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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第四章《慟哭》
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第四章《慟哭》:パセティックの丘(3)


「ぶっ」

「ばへっ!」


ぼすん、という鈍い音と共に落下した先には枯草のようなものが沢山敷き詰められていた。これのお陰だろう、落下の衝撃は吸収され予想していた痛みもない。

ルシファーに来て間もない頃、ロヴの部屋に行こうとしてエレベーターの床が抜けたことを千瀬は思い出した。僅かに懐かしい、あの気持ちの悪い浮遊感がまだ胸の奥に渦巻いている。

あの時のロザリーは確信犯だったが、今千瀬の前方で潰れている少年――ルードは、冗談抜きでこの結果を予想していなかったらしい。予想していたにしては、落下態勢があまりにも不様である。


ここはどこだろう?

千瀬は辺りを見回した。どうやら廃棄場の外のようである。こんなところまで繋がっていたのか、と少女はひとりごちた。

あの穴は途中から急なトンネルのような作りになっていて、二人はそれを転がるようにしてここまで抜け出たのだ。

千瀬には何の為にあんな道(と言えるかどうかは定かではないが)があるのかはさっぱりわからなかった。つくづく、ルシファーの建物は奇妙な作りをしていると思う。

それにしても、と。思わず千瀬は半目になって、横でむせてしまっている少年に無言で訴えた。


「いや、だから悪かったって……げほッ」


埃でも吸い込んでしまったのだろうか、ルードは激しく咳き込んでいる。涙目になりながら必死に弁解を続ける彼はいつから廃棄場にいたのだろう。

……神出鬼没。まさに、だ。


「あそこは俺が良く使う逃走用の……じゃない、緊急用の抜け道でさ。一番早く外に出られるし、皆知らないし。逃げるとき――じゃない、何かあったときに便利だからさ」


明らかに気になる言葉が交じっていたがスルーすることにした。彼の日常を垣間見た、と千瀬は思う。


「中が穴になってたこと忘れてたんだ、ははは……でもまぁ、コレのお陰で平気だったっしょ?」


ルードは敷き詰められた枯草……の山を指差す。どうやらこれは彼が事前に用意していたものらしい。

周到というか、なんというか。それだけ沢山、この道を利用しているということだろう。この“逃走経路”を。


「……そんなに使ってるなら普通忘れないよね」

「気にしない、気にしない! 出られたんだからいいじゃん!」


少年の笑顔を見て、はぁ、と少女は溜息をこぼす。不思議そうに首を傾げるルードをちらりと見やって、千瀬は一つ苦笑を零した。


「きっと、バレちゃったなぁ……」

「んん?」

「あたしがあそこに居たってこと、ルカ達に」


千瀬はひりひりと痛む喉を擦る。落下の際、予想外の展開に思わず叫び声をあげてしまった。我ながらかなり間抜けな声だった、千瀬は思って溜め息を吐く。

ルードも同様に大声をあげていたし(どちらかと言えば楽しそうな声だったが)何にせよ、ルカ達の耳には届いてしまっただろう。


「てか、最初から気付いてたぜ?」

「――――ふぇ?」


少年の言葉が理解できず、またしても千瀬の口から間抜けな音が飛び出した。


「ルカ姉とエヴィル。あいつら最初から、チトセのことも俺が来たこともわかってるよ」

「………!?」


そんな馬鹿な。少なくとも自分が一人きりだった段階ではそんなことはなかったはずだ、と。

千瀬の顔にそう書いてあるのが読み取れたのだろう、ルードは小さく笑ってみせる。


「……俺、昔ルカ姉と隠れんぼしたことがある。買い出しの役割分担賭けて」

「……へ?」

「建物の端まで逃げたのに二分で見つかった。あんまり早いから聞いたんだ、気配がわかるのか、って」

「……うん」


犯罪シンジケートの幹部が呑気に何をやっていたのやら。心の中で小さくツッコミを入れつつ、千瀬は耳を傾ける。


「五キロ、だってさ」

「……?」

「自分を中心としたときに、意識してなくても半径五キロ以内の人間の位置がなんとなくわかるんだってさ、ルカ姉は。正しくは四キロと七百メートルとか言ってたけど……どっちにしろバレバレだよ、お前がいたこと」


