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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第四章《慟哭》
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第四章《慟哭》:パセティックの丘(2)



(進み続ける。止まらない、この世界の中)










ロヴが選択したのは、現状の維持だった。


カーマロカは未知の組織だ。今回のことで存在こそ確認されたものの、本部の所在地も構成員も全て謎のままだった。

かたやルシファーは、一般にこそ知られていないが裏社会には広く名を馳せる巨大犯罪シンジケートである。

――カーマロカに報復を考えるにはあまりにリスクが高すぎた。彼らにとってルシファーは滅すべき明らかな“悪”であって、その気になれば合法的かつ暴力的にそれを絶やすことができる。こちらからその切っ掛けを与えること――つまりカーマロカに復讐という形をとること――は、ルシファーにとっては自殺行為だったのだ。


サンドラ・ジョーンズをはじめとする多数の組織員に犠牲が出ても、そして全ての起因であり首謀者がカーマロカに所属する、一人の少年だとわかっても――ロヴは“煉獄”に対しては何もしないことを選んだ。

否、何もしなかったのではない。組織にとって最前の道を、首領として彼は選択したのである。


そうして世界はまた、新しい朝を連れてやって来た。




*




「……あたし、馬鹿……」


鉄の扉の前で行ったり来たり。自分の考え無しな行動に嘆息しつつ、千瀬は一人呟いた。こんなところに来たところで、どうすればいいのかわからないのに。

この、少女の妙な行動を説明するには時を僅かに遡らなければならないだろう。


あの日からもう、数日が経過していた。

サンドラの葬儀は行なわれなかった。そもそもこの組織にそんな習慣はない。死んだらそれまでだと駿に聞かされていたし、現に今回の犠牲者を弔うようなことは一つもしていなかった(遺体が原型を留めていなかったのも、原因かもしれないが)。

重々承知してはいたのだ。しかし千瀬には、受け入れねばならないと自分に言い聞かせながらも、やはりどこか釈然としないものがあった。少なくともサンドラの体は残っていたし、組織の建物の中で命を終えた以上は通例の如く置き去りにできるはずもない。なのに葬儀を執り行うわけでもない――埋葬も、しないと聞いた。


サンドラの遺体はどうなるのか。レックスにそれとなく尋ねてみれば、彼は苦笑しながら千瀬にこの場所を教えてくれた。

千瀬はどうしても見届けたかったのだ。そうしなければ、前に進めない気がした。それは少女にとっては残酷な選択だったが、千瀬はそうせずにはいられなかった。サンドラが命を落とした責任を、少なからず感じ続けていたから。


そして千瀬は“ここ”へやってきた。来たからにはもう入るしかない、と少女は腹を括る。彼女にとってここは仕事や訓練ですっかりお馴染みの場所だったが、この空気はどこか苦手だ。黴びた天井も、血痕と赤錆の腐臭も。


――“廃棄場”。それは全てを還す場所。




*




黴臭い。籠もった湿気が毒素を孕んでいるかのように気管に凍みて今にもむせてしまいそうになりながら、千瀬は目的の場所を目指した。

廃棄場にあるのはただ一つ、"処理"の場だけだ。シェルターの中心に据えられた巨大なクレーターと頑丈な柵。すり鉢状の形をしたその中央に一度入れば、上から梯子を降ろすより他に出る術はない。

ここで千瀬が稽古を付けてもらってからずいぶん長い時間が経ったような気がする(もちろんそれは気のせいだが)。感傷的になってしまうのは、あの時はまだ彼女が生きていたことをわかっているからだ。

……そして此処は、千瀬が初めて自らの意志で他者の命を摘んだ場所。


まるで蟻地獄の巣ように落ち窪んだそこを照らすのは人工的な照明器具だけである。灯された心許ないライトが、薄淡く辺りを染めていた。そして穴の底にはただ一つ、あの訓練の時には無かった物が存在していた。


(………っ)


それを目にした瞬間、千瀬の胸が鈍い音を立てて痛む。

台の上に寝かされた彼女の遺体は黒い布に覆われ、ひっそりと眠っていた。僅かに覗いた腕が蝋のように白い。

ごめんなさい。

思わず零れ落ちた言葉は闇に溶けて消える。その体が冷たいことも、二度とその声を聞くことがないのもわかっていた。なのに。

目覚めて欲しいと少女は願う。もう一度あの笑みを浮かべて、それから。


「ごめんなさい……」


弱くてごめんなさい。無力でごめんなさい。何もできなくて、迷惑かけてばかりで、ごめんなさい。ごめんなさい。


決して叶わない願いだとわかっていた。

届くことのない懺悔を繰り返しながら千瀬は目を瞑る。遺体を恐いと思うはずもないのに体が震えて、サンドラの傍まで行くことはできなかった。


その時だ。

小さな足音と息遣いが聞こえる。誰かがこちらに近づいて来る気配に気付いた千瀬が咄嗟に屈んで身を潜めたのと、廃棄場のドアが開けられたのは同時だった。


(――ど、どうしよう)


