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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
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第五章《迷霧》:孤島の檻(1)

朔月の晩だった。星の瞬きが僅かに届いて反射した、穏やかな波を一隻の船が割る。低いエンジンの唸りを上げて進む、それはまるで意志を持った生き物のようだ。

その甲板上にはいくつかの人影が点在していた。揃いの黒い衣服に身を包んだ彼らは、背丈だけはてんでばらばらである。そのうちの一人、まだ幼さを残した少女が困惑したような声を上げた。


「……なんですか、これ」

「制服」


答えた声は何故か憮然とした響きを帯びている。良いから持っとけ、言って声の主はそれを少女の腕に押し込んだ。それで何かを悟ったのだろう、少女が驚いたように目を見開く。


「む、無理! 聞いてない……!」

「文句ならロヴに言えよ」

「無理だってば!」

「……ねーまだ着かないのぉ?」


横から割って入った別の声に、制服の入った袋を押し付け合っていた二人ははたと顔を上げた。振り返れば銀色のツインテールが船の照明に照らされている。退屈そうな表情の目蓋は眠気のためか、半分落ちてしまっていた。


「お前はさっきからそればっかだな、ローザ」

「だって暇なんだもん」


ふわぁぁ、と大きな欠伸を零す少女に苦笑を洩らしながら、少年が一点を指差した。見てみろよ、そう言う彼の指先には果てしない水平線が美しく伸びている。しかしその中央に、今までは見えていなかったものが現れていた。

山のような形が浮かび上がる凹凸の影は、そこに陸がある証拠だ。水面から突き出した小さな島が、船の前方に浮かんでいる。


「……もう着くぜ」


彼らを乗せた船は、真直ぐに孤島を目指して進んでいた。


――エリニュエス=グロリア。


誰も知らない、その場所の名。







(グローリア! グローリア!)


(貴方の生と死に栄光を!)













『これが私の世界だから』5












朝日の匂い。

柔らかな陽光がカーテンの隙間から差し込んでいる。時計のアラーム、小鳥の囀り、ルームメイトのシャワーの音。何の変哲もない、いつも通りの朝だ。

体温でぬくまった心地よい布団の中で少女は身動ぐ。寝返りを打つのと同時に、古くなったベッドのスプリングがぎしりと軋んだ。薄めを開けて光を取り入れようとしたが、眩しさに負けて直ぐに閉じてしまう。

まだ、起きたくない。


「さなァァ! シャワー壊れた!!」


ばたぁん、けたたましい音を立てて寝室に飛び込んできた相棒のお陰で一気に目が覚めた。

え、ホントに? 寝呆けた声で問えば相手は勢い良く返答する。


「マジマジ、どうしよう水しか出てこないてか寒ィんだけど死ぬ!」

「服着れば……」


もそもそと布団の中で再び身体を捻って、それから思い切り伸びをした。今日もまた、同じ事を繰り返すばかりの一日がはじまるらしい。

賑やかなルームメイトに急き立てられるようにして、五十嵐沙南いがらし さなは起床した。




*




シャワーの不調を知らせるべく訪ねた先で寮長は不在、仕方なく沙南はルームメイト――名を愛、という――と連れ立って朝食をとりにやって来た。

普段閑散としているはずの朝の食堂は、今日に限って賑わいを見せている。不思議に思って首を傾げた沙南の横で、あぁ、と愛が呟いた。


「今日って“入れ替え”の日なんじゃん? ほら、寮長が集まってる」

「あー……」


そういうことか。沙南も頷いて席に着いた。

彼女達の通うこの“学園”は全寮制にも関わらず、人の出入りが酷く激しい。どんな時期でもどんなに複雑な事情を抱えていようとも、莫大な入学金さえ支払えば入学可能だということは誰もが知っている事実だった。三ヶ月に一度は今日のように、新入生を迎え入れる“入れ替え”の日がやってくる。勿論出ていくことだって可能だ。行き先があれば、の話だが。


「また入ってくるんだ」

「そーいや今回は多いって噂が」

「へぇ」


愛から与えられた情報に沙南は目を丸くした。今までは多くとも、一度に三人程度だったのに。


一言で言ってしまえば、“学園”は特殊だった。

頻繁な入れ替えのせいで全生徒数ははっきりしないが、三棟ずつの女子寮と男子寮からなる“箱庭”と学園の本校舎が学生達の生活の全てだ。沙南は場所を知らないが、何処かに教師用の宿泊施設もあるらしい。

生徒の年齢は主に十五歳から十八歳(高等学校生の一般年齢)だが稀に、そこに当てはまっていない者も存在する。下は十二から上は二十過ぎまでと様々だ。そのせいか学習カリキュラムも特異で、生徒は自ら学びたい授業を選択する形になっている。

入学方法は二種類――先ほど述べたように入学金を積む方法の他に、“特別選抜”と呼ばれるものがあった。実は沙南も愛も、この選抜生である。

言うなれば一芸入試だ。

こちらの枠で入学したものは、入学金授業料、寮での生活費その他諸々全てが免除になる。片親で金銭的に苦しく、進学を諦めていた沙南にとってこの話はありがたかった。大学受験に向けて勉強を進めておけば、そちらの費用も学園が援助してくれるのだという。沙南がここに入学した理由など、ただそれだけなのだけれど。