超感覚って感じ。

言いながら、絶句した千瀬の肩をぽんと叩いて少年は笑う。


「チトセだって、何となく人の気配がわかったりするっしょー? ルカ姉のも似たようなもん。範囲が半端じゃないだけ」

「でも、」


まぁまぁ、信じられないのはわかるけどサ。

そう言ってルードは体に付いた埃を叩き落とす。あいつらには五感を超えたものがあるんだ、と笑った彼の顔を千瀬はまじまじと見つめた。

ルードは言う。俺にも似たような感覚はあるけど、ルカ姉は別格だよ。


「世の中信じらんないことなんて沢山あるんだぜー、例えば」


少年の猫のような瞳が、すっと細まった。


「……さっき、チトセが見たこととか?」

「……っ」


息を呑んだ千瀬の脳裏に、先刻の光景が一瞬で呼び戻される。消えたサンドラの身体、湿り気を帯びた、あそこの空気。

もう千瀬にはわかっていた。ルードが千瀬を外に連れ出したのは、彼女が酷く動揺していたことに気が付いたからだ。あのままルカ達と対面することになっては千瀬が少なからず苦しむから。だから、助けてくれた。


「……聞かねぇの? あそこで何が起こったのか」


千瀬はゆるゆると首を横に振る。よく、わからなかった。何だか見てはいけなかった、そんな気持ちだけが膨らむ。圧し掛かるモノに押しつぶされるようで、下を向くことしか出来ない。


「見ちゃいけなかったなんてことはない。だったら初めから、ルカはお前のことを外に追い出してるよ」


――心を、読まれたのかと思った。

驚いたように千瀬が顔を上げれば、図星? と彼は笑んで。


「お前ってわかりやすー。言っとくけど、俺は読心術なんて出来ないから」


ミクじゃあるまいし。

続けられた少年の言葉の中に、千瀬も知る少女の名が突然落とされて目を見開く。ミクが何? 問い掛けてもルードはそ知らぬふりで話を再開した。

「お前、わかりやすいんだ」

「……もう聞いた」

「落ち込んでんだろ」

「…………。」

「なぁ、仲間が死んだってのは辛いことだけど。わかるけど……なんで、チトセはそんなに落ち込んでるわけ?」


ルードは再び俯いてしまった千瀬の顔を覗き込んだ。それでも少女が顔を上げることはなく、困ったように少年は隣に座り込む。

沈黙を作りたいわけではなかった。千瀬は僅かに逡巡した後、小さくその唇を開く。


「……ルカ、泣いてた」

「…………………嘘ぉ〜」


目を見開いてぽかんと口を開ける、ルードの顔はとてつもなく間抜けだ。なんだか千瀬は気が抜けてしまう。


「うそぉ、って何よ……うん、確かに涙が出てたとか、そういうわけじゃないけど……でも」


泣いていた。

震えていた白い手。サンドラの唇を撫でていた指。顔に掛かっていた揺らめく黒髪も、彼女を取り巻く空気も。

泣いていたと、思ったのだ。あの人はきっと涙を流さずに、泣くことができる。


「泣いてないじゃんそれ。……ルカ姉が泣くなんて信じらんねェって。見たことないもん」

「でも、そんな気がしたんだもん……あたし、」


少女は項垂れる。俯いた顔を膝に埋めれば黒い瞳はすっかり見えなくなった。さらりと流れた髪の隙間から見えるうなじは白く、細くて頼りない。

ルードが困ったように眉を寄せたが、千瀬がそれに気付くことはなかった。


「サンドラを最初に見つけたのに、止められなくて。ユリシーズが関わってることも、そんな気がしてた。頭の中で警報が鳴ってたの、ずっと……ずっと前から。『最後の晩餐』のとき……あの時からもう、嫌な予感がしてたのに」


