1648年の3月末にニファーナ王国のシャーロ王妃とその第二子グラゼルダ王女がスベンノ王国領土であるヴォレオ(ヴォレオ伯には元ニファーナ王国の公爵家の女が嫁いでいた)の継承権を主張したことを発端にする(いわゆる“灰色の脅迫”)。
当時のスベンノ王ディノガレス3世は、国力の差などの理由からこの主張に対して強気に出られず、またその弱腰な態度から国内の貴族の反発を受けて失脚。新しくフラウ家の元公爵、シャヴァニュ2世が王位についた。
シャヴァニュは、国内の魔法、剣術を含めたあらゆる戦力をまとめ上げ、5月初めにニファーナ王国に宣戦布告。
当時、ニファーナ王国とスベンノ王国との国力の差は3倍以上であったとされるが、シャヴァニュは、祖国に対して燃え盛るほどの愛を持つ国民性に目をつけ、士気を高めることによって対応した。
開戦以降は、ライル・トレンザの戦い(5月)や、アストの戦い(5月)、ウィゴローの戦い(6月)など、激戦が続き、両国には疲弊が募っていった。
そんな中、7月末にニファーナ王宮でシャーロ王妃が謎の変死をしたことから、状況は一変。
元は王妃と王女の暴走が原因とはいえ、弱国に負けるわけにはいかないニファーナと、押せ押せムードのスベンノとの最後の決戦の舞台とされたのが、あの有名な「ルルヴァニアの戦い」である。
なお、ルルヴァニアの戦いまでの死傷者の総数は両軍合わせて15万程度であったとされる。