8.そういうわけでまずは相談
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「というわけなんだけど、どう思う?」
「私にはどうしようもないと思います」
アイちゃんはノートから顔も上げずに即答した。
大学構内の図書館。たいていいつもアイちゃんはここにいるから、今日もいるかなと来てみたらやっぱりいた。いてくれた。今日もノートと数冊の分厚い本を広げて小さい字で細かく書き写している。
「私には見えませんから。工藤さんの見えるもの」
「何かいいアイデアないかな? 二人をいい感じにできる方法」
「御覧の通り私は今忙しいんです主に明後日までに提出のレポートで」
「ウチは江ノ島君と面識ないから、いきなり話しかけたら完全に不審者だもんねえ。怪しまれるとマズいからなあ」
「……ほんっとにあなたはいつもいつも人の話を全く聞きませんね」
ようやくアイちゃんが顔を上げてくれた。その半眼がウチの顔に据えられる。あはは、と笑うとアイちゃんは大きくため息をついた。
アイちゃんは、ウチの生まれて初めての友達だ。それまでは一人も友達のいなかったウチが、今ではアイちゃんを含めて三人もの友達を得られたのは、全てアイちゃんのおかげと言って間違いない。同じ大学にアイちゃんが進学してきてくれてよかった。
しかしながら、悲しいかな、ウチはアイちゃんの本名を知らないのだ。教えてくれないんだから仕方ない。
ちなみに、アイ、というのはウチの命名だ。理由はそのままアイちゃんの目。アイちゃん、眼力がもの凄まじいのだ。人も殺せそうな眼力なのである。アイちゃんと呼ぶとLOVEの和訳みたいで嫌ですってアイちゃんはあからさまに嫌な顔をしてくれるけど、それでも名前を教えてくれないんだからどうしようもない。
というわけで、アイちゃんだ。
困ったときのアイちゃん。
「で、どうしよう?」
「ですから、私に訊かれても困ります」
言いながらも、アイちゃんはペンを置いてくれた。諦めたとも言う。
「それはあなたの領分でしょう。私にできることはありません。全くもって皆無です」
「いやあでもさ。三人寄れば文殊の何とかって言うじゃない?」
「三人もいないじゃないですか。ていうかあなた一体いつ勉強してるんですか。いつもそうやってフラフラしてますけど。この大学、進級も結構難しいはずですよ。まさかお金でも積んでるんですか」
「いやそんなことはないけどね」
笑ってごまかす。アイちゃんはため息とともに呆れの視線を向けてくれる。そうするとアイちゃんの眼力はますます鋭さを増した。
「三人……三人目ですか」
ふと、アイちゃんは何かを考える目になった。
「あ、何か思いついた?」
「いやそういうわけじゃないんですけどね……そう、あの子に相談したらどうです? こういうのは。あの子は確かこういうの得意だったでしょう」
「あの子?」
アイちゃんは頷いて、立てた人差し指をくるくると回した。考えながら何かを話すときのアイちゃんの癖だ。
「ほらあの、この間は眼鏡かけまくりで、その前は指輪しまくりの女子高生」
「ああ、エーカちゃんね」
まあウチとアイちゃんの共通の友達と言えば、エーカちゃんかフランソワ君しかいないわけだし。
というかそれでウチの友達全員なんだけど。
「エーカちゃんって、探してるときってなかなか見つけられないんだよねえ」
「どこかで聞いたことのある話ですね……」
はあ、とアイちゃんは吐息した。
「まあ……気を長く待てばいいんじゃないですか? 別に急がないんでしょう?」
「いんや。ここしばらく、ずっと諦めてない人がいるらしいんだ。だからその人が決心してフられる前に、決着を付けたい」
「決着ねえ……」
くるくると、アイちゃんはペンを手の中で器用に回した。
そして、ふとノートのページを改めて、何かを書き始める。
「要は、その江ノ島君という人が、その亡くなった古崎さんという人から離れればいいんですよね。……どんなことをしても言っても、結局はその江ノ島君の問題です。江ノ島君の心次第なんですよね。江ノ島君が納得しなければなりません」
すらすらと綺麗な字でいくつか箇条書きで書いていき、書いた端から横一線を入れて消していく。
「普通は自然に離れていくのを待つべきなんでしょうが……五年経っても変わらないなら、それはもうしばらく待ったところでかなり時間がかかりそうですよね」
十個近く並べてから、結局全部削除してしまったアイちゃんは、ペン先でトントンとノートの隅を叩き始めた。
「私たち――もとい、あなたにできることは一つしかありません。一応確認しておきますが、あなたに見える古崎さんを江ノ島君に見せる方法はないのでしょう?」
「んー………ないね」
どうしたらいいのかさっぱりわからないし。
イタコ的シャーマン的スキルは一つも知らない。
「じゃあやっぱり一つです」
すらすらと、アイちゃんは箇条書きの一番下に一文を書いた。
「『古崎さんの言葉をあなたを通して江ノ島君に伝える』。あなたにできるのは、このくらいでしょう」
「んー………かなあ」
アイちゃんは頷いて、ペンを投げ出した。
「ただ、この方法にはどうしようもなく大きな問題がありますね」
「問題?」
「胡散臭い」
すぱっとアイちゃんは言い放った。
返す言葉もありません。
「考えてもみてください。ある日突然見も知らない赤の他人から、『あなたの亡くした恋人の言葉を伝えます』なんて言われたら」
「とりあえず聞くかな」
「ああ、あなたならそうするでしょうね」
アイちゃんはまた深くため息をついた。
「ため息ばっかりついてると、幸せが逃げてくよ?」
「誰のせいですか」
じとっとした目でこちらを見るアイちゃん。
「私なら、いきなりそんなことを言われたなら、取りあえず警察に通報しますね」
「ラジカルだね」
「それから病院を紹介しますよ。とにかく、普通の人ならそんな胡散臭い台詞は全く信用しないだろうということですよ」
「やっぱりそうかなあ」
「ましてあなたならなおさらですね」
サクサクと切り落としてくれるアイちゃん。手厳しいね。
「やっぱりここは、あの、エーカちゃん、でしたっけ? あの子を探した方がいいでしょうね」
「んー……でも何でエーカちゃん?」
アイちゃんは椅子の背もたれに寄りかかり、ラフな体勢になった。
「あの子はどうしようもなく胡散臭いのに、なぜかもの凄く説得力ありますからね。そのコツでも訊いてみればいいんじゃないですか。いきなりそんな電波なこと言っても怪しい宗教勧誘だと思われないのは、あの子くらいなものでしょう」
「成程」
でもそんなにそんななのかな、エーカちゃん。
ミステリアスなクールビューティだとは思うけど。実際謎めいてるし。神出鬼没だし。
「――ん。かなり視界が開けてきたよ。さすがアイちゃんだ! ありがとう!!」
ウチが満面の笑みでお礼を言うと、アイちゃんはまた深いため息をついて、しっしっと追い払う手つきをした。
「さっさと行って下さい。私は早くこれ終わらせたいんですから」
「ん、ほんとにありがとうね。また何かあったら訊きに来るよ!」
「来ないで下さい」
しゅぱっと切り捨て、またため息のアイちゃん。ウチはちょっとだけ申し訳なくなって、
「ため息が絶えないねえ」
「全くです」
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