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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第四章《慟哭》
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第四章《慟哭》:最後の殺人鬼(1)




  大好きだったと言えたなら、貴方は笑ってくれるかしら。




* * *




小刻みに震えだしそうな拳をきつく握り締め、少年は目の前を見据える。掌に食い込む爪の痛みだけが現実を教えてくれた。

何もできない自分に反吐が出そうだ。なんだか本当に、


(吐き気がする……)


たまらず駿が壁に手を突いた瞬間、彼の耳を甲高い悲鳴がつんざいた。それは、駿が助けにきたはずの少女の。

朝深を助け起こそうと近寄った、レックスの体にナイフの雨が降り注いでいた。彼はその巨体で朝深を庇いながら大きく吠える。

それを見ていることしかできない千瀬と駿と、どちらも無力なことに変わりはない。

体を震わせてただ叫ぶ少女の、やめて、と言う声は状況を変えることなど一つもできなかった。

《彼女》は、サンドラはけしてその攻撃の手を休めない。瞳から涙を流したまま、その表情は変わらず楽しそうだった。

泣き笑いの張りついた顔が、仮面のように見える。

す、とサンドラは懐からコンバットナイフを取り出した。以前彼女が千瀬に渡した物と同型だ。

鈍く輝く切っ先が向けられているのは、既に数多の傷を負っているレックスの背。彼女は刃先にこびり付いた血痕を指で擦って口に含み、それから一層笑みを濃くした。ナイフを構え直したその動きは優雅にさえ見える。

たん、と軽やかな音を立ててサンドラは跳躍した。長い時を共にしたはずの彼の、息の根を止めるために。


刹那、千瀬が動いた。

少女は瞬時に二人の間に飛び込むと白銀の刄でナイフを弾く。響く金属音と共に力強い空気振動が発生し駿の頬を打った。少年はそれにはっとして目を見開く。

サンドラは少女の行動を面白そうに眺め、ついと矛先を千瀬へと切り替えた。

千瀬はそんな彼女を見つめると哀しげに瞳を歪ませ、そしてそのまま動きを止める。


「――チトセっ!!」


響き渡る駿の声に重なって一発の銃声が轟いた。爆ぜた銃弾はサンドラの手の甲を掠めて壁に突き刺さる。音の発生源を振り返れば、視界に銀色が散った。

突如現れた、プラチナブロンドの髪を持つ少女は標的の眉間に狙いを定め躊躇う事無く引き金を引く。放たれた二撃目は咄嗟に回避したサンドラの金髪の先を吹き飛ばし、辺りにぱらぱらと金糸が舞った。突然の乱入に誰もが瞠目する。


「ローザ……! 待って……っ」


制止の声をあげた千瀬に、ロザリーは静かな視線を送った。構え直された銃を支える腕から、ちゃり、小さく金属音が鳴る。


「仕方ないんだよ、チトセ」


言った少女の瞳に迷いはなかった。ただその目が深い悲しみの色を隠し切れていないことに、その場にいた誰もが気付く。

淡く揺れた銀の瞳は薄らと潤んでいた。月を映した水底のような光を湛える、それは小さな感情の色だ。


「サンドラは……っ」


千瀬の頭からはあの少年、ユリシーズの声が離れなかった。それは酷く嫌な“予感”に似ていて、根拠などどこにもないものだ。ただ漠然とそれを感じ、心の奥底で仮説が舞うだけ。『あの少年がこの件に絡んでいたとしたら』という、途方も無い。


「サンドラ、は……」


自分でも馬鹿げた考えだと思った。でも、もしも。

もしも、あの少年が裏で手を引いていたとして、これがサンドラの意志ではないとしたら。サンドラは《無意識》かつ《操られて》いる、そんな状態だとしたら。

……ふざけた話だ。でもそんな、まるでB級映画のような信じられないことが実際起こっているとしたら? それがユリシーズには、可