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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
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第五章《迷霧》:嘘と噂と(1)

虫の声が聞こえる。

少女は軽い喉の渇きを覚えて目を覚ました。枕元の時計に目をやって、その後小さく息を吐く。――午前二時。丑三つ時、というやつだ。考えて思わず身震いする。

少女は夜の闇が苦手だったが、この“学園”で生活するようになって少しは慣れた。夜の孤島に届くのは星の明かりだけであったし、消灯時間を過ぎれば校舎には非常灯しか灯らない。こうして夜中に目を覚ましてしまえば、嫌でも暗さと向き合うことになった。


(喉が、渇いた)


もう一度思ってベッドを抜け出す。そっと覗き見た先ではルームメイトがすやすやと眠っていた。起こさないように気を付けて部屋から出る。寮の一階、あの自動販売機は深夜でも使えたはずだ。

…………たん。たん。

階段を下ってゆくたびに自分の足音が反響した。二段下は見えない、その暗がりは居心地が悪い。懐中電灯を持ってくれば良かったと、少女は僅かに後悔する。

何とか無事に一階の床を踏みしめた時には思い切り安堵の息を吐いた。薄明かりが灯っているであろう自動販売機の在処まで、あと角を一つ残すだけとなる。


(……?)


しかしその瞬間、不意に少女の耳が音を拾い上げた。

話し声、だろうか。囁くように小さなそれは、彼女の目指す先から聞こえている――どうやら先客がいるらしい。

少女は角からそろりと顔を出してみた。会話の内容は聞こえないが、確かにいくつかの人影が照らしだされている。

誰だろう、思って少女は首を傾げた。同じ寮棟の人間ならば多少なりとも見覚えがあるはずなのに、目の前のシルエットは誰とも一致しない。


(……もう少し)


心持ち身体を前のめりにして、よくよく目を凝らしてみる。だいぶ闇に慣れた少女の瞳が、そこにいる人物をはっきりと捕らえた。

――初めて見る少女たち、だ。確認できたのは四人で、一人は金色、もう一人は銀色の髪をしていた。残る二人は恐らく黒で、うち片方はそれが腰よりも長く伸びている。

――だれ?

問い掛けた声は喉の奥に貼りついてしまった。その長い黒髪の少女が、音もなくゆっくりとこちらを振り返ったからだ。

真直ぐに絡み合う、視線と視線。闇より深い瞳の黒。肌は白く抜けるように、その唇が何かを。


「……アリサちゃん?」

「うひゃあぁあぁあぁぁッ!?」


ぽん、と突如後ろから肩を叩かれて、少女は勢い良く声を上げた。悲鳴というよりは奇声に近い。

涙目になって振り返った彼女――亜梨沙の目の前に、柔らかな金色のウェーブが広がる。よく見ればそれは髪の毛であることがわかった。ぐっすり寝ていたはずの、亜梨沙のルームメイトの。


「ま、マリア……」

「どうしたんです?」


こんな時間にこんな場所で。言外にそう問われて、はたと亜梨沙は目的を思い出す。


「お茶買いたくて……そしたら、見たことない子がそこにいたもんだから」

「何処に?」

「……え?」


亜梨沙は目を瞠った。

慌てて視線を戻した先には自動販売機が無言で陳列している。薄明かりの輝くその空間には、誰一人として見当たらなかった。




*




“学園”の制服はバリエーションが豊富である。自由を尊んだ学園創始者が、生徒に制服をも選択させようと考えたのが事の始まりらしい。

女子の制服は大まかにブレザーとセーラーの二種。その中にもデザインの違いがあり、上着が五種、セーラーも襟の型が三種、スカートも五種、リボンとタイは合わせて十種になる。その他数種ずつ存在する靴下とベスト、セーターの全ての組み合わせを考えれば、合計一万三千五百通りもの着方をすることが可能なのだ。


