表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第四章《慟哭》
93/215

第四章《慟哭》:レクイエム




(――大好きなあなたへ)















「何してんだ?」


突然の声に駿が振り返れば、後ろには不良少年。脱色された髪とピアス、着崩した服はいつものことだ。厄介な奴に絡まれた、駿は嘆息する。


「うわ、シケたツラしてんなぁ。寝不足? 女不足?」

「……言うに事欠いていきなりそれか、ハル」


思いきり顔をしかめた駿を見て、日向ハルは煙草を加えた唇をにかりと曲げてみせた。

それを見て唐突に、なんだか平和だと駿は思う。――ハルが日本遠征組の一員として“殺人鬼”の疑惑をかけられていたのは、もう一月も前の話だ。今やルシファーはその傷跡を感じさせる事無く、完全に復興を遂げている。進んだ、のだろう。今更確認するまでもなく。


「聞いたぜシュン。お前次の任務決まったんだろ」

「……まぁな」


同年代であるハルは駿にとって、“仲間”よりは“悪友”に近いカテゴリーに分類される人間である。任務が入ったからといって特に別れを惜しみあうような間柄ではないし、それが自分たちには合っていると思った。

駿は自らの足元を見下ろす。古びたトランクと散らばった服、それから任務の詳細書。彼は今まさに次の任地への荷造りをしていたのだった。


「ま、頑張れよー。せいぜい学の無さを曝さねぇように。むしろ曝せ」

「うっせ。中卒のお前には言われたくねぇよ」


憮然とする駿を見てハルはからからと笑う。次の任務に赴くのは、実は駿ではなくハルでも構わなかった。最終的な決め手となったのはハルが遠征続きになってしまうということと、ほんの少しの“学”の差だ。たといどんぐりの背比べであろうと、駿のほうが僅かに適応の可能性があったのである。


「シュンは高校中退だもんなー。俺よりゃマシか」

「……うるせェよ」


ハルはもう一度笑うと、懐から煙草を一箱取り出して駿の手に押しつけた。なんだよ、と駿が眉を寄せて首を傾げる。


「餞別」

「いらねー……」

「俺の元気のモトを分けてやるつってんだから。素直に受け取っとけ」

「……お前ぜってー肺癌になんぞ」


俺吸わないんだけど。

呟く駿の肩をぽんと叩き、ハルはそのまま背を向けた。駿に向かってひらひらと手を振りながら彼は言う。


「妹に会えると良いなー」

「……………。」


言葉に詰まる彼を見て、ハルが内心ほくそ笑んだのは言うまでもない。これでまたしばらくはシスコンをネタにからかう事が出来るだろう。

駿が自らの失態に気が付いたときには、不良少年は既に部屋から出ていくところだった。




*




「ねぇジェミニカ。ルカ、知らない?」

「さぁ……?」


問われたジェミニカはサバイバルナイフの手入れを止め、声の主を見やる。ミクは小さく溜め息を吐くと困ったように笑った。


「こんな時にどこ行っちゃったのかしらあの子。そろそろ――」

「……“学園”ね?」


ミクは小さく頷いた。察しの良い彼女は、ミクがみなまで告げずとも理解しているようだ。


「ようやく“ツネヒコ”を捕獲する算段が整ってね。やっとけりをつけられるわ」

「その話なら私にも来たけど。まさか学園だったとはね……」



灯台下暗し、なんて言葉がどこかの国にあったはずだとジェミニカは思う。長年ルシファーから逃げおおせてきた一人の男を誉めてやりたい気分だった――よくもまぁ何年もの間、身を潜めていられたものだ。


「まぁ、学園にいるのは本人じゃないかもしれないんだけど」

「あら、そうなの?」


外回りの多いジェミニカは最近本部に帰還したばかりで、幹部といえども詳しい事情には精通していなかった。実働派である彼女にとって、この際詳細はどうでも良い。きっちり仕事をこなせるか、が重要なのだ。


「頼りにしてるわ、ジェミニカ」

「了解……でも」


私本当は小学校の教師なのに。

ぼやくジェミニカに、仕事だものとミクは笑った。次の任地へはルシファーの主力を総動員する。それ程に重大なものを、“ツネヒコ”が握っているのだから。

取り返さなくては、ならない。


「そう言えば気になる噂を聞いたのだけれど」

「うん?」


ふとジェミニカが声のトーンを下げる。つられてミクも小声になった。


「――“オミナエシ”が出たって」


神妙な言葉にああ、とミクは頷いた。そちらもそろそろ片付けなければならない問題だ。相手の出方次第だが、ことによってはあのカーマロカ以上の脅威になり得るだろう。その為にも、ツネヒコの件は早く片付けてしまいたい。