「あ、うちの寮長みっけ」


愛が指差したほうを見れば確かに、見覚えのある顔が座っていた。寮長は各棟に一人ずつ、計六人存在する。沙南の所属する第四棟(前半三つは男子寮だ)の寮長は日本語の達者な外国人だ。銀色の髪が一際目を引いている。

――“学園”には様々な国籍の持ち主が在学しているが、約六割は日本人だ。よって日常会話も殆どが日本語である。

日本人が多いのは当たり前、何故なら“学園”の所在地は日本ということになっているからだ。けれど沙南は、それに疑いを持ち続けている。

こんな場所が、日本だなんて。


――この“学園”は、名も知れぬ海上に浮かぶ孤島の上に建っている。

否、正しくは、孤島そのものが“学園”なのだ。


電波が届かないからテレビも携帯電話も使えない。船が無ければ島を出ることさえ出来ない。申し訳程度に花は咲くが、四季を感じるほど温度の変化は訪れなかった。この島が日本の領地であると、誰が説明できるだろう? 


「沙南、食べんの遅い」

「……ごめん」


食べかけになっていた朝食のメニュー、クロワッサンを喉の奥に押し込みながら沙南は思う。

この島は異空間なのだ。海に囲まれた孤島の中で、“学園”という一つの世界が完成している。

この檻の不自然さに気付かぬ者はいないだろう。けれどそれに異論を唱えたり、脱出を試みる人間が現れないのは、皆他人には言えない理由を持っているからだ。

たとえ軟禁状態であっても、外部との連絡が一切取れなくても。この場所がなくなっては、困る理由が。


「ほら、ロアのとこ行くよ」

「ん」


寮長の名を呟いて愛が立ち上がる。沙南はこのルームメイトについてでさえ、名前と年齢と特技くらいしか知らない。お互いの詮索は一切しない、それが此処の暗黙のルールだから。


(あと、一年ちょっと)


一般的な高校に通うのと同じように四月に入学した沙南は、三年経てば此処を出て日本の大学に進学する。入学してからもうすぐ二年になるが、卒業まではひたすらこの島で毎日を過ごさなければならない。


「……無事に過ごせるかな」

「何か言ったァ?」

「べっつにー」


退屈なだけならばまだ良い、平和な証拠だからだ。でもこの“学園”は、普通じゃない。

沙南はそっと息を吐いた。日頃から抱いていた嫌な予感が的中することを、この後彼女は知ることになる。




*




東海林愛しょうじ あいは類い稀なる運動神経をその身体に持ち合わせた、スポーツ万能の少女であった。特に力を発揮するのがバスケットボールで、この“学園”へもその腕だけで入学を決めたほどである。勿論この島にいるのだから、一筋縄ではいかない事情あって故の決断だ。


毎日の朝練をこなしている彼女は、練習後のシャワーも日課としている。本日はそのシャワーに謎のトラブルが発生した為にルームメイトを叩き起こす結果となったのだが、お陰で二人共いつもより早い朝食にありつくことができた。

よって今の愛は至極機嫌が良い。身体が資本だと公言して止まない彼女である、沙南が呆れたような目で見ていたが気になどしなかった。


「絹ちゃん発見! モーニン!」


勢い良く開けた扉の先、一限の教室に見知った姿を見つけた愛がハイテンションで挨拶する。続いて扉をくぐった沙南もその目で相手を確認した。

並べられた椅子と机の中央辺り、行儀良く腰を下ろしている少女は半年前の“入れ替え”時に入学した生徒だ。名を、鮎村絹華あゆむら きぬかと言う。

黒目がちの瞳に白い肌、おかっぱ頭の組み合わせは今時珍しく、着物を着せてしまえば日本人形そのものだろう。

入学以来真面目に授業に出ている絹華は、すぐ愛や沙南と親しくなった。固定のクラスを設けない“学園”では寮が一緒だったり、同じ授業に出ない限りは他人との交流が無い。そう言う意味で絹華は、二人の貴重な友人であると言えるのだ。


「ね、今日のお昼一緒に食べよ」


朝っぱらから昼食の話を振る愛に、沙南と絹華は苦笑を洩らす。

うん、と頷きながら絹華はここには居ない者の名前を上げた。


「ミドリとカオルも来ると思うよ」

「あ、じゃあちょうど良いや。ロアも誘ったんだ」


シャワー壊れちゃってさぁ、さっき修理申請頼んできたんだよね。

朝の顛末を説明しながら愛が笑う。それに相槌を打ちつつ沙南も口を開いた。


「じゃ、今日は“あれ”のメンバー揃うね。ロアがモモセを連れてくるって言ってたから」

「わぁ」


絹華がぱちぱち手を叩くのと同時、漸く始業のベルが鳴った。




第五章突入です。もう暫らくのお付き合いをいただければ幸せに思います。

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