何もできなかった。

本当にあれは、“最後”の一時だったのだと、今になって悟る。


「ルカにサンドラを殺させたのは――」


――あたし、だ。

声にならない声が少女の唇から紡がれた。小さく震えた肩は、泣いているのかいないのかの判別を難しくさせる。

ルードが何かを考え込むように顔をしかめた。居心地の悪い静寂が辺りを包んでから、はたと少女は我に返る。


「……あ、ご、ごめん! 気にしないで、何であたしこんなこと言って」


「………………ぷッ、プリンっっ!!」


千瀬の動きが停止した。

耳が、何だかおかしな単語がを拾ってしまったような気がする。


「…………………………………………………………は?」

「プリン食べようプリン! そーだ俺プリン持ってたんだよ、さっき厨房から盗んだヤツ!」


忘れてたぜ!

ルードは無駄に大声を上げながらポケットを探りはじめる。なんでプリンなんだとか、その前に盗んだのかとか、ポケットの中に入ってるのか、とか。ツッコミ所は多々あれど、千瀬はぽかんと少年を見つめることしか出来なかった。


「あったー! さっきの落下でちょっと崩れてるかもしれないけど、ホイ!」


ばっと音がするほどの勢いと共に、少年は満面の笑みで千瀬にプリンを手渡した。

落下の衝撃のせいかやや上辺の変形した、しかしまごうことなきプリンである。綺麗に透明な容器に入れられたそれには蓋もされていたので零れてもいない。


「……どうも」


これは食べるべきかと千瀬が蓋を開ければ、ふわりとした甘さとカラメルの匂いが広がった。


(……何で食べればいいんだろ)


スプーンが無い。真面目に考え込んだ千瀬を見て、ルードはぽんと手を叩いた。ポケットからスプーンを取り出すとにこやかに手渡してくる。

その小さなポケットのどこにスプーンまで入っていたのか。何でも現れるポケットの構造に少々疑問を抱きつつ、千瀬はスプーンに手を伸ばした。

……その瞬間である。

くにゃり、と。スプーンの先が空中で、力無く折れ曲がったのだ。


「……あ」


一瞬何が起こったのかわからなかったが、笑みを浮かべるルードを見てすぐに千瀬は思い当たる言葉を見つけた。

――スプーン曲げ、少年の得意技だ。


「スプーンならまだあるぜー」


言うやいなや、ルードはポケットから次々とスプーンを取出し片っ端から曲げはじめた。

出しては曲げ、また出しては曲げを繰り返すうちに銀色の山が出来上がる。凄まじい早業だった。千瀬の祖国のテレビにでも出演すれば、一躍有名になってしまうに違いない。

くにゅ、くにゅと折れていくスプーンが二人の足元に溜まる様が滑稽で、そして何よりも、ルードがポケットに大量のスプーンを隠し持っていたという事実が可笑しくて(どうやって収納していたのか、まったくもって謎だ)。


「……ぷっ」


思わず吹き出した千瀬を見て漸くルードは手を止めた。それはちょうど、最後の一本を曲げ終わったのと同時。

これじゃプリンが食べられない、少女が笑えばルードは慌てて一本を元の形に戻してみせた。


「おいしい」


まともな形状を取り戻したスプーンで掬われた、プリンの柔らかな甘味が口内に広がった。口元を綻ばせた千瀬の顔を、ルードが下から覗き込むようにする。


「……元気、でた?」


少年の突然の言葉に、千瀬は目をぱちくりさせた。これは、何だ。もしかして。


「もしかして……心配、してくれてた?」


意味不明なプリンの登場も、突然のスプーン曲げショーも。千瀬を元気づけようと、不器用な少年なりに頑張っていたのだろうか。


「な……っ!」


そうに違いない、と少女が確信した瞬間、凄まじい勢いでルードが立ち上がった。がちゃがちゃスプーンを踏み付けながらあたふたと二、三歩後退り、ぶんぶんと顔の前で両手を振る。


「ばっっ……か、ちげェよ!! 俺は別に、」


目線を泳がせたり歩き回ったりと、挙動不審という言葉がぴったりだ。いつもの余裕は何処へやら、その狼狽ぶりはいっそ可愛らしくもある。悪いとは思いながらも笑いを堪えきれなかった、千瀬はしばらく黙って少年を見つめていた。


「別にそんなんじゃなくて、ただ………」

「ただ?」


俯いたルードの声は最後のほうが小さくなってしまう。千瀬が耳を寄せると、渋々というように口を開いた。


「……ただ。“あれ”は……あの路地に逃げ込んだのは俺だし、騒ぎを起こしたのも俺だし――」


――ユリシーズと出会った、あの日の出来事。千瀬がそれを気にしていたことに、ルードは気付いていたのだ。この変に真面目な少女が、その責任を背負い込んでしまおうとすることに。


「あれは、お前のせいなんかじゃない、って……」

「ルード……」


千瀬とルードの視線が交錯した。目が合ったその瞬間、少年はばっと勢い良く顔を逸らす。

その後、呼び掛けに答えるかのようにちらりと千瀬を見やった。恥ずかしそうに赤く染まった耳は、幸か不幸か千瀬には見えていない。


「――ん? そういや最初に喧嘩売ったのも俺だ。げ、俺やばっ」


言って、派手なリアクションをとるルードに思わず千瀬は笑ってしまった。ルードの気持ちが、素直に嬉しいと思う。


「……だからさ」


もう一度声のトーンを落としたルードに千瀬は向き合った。らしくない真面目な顔で、小さな声で、少年は言う。


「チトセが責任感じる必要なんて、ないんだ。仕方ないって言うのは逃げてるかもしれないけど……でもやっぱ、仕方なかったって思う」

「……うん」

「受けとめていくしかないんだよな。でも……でも。もしも苦しかったら、忘れたっていい。それはきっと、なんていうか――悲しい、ことかもしれないけど。さっき見たことだって忘れて、前だけ見て……だって、そうやって生きてくしかないから。俺たちは」


ああクソ、なんか上手く言えねェや。

顔をしかめるルードをしばらく見つめた後、千瀬はゆっくりと口を開いた。


「……あたしは、忘れないよ」


ルードが千瀬を見つめ返す。真直ぐに澄んだ少年の目の中に少女の姿が映り込んだ。

黒髪黒目の日本人。まだ十四の、いとけない少女だ。ルードの瞳に映った自分が、自分自身を真直ぐに射抜いている。その姿に、向き合った自分に、千瀬は誓おうと思った。


「――忘れない。悲しかったこと、後悔したこと、嬉しかったこと……あたし達の仕事に関わった全ての命も、思い出も全部含めて、」


千瀬は大きく息を吸った。言葉にしなければならないことがここにある。


「サンドラの声とか、笑顔とか。あたしに教えてくれたことも……死んで、しまったことも。……ううん、生きていたんだ、ってことを」


受けとめられるようになりたいと思った。そうしていつか、見つめることができたら良い。


「……こうして今ルードと喋ってる事も。忘れたく、ないなって」


ありがとうと千瀬が言えば、ばか、と小さくいらえが返った。

横を見れば、ルードは鼻の頭を掻きながら照れたように笑っている。


「――そういえば」

「何?」

「ルカが、そんなに広い範囲の気配を感じ取ることができるなら……」

「ん〜?」

「ルードが行方不明になったとき、ルカが探せば一発なんじゃ」

「…………………………それ、ミクには絶対言うなよ」













――前を向こう。生きていこう。

止まっていたって、きっと明日はやってくる。



後悔を糧にし、たくさんの懺悔と共に踏み越えた過去の先。


あの丘の向こうには、 きっとやるべきことがある。




( さぁ、いくよ )





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