「まだ確信はないけどね。動いただの覚醒しただの、噂だけは聞くようになったわ」

「……チトセちゃんは」

「本物ね。でも、本人は知らない」


可哀想な子、とジェミニカは呟いた。因果な娘だ。生まれながらにしてそれを背負っている。


(……黒沼)


まさかとは思っていたけれど。ひとりごちてジェミニカは眉を寄せた。あの子供がそうならば、あの土地の話も単なる伝説ではないということか。


「ロヴはオミナエシと片を付けたがってるから、現れてくれても問題はないわ」

「でも」

「大丈夫。――あの子を失う気なんて無い」

「……そう」


ジェミニカが安堵したように笑ったのを見て、ミクも小さく笑みを返す。やることは山積みだ。本当に、こんな時にルカはどこに行ってしまったのだろう。


「邪魔してごめんね、ありがとう」

「いえいえ」


ひらひらと手を振る、金髪の少女は気丈そのものだった。踵を返して立ち去るミクの後ろ姿に目をやって、ジェミニカは小さく呟く。


「……もう、仕事なのね」


ルシファー初期メンバーの女が死を迎えた出来事は、まだ記憶に新しい。

彼らの深い絆を知っているだけに、例の一件についてのあまりにも淡泊な対応は、ジェミニカにとって釈然としないものがあった。

でも、心のどこかではわかっているのだ。きっと、それは。






「どうした」

「ルカにちょっと、ね――いないわね……」


ジェミニカのいた部屋を後にしたミクは、〈ハングマン〉に与えられた私室へとやってきていた。しかしそこに居たのは僅かに驚いた様子のエヴィルだけで、ルカの姿はどこにもない。

一方通行だ、とミクは思う。ルカはいつも組織員全員の居場所を把握しているのに、当の本人は決して自分の居所を知らせようとしないのだ。

――いつか彼女は消えてしまうんじゃないだろうか。独りきりで、誰にも知られる事無く。

ふと浮かんだ嫌な考えを掻き消そうとミクは首を横に振る。疲れたようにソファーに腰を落とした彼女を、怪訝な目付きでエヴィルが眺めた。


「用なら俺が伝えておく」

「ううん。自分で言う」

「めずらしいな。いつも面倒臭がるくせに」


心底不思議そうな表情のエヴィルに、ミクは小さく笑う。どうも今日の自分は、らしくないことをしているようだ。


「心配してるのよ、これでも」


苦笑混じりに言えば、そうかとエヴィルのいらえが返った。何を、とは彼は聞かない。


「――ルカが接触した男の名は“サブナック”……十中八九、カーマロカの組織員だったわ」

「……ああ、お前も行ったのか」

「事後処理にね」


ソファーに身を沈めたままミクは頷いた。

ルカの仕事は確実だが荒い。一般的な常識や倫理道徳がやや欠落した彼女は、“仕事の証拠を残さない”という考えを持ち合わせていないのである。

事後処理と称してミクがルカについてまわるのは、そのほうがずっと後が楽だからだ。余計な敵を増やさずに穏便に事を終えるには、目立ったことはしないに限る――面倒事が起きたら起きたで、ルカにとっては何の問題もないのだけれど。


エヴィルはその話にさして興味を示していないようで、適当な相槌を打ちながらミクの隣に腰を下ろした。

お互いの顔が見えない、会話をするには不自然な位置関係だ。意図的なものなのか、そうでないのかはわからない。


「……ねぇ」

「なんだ」

「悲しい?」

「お前は?」


質問に質問で返されたミクは憮然とした顔で黙り込む。二人とも、何が悲しいかなんて、言わなくてもわかっているけれど。


「それは……まぁ。ユリシーズとやらがちょっかいかけてこなければ、サンドラはまだ大丈夫だったのよ。あれはサンドラの望んだことじゃないって思ったら、悲しいじゃない」

「そうだな」

「…………」


さらりと答えるエヴィルを迎え撃ったのは沈黙。確認せずともわかる、横の少女は今青年を睨み付けているに違いなかった。


「……悲しんでるように、見えないんですけど。死んだんだよ?」

「悲しいさ」

「見えない」


思わずハァと溜め息が零れた。この少女が何を言いたいのか、エヴィルにはさっぱりだったのだ。フェアじゃない、と青年は思う。ミクは望みさえすれば、相手の考えなど手に取るようにわかってしまうというのに。


「でも結末は、あいつの望んだ通りだろ」

「それでも」

「…………」


お前な。

僅かな怒りを滲ませても少女は怯まない。それどころか断固とした気配を崩さないミクに面食らって、エヴィルは諦めたように呟いた。


「どうしたら悲しんでるように見えるんだ」

「……泣いてみれば?」

「お前は泣いたのか?」


再びの質問返し。黙り込んだ少女に青年がちらりと目をやれば、不貞腐れたように俯いてしまっていた。

エヴィルは小さく溜め息を落とす。泣く、なんて。


「……泣いて、ない」


そう、ぽつりと零した少女はいつもより数段幼く見えた。泣いてないんじゃない、泣けなかったのだとその横顔が告げている。


「悲しければ泣けばいい、なんて誰が言ったのかしら。泣き方がわかんなかったらどうすれば良いの?」

「俺に聞くな」


零された少女の吐息は憂いを含んでいた。この娘に、こんな表情は似合わない。


「あたしたち、いつからこんな風になっちゃったんだろう……」

「……最初からだ」


物心ついてから泣いたことが一度だってあっただろうか、とエヴィルは考える。

少なくともロヴと出会ってからは一度だって涙を流していなかったし、同時に仲間達のそれも見ていなかった。


「あたし、悲しいっていうより――悔しくて」

「……何故」

「どっちにしろ間に合わなかったかもしれないけれど。でももし、サンドラの異常にもっと早く気が付いてたら……あたし、だけだったのに……」

「――仕方ないだろう」


ミク、だけだったのだ。この組織の中で、サンドラを操作する力に対抗する術を持っていた能力者は。他者の心や記憶に介入できる特異なモノ――ただしそれはまだ発展途上で不安定、実際に通用したかどうかもわからなかったけれど。

サンドラの“リミット”が来てしまえば、どちらにせよもう手遅れだった。それでも悔しいと、ミクは言うのだ。


「あたしにしか、できなかったのに……」

「ああ」

「……悔しい」

「そうだな」


もう、無力だった幼い自分達ではないはずだった。無作為に奪い奪われて生きていた過去とは違う、自らの周りの物ぐらい守れるだけの力を手に入れていた。手に入れていた、はずだった。

だから余計に悔しいのだとミクは思う。涙を流せない自分も、感情を出さない隣の青年も、何だか全てが腹ただしい。


「ロヴだって泣かないわ。馬鹿よね、誰よりも仲間のこと大切にしてたくせに。ルカだって――ルカ、だって」


握り締めた少女の拳が色を失っていた。力を入れすぎたのだろうか、血の気の無いそれは蝋のように白い。


「ルカが、きっと一番辛い」

「……そう、だな」


同じ返答しかできない自分に嫌気がさしながら、エヴィルはただミクの隣に座っていた。この少女がこんなことを言うのは珍しい。激昂することはあれど、その他の感情は滅多に表に出さないのが彼女なのだ。


「ルカもいつか、きっと消えてしまうの」


――ましてやこんな、弱音。

慰めたことなどないからやり方などわからない。ただ大丈夫だと、エヴィルは隣には目をやらずにミクの頭に手を乗せた。子供扱いしないで、と隣から抗議の声。


「大丈夫だ。あいつがグラモアとの約束を守っているうちは、まだ。――大丈夫だ」

「……“まだ”なのね。やっぱり」


影を落としてしまった少女の表情でエヴィルは自らの失言に気が付いた。やはり駄目なのだ、他人に気を遣うなど向いていない。ましてや慰めることなんてできるはずが。


「……あたし、知ってるんだからね。〈ハングマン〉は最後には――」

「……っ、もう、良い」


青年は少女の言葉を断ち切った。もうやめろと言ったその声音には懇願の色が交じっている。

彼らはまだ他人に踏み込まれてはならない領域を持っていた。幼い頃から時を共にした彼らだけがわかる、暗黙の了解だ。まだ知らなくていい。だってこの組織は、まだ進んでゆけるのだから。

なんて不器用なんだろうとエヴィルは思う。自分達は生きることがあまりにも下手だ。はじまりの時点から大きく道を間違っていたのだから当たり前なのだが、それにしても。まったく成長できていない気分になるのは何故だろうか。どうしてこんなに、無力な気がするのだろう。


「全くだわ」

「……読むなよ」

「ねぇエヴィル」

「無視か」


青年の隣で、少女が僅かに震えていた。エヴィルはミクを見ない。ミクもエヴィルを見ようとしない。けれどお互いの様子など、その場の空気でわかってしまう。


「……やっぱ、泣いて」

「……無茶を言うな」

「泣いて」

「無理だ」

「無理でも」

「お前な」

「――泣け!」


鈍い音を立ててエヴィルの脇腹に横から拳が打ち込まれた。青年が顔をしかめる。咄嗟に身構えたお陰で痛みはないがスピードは十分、常人なら悶絶するのではないだろうか。

理不尽な攻撃を繰り出したミクにガキかと呟く。それからエヴィルはもう一度、ミクの頭に手を乗せた。少女は今度は一言も喋らず、されるがままになる。エヴィルはそっと、ほんの少しだけの笑みを浮かべた。


「……なんだ、お前。泣けるんじゃないか」

「…………」


エヴィルに頭をがしがしと掻き回されながら、ミクは黙って涙を流していた。嗚咽を堪えて震える肩、ぱたぱたと落ちる雫。

言われたミクはぎゅうと目を閉じてみる。そっと自らの瞳に指先を当てて、水分を感じるとそのまま顔を歪めた。


「……ひどい、わ、」

「何がだ」


ひどい。もう一度少女は呟く。泣かなければいけないのだと、押し潰されそうな義務感を抱いていたのに。

それでも流されることの無かった涙が今こんなにもあっさりと溢れたことに、感じたのは酷い虚無感と無常だけだ。

なんて、ひどいんだろう。こんな、こんなの。


「こんなの、嫌」

「何が」

「こんな……っ、あんたも、泣いてくれないと」

「……あ?」

「あたしばっかり、弱い、みた、いじゃない!」


理不尽なことを言っているのは、自分でもわかっていたけれど。

泣くという行為がこんなに大変だなんて知らなかったと少女は思う。溢れだした涙は止まる事無く、まるで気管にまで入り込んでしまったように呼吸の邪魔をしていた。止め方もわからない。

ミクは思い通りに行かない体に困惑しながら息を吸った。まるで自分の体じゃないみたいだ。頭の芯が熱を持って痺れている。


「……下手なんじゃないのか、泣き方」

「うるさいっ」


幼い子供のようにごしごしと目を擦り、ミクはエヴィルに背を向ける。このままでは赤く腫れてしまうだろう。

情けない。恥ずかしい。そして悔しい。こんな自分を見せてしまったことも、やはりエヴィルが泣かないことも。代わりに泣いてあげられるような優しさも余裕も、今の自分が持ち合わせていないことはわかっていた。


「――弱いわけじゃ、ない」


青年の低い声。彼にしては珍しい穏やかな声音がミクの思考を途切れさせる。


「他人に弱さを見せられる奴は、本当は強い」


言ってエヴィルは思いを馳せる。例えば感受性に富んだあの大男は、仲間の前でも惜しげなく涙を流すことが出来るだろう。現にレックスはひとしきりサンドラの死を悼んだ後、誰よりも早く笑顔を見せた。あれは仮面ではない、彼の強さの証だ。

エヴィルはもう随分昔から彼のことを見てきている。レックスには青年のような特異な能力は無かったが、サンドラと共に彼らと生き抜いた力があった。自分にはないモノを持つ彼を羨んだこともある。それがある種の強さだと気が付いたのは、実は最近のことだった。


「お前は不器用なんだ」


それだけだ、と青年は呟いた。本当は目の前の少女より、ロヴやルカや自分自身のほうがずっと弱く臆病なのかもしれないと。

ミクは赤く充血した瞳でエヴィルを見つめる。冷酷無慈悲で残虐で、いつも無愛想なこの青年が優しいことを彼女は知っていた。本人がそれを自覚していないことも、自分が酷く悲しんでいることにさえ気付けていないことも。


「あんたのそういうところ、昔から大嫌いよ」

「そうか」


唇を噛み締めた少女の瞳からもう一度涙が零れた。小さな粒は重力に逆らう事無く床に落ち、深紅の絨毯に吸い込まれて消える。

濃い染みになって残ったその場所に二人はそっと目をやった。

サンドラの、ピアスの色。


「あたし、サンドラが大好きだった」

「ああ」

「大好き、よ。今も、ずっと」


お互いに力強く頷いた、それを合図に青年がソファーから立ち上がりミクの腕を掴んだ。そのまま力強く上に引き上げる。

部屋の中に、どこからか僅かな芳香が漂ってきている。微弱な気配にさえ聡い二人はそれにとうに気が付いていた。鼻先を擽るそれはきっと煙の香りだ。何だか無性に――言葉では言い表わせない、そんな気持ちにさせる。

道しるべ、この先の。


さぁ、進もうか。




*




「……あれ? ミク、エヴィル、何してるの?」


ルシファー本部の最上階から、渡廊下を越えて更に上へ。するとそこには『危険立入禁止』の屋上が広がっている。柵はなく、足を踏み外せばもれなくこの世に別れを告げることが出来る場所だ。

ここは初期メンバーである六人の憩いの場である。だった、というべきか。月を一望できるここに、昔はよく六人で何をするでもなく集まった。まだ幼かった彼らの拠り所は、時が経つにつれて忘れ去られてしまったけれど。ミクもエヴィルもこの場所に足を踏み入れるのは随分久しぶりのことである。

そして今そこには、長い黒髪を風に揺らす少女が一人立っていたのだった。


「こっちの台詞よ、何それ?」


探してたのよ、とぼやきながらミクは彼女へと歩み寄った。憮然とした表情になってしまうのは怒っているからではなく、先程までの自分の行為へのばつの悪さと、ルカが見つかったことへの安堵のせいだ。

ルカは手に持った細い棒のようなものに火を灯し、そこから生じる煙が風に乗って空気中へと流れていた。


「何って……えっと、お線香?」

「オセンコウ?」

「うん。何かね、日本にはこういう風習があるんだって」


一体誰に吹き込まれたのだろうか。ルカの行為は彼女達にとって到底馴染み無いものだった。恭吾か千瀬か、はたまた月葉か。ルシファーには多数の日本人が所属しているのでわからないが。

辺りには線香の不思議な芳香が満ちていた。何だか胸の奥が疼くような気がしてミクは眉を寄せる。腕を組んで後方から少女達を見ていたエヴィルは静かに瞳を閉じた。酷く時間の流れがゆっくりだ。たまには、こういうのも悪くない。


「信じる神様なんていないけど」


ルカは線香を床に置いた瓶に差し入れる。柔らかな煙が強い風に吹かれて拡散した。火は消えていない。じりじりと、静かに燃える。


「サンドラが、迷わずに逝けるように」


ミクは空を仰いだ。もう一度涙が流れてくるのかと思ったが、その気配はすぐに消えていった。煙の行く先は見えない。ミクは手を握り締め、努めて明るい声をあげる。


「皆、どこに逝くのかな」


ルカがきょとんと目を開いた。死んだ後のことなど深く考えたことがなかったのだ。

けれど、“無”ではないと少女は思う。どこかに辿り着ければ良い。そうしなければ、もとより弔いなど意味をなさないのだ。

例え弔いが残された側を慰める為の行為だとしても、そんなもの彼女達には必要ないのだから。


「………天国、とか?」

「そんなところ逝けるのか、俺たち」


薄く目を開けて呟いたエヴィルに、あはは、とルカは笑いかける。

それもそうだ。天国なんて似合わない。神なんて望まない。


「じゃあ、地獄が良い。皇帝ルシフェルが支配してるんだもの」


ルカはもう一本線香を取り出すと火を灯し、ふっと息を吹き掛けた。途端に白い煙が立ち昇り、輪郭を崩して溶け消える。少女はそれを、屋上から下へと放物線状に投げ落とした。


「サンドラは待っててくれるよ」


それはみるみる小さくなった。ゆらゆらと溶解する、細い命にも似た糸を引いて。弧を描いた煙が見えなくなっても、その芳香はいつまでも辺りを漂っていた。


「私たちが、堕ちるまで」


ぬばたまの瞳がゆるりと瞬く、前を見据えたかんばせの、その先を知っていても。

最果ての夢を見たあの日から、目指す場所は変わらない。

ただ一つ、それだけを心に誓った。












(不器用に生き延びる私達から)

(この鎮魂歌を贈ります)




  ありがとう、




  ありがとう、



  さよなら。




  大好きなあなたへ。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