特に後ろめたいことをしていたわけでもないのだが、今は誰にも会いたくない。そうこうしているうちに足音はすぐ近くまでやってきて、千瀬は完全に逃げるタイミングを失ってしまう。

柵の間からそっと覗けば、人物の姿が見えた。瞬間、ますます千瀬は体を縮こませる。


(――ルカだ)


気まずい。気まずいことこの上ない。

千瀬はあの日以来、一度もルカの姿を見かけていなかった。〈ソルジャー〉と〈ハングマン〉、仕事の場所も内容も違う彼女達は本来顔を会わせる機会のほうが少ないのだが、それでも不自然だったように思う。

――ルカがサンドラを殺したという事実を、彼女自身が気に掛けないはずがなかった。自分達の見ていない場所で彼女は苦しんでいたのではないかと思うと、千瀬にはルカに掛ける言葉が見つからないのだ。


「……いいのか、もう」


反響した声が聞こえたが、それはルカのものではなかった。恐る恐る、もう一度柵の隙間から覗いた千瀬の目に映ったのは煌めく銀色の髪――エヴィルだ。

よりにもよってハングマンが二人。見つかったが最後逃げ場はない(繰り返すが逃げる必要もない)。どうしよう、ともう一度千瀬は溜め息を吐く。


(……仕方ないや)


少女は意を決し、大胆にもぴょこりと柵から顔を覗かせた。……こうなったら見つかるまで、堂々と二人の様子を見ていようというわけである。

我ながら肝が座ったな、と呑気に思考を巡らせたりして。

千瀬の目の前で、ルカとエヴィルはすり鉢状の穴の中へと降りていった。もうが真上を向かない限りは、二人が千瀬を見つけることはないだろう。

――ほっと胸を撫で下ろした千瀬の呼吸が刹那、止まる。


穴の底に到着した二人が真っすぐに向かったのは、サンドラの横たわる台だった。そして着くやいなや、エヴィルが黒い布を――遺体を覆っていた布を、その手で引き剥がしたのである。


「……っ」


千瀬は必死に声を堪える。

思わず閉じてしまいそうになった目蓋の隙間から見たサンドラは、柔らかな表情を浮かべていた。


酷く静かだ。

サンドラの胸から下に依然として布が掛けられたままの理由はわかっていたが、それでもその顔は嘘のように綺麗で。

真っ白な頬を、色を失った唇を、ルカの細い指が滑るように撫でる。

――それは、祈る仕草に似ていた。

サンドラの金の髪を梳いているルカの、開いているはずの片手が。エヴィルの服を握り締めていたことに千瀬は気が付く。

少女はさよならを、告げているのだ。約束を果たした、愛する仲間に。


(哀しい)


思わず千瀬が目を伏せた瞬間、ふと生温かい風が頬を掠めていった。

ざわ、り。

次いで感じる僅かな、べたつくような湿気。周囲の空気が明らかに変わる。地の底で何かが呻くような、気配。


(――何?)


異変に気が付いた千瀬が二人に視線を戻したときには、もう全てが終わっていた。

再び訪れた静寂の中で、穴の底に依然として寄り添うように立つルカとエヴィル。薄明かり、錆びた匂い、置かれた台と漆黒の布。

ただ一つ、違うのは。


「……な、んで」


――見つからないのだ。

サンドラの遺体が、何処にも。どこにも、ない。まるで初めからそうであったかのように、跡形も無く消失してしまっている。

質の悪いマジックショーを見せられているような気分になったが、そんなものではないと千瀬自身がその身に感じていた。あの気配を、前にも何処かで。


(――今、何が、)


少女の背を嫌な汗が伝う。細い足がいつもに増してたよりなく震える。

きっと今、見てはいけないものを見た。


「おい、」

「…………!?」


突如後ろから声がして腕を捕まれる。真っ青になって振り返った千瀬の瞳に、癖のある赤毛と猫のような目が飛び込んだ。

しーっ、と口元に人差し指をあてながら、現れた少年は千瀬の腕を引く。


「いーからこっち来い、早く」


彼に言われるままに向かった先には、鉄の壁に同化するように建て付けられた一枚の開き戸があった。そこを開けて見れば、ちょうど一人通れるサイズの真っ黒な穴が開いているのがわかる。


「なに、」

「いーから」


どん。

勢い良く背中を叩いて、ルード・エンデバーは千瀬をその穴に押し込んだ。

ぐらり、少女の身体が斜めに傾ぐ。千瀬に続いて穴に身体を滑り込ませた少年が、何かに気付いたように声を上げた。


「あ。」

「〜〜〜〜〜〜っ!?」


床が、無い。

千瀬が体を入れた扉の奥にはぽっかりと深い穴が開いていて、二人の身体をたちまち飲み込んでゆく。その底は見えぬほどに深かった。

――この状況を、どうしろと? 

浮遊感に包まれた千瀬の見開いた目に見つめられた、少年はあっけらかんとのたまった。


「………ワリ、忘れてた」


どうすることも出来ぬまま、少年と少女は落ちていく。穴の中を滑るように――奇妙な叫び声とともに。




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