「……ンなに着るわけねーだろ!」


亮平の“制服談議”に付き合わされていた駿がとうとう突っ込みをいれた。与えられた部屋の中、荷物の整理はまだ終わっていない。疲れた様子の駿に亮平は首を傾げながら、あれそれって呆れるポイント? などと呟いている。


「普通ヤローどもは喜ぶ場所だぜこれ。一つの学校で何種類もの制服を堪能できる、すごくね?」

「制服ごときに無駄な労力を使うことがすげェ」


駿は思わず半目になった。変な所ばっか金使いやがって、と心の中で上司をねめつける(これを考案したのは上司の義父だが)。

事実“学園”で生活する生徒は多種多様な制服を身につけていて、全員が同じ学園に通っているとはとても思えない状況になっている。女子などはお洒落の感覚で制服の組み合わせを楽しんでいるようだが、全種類を着尽くす者などいないだろう。


(まァ、お陰でやりやすいんだけど)


駿は自分の着ているものを見下ろした。男子の制服も女子ほどでないにしろ、多数のパターンが存在する。何種類にもなる制服を見慣れている環境にあれば、多少の違いには皆気付かない――それが制服として登録されている物でなくても、だ。

駿は自分の付けているネクタイにそっと触れる。見た目は亮平の物に似せてあるが、実際は。


「制服好きには堪らない環境だろー」

「……暇なんだな」

「つーか娯楽が欲しいの。まっとうな青少年ですから」


腐ってんな青少年。小さく落とされた駿の言葉は届かなかったらしい、亮平が上機嫌で続ける。その言葉に駿は今度こそ、思い切り脱力した。


「ってわけで今度お前も行くからな、女子寮潜入」

「何が“ってわけ”なんだ」

「男の園に娯楽を持ち帰ってこい」

「腐ってる………」


こいつの頭が。

露骨に嫌な顔をした駿を宥めるかのように亮平は笑う。逃げようったって駄目だぜ武藤、これは規則だから。


「規則?」

「そ! うちの棟の伝統でな、新入りは皆やらされるわけ。洗礼みたいなもん」


実に不純な洗礼バプテスマである。制服の似合う可愛い子と知り合ってこいよ、あっけらかんと言って亮平は笑った。

駿はそれに軽い頭痛を覚える。自分はここへ何をしに来たのか、あまりに馬鹿馬鹿しくて忘れそうだ。

こめかみを押さえれば本当にズキリと痛んだ。最悪。


「狙うなら第五棟かな。本当は四棟が人気なんだけど、あそこの寮長ガード固いんだ。ウィル……なんたらっていうんだけど」

「そりゃ普通はな……」

「寮長自身も綺麗な顔してるし、マリアって子は人形みたいに可愛いってんで俺の友達が狙ってる。元気なのがお好みなら東海林とか志田とか? 清楚な純和風なら黒沼と鮎村だな、あとは――」

「……黒沼?」


ふと聞こえた単語に駿の眉が動いた。

そう、くろぬま。亮平は繰り返して首を傾げる。それがどうかしたか?


「……いや」


なんでもねェ。

駿が首を横に振ったところで、部屋をノックする音がした。だれぇー? 間延びした声で応えた亮平の口が閉じる前に、ばたんと勢い良くドアが開く。


「亮平! ……と、悪ィ、誰?」


開け放たれたドアが可哀想な悲鳴をあげた。部屋の中に首を突っ込んだまま、来訪者が眉を寄せる。

自分と同じ年頃の少年だ。この寮の人間なのだろうと駿は思った。


「こいつ武藤。ルームメイト」

「あぁ、なーる。じゃあお前も来てよ」


サッカーの試合の人数が足りない。早口でまくしたてた少年に亮平もろとも部屋から引き摺り出されて、駿はぽかんと相手を見つめた。拒否する間もなく扉は閉じられる。がちゃん、心得たように鍵を掛けたのは亮平だ。


「何なんだよ一体……」


すっかり疲労困憊の駿を見て亮平が笑った。急げと言い捨てて走り出した、謎の少年は亮平の前のルームメイトらしい。あいつは山岡だよ、と亮平が説明する。


「あいつサッカー部。人数は常に足りてねぇんだ、手伝ってやってよ」

「マジかよ……俺、先に行きたいとこあんだけど」

「んー、わかった。サッカーグランドは中庭にあるから」


用が終わったら来いよ。

笑いながら言って、亮平も山岡とやらの背中を追い掛けていった。駿はそれを最後まで見送って、すっと踵を返す。

周りに人がいないのを確認してから首元のネクタイに手をやった。一見何の変哲もないそれは、よく見ると僅かに妙な厚みがある。裏返せば小さな穴が開いていて、スピーカーが覗いていた。


『……――シュン?』


カチリと音がしたのは、彼がそのスイッチを入れたからだ。途端に小さなノイズが零れ、それに混じって人間の声を吐き出す。


「ワリ、遅くなった」

『別に平気だけど。そっちはどう?』

「ちゃんと“生徒”をやってるさ。ご丁寧に登録までして、部屋まで割り当てられたぜ」


投げ遣りに言えば、小さな通信機の向こうからくすくすと声が漏れた。

笑いやがってと思っても言わない。我ながら滑稽だと、駿は自覚していたので。


「それより今夜も集まるんだろう、見つかるなよ」

『あー、それなんだけど』


実はもう見つかっちゃったんだよね。

相手の告白に駿は目を見開いた。通信機を片手に思わず声を荒げる。


「はぁァァ!? いつ!!」

『昨日の夜……もう今日の朝、かな。一人起きてた子がいて。でも話の内容は聞かれてないし、たぶんあたし達のこと生徒だと思ってくれてるし』


だから大丈夫、と続けられた言葉に少年はほっと胸を撫で下ろした。“目眩まし”の自分が働く前に“実働部隊”が公になっては意味が無い。


「……今日は俺も行くから」

『場所は?』

「聖堂だって聞いてる。……ヘマすんなよ、チトセ」


ぷつり、と切断の音がした。ただのネクタイに戻ったそれを少年は整える。

ふと顔を上げれば、こちらに真直ぐ歩いてくる人影がみえた。駿は僅かに顔をしかめる。聞かれてはいなかったと、思うけれど。


「ねぇ、君」


相手は駿の前まで来てぴたりと止まった。話し掛けられているのは自分らしい、悟って駿は渋々視線を合わせる。

……妙な出で立ちの少年だった。老成した雰囲気があるので、青年、にも見える。顔の輪郭を隠す柔らかな赤毛。小綺麗なシャツとネクタイは“学園”の制服だろうが、何故か片眼鏡を着用していた。


「中庭には何処から出られるか知ってる?」

「……あ? もしかしてサッカーでもすんの?」


思い当たる節があって尋ねればビンゴだったらしい。相手はこくりと一つ頷いた。誘われたんだ、と彼は笑う。


「あー……。じゃ、ついて来れば。俺も行くし」

「本当かい?」


ありがとう。にっこり微笑まれて駿は面食らった。日本語は流暢だがどうもこの相手、空気がおっとりしている。いったいどの国のお坊っちゃんだ。


「君、名前は?」

「……武藤、駿」

「シュン、シュン君だね」


シュン君。その呼び方に大嫌いな男の顔が蘇って、思わず駿は顔を引きつらせた。こいつ、市原みてェだ。


(逃げたい……)


その反応は最早条件反射に近い。落ち着けコレは別人だ、言い聞かせる駿の目の前にすっと掌が差し出される。礼儀正しく一礼して、彼は駿に握手を求めた。


「俺はウォルディ。ウォルディ・レノ・ファンダルス」


よろしく。

にこりとウォルディは微笑みを浮かべた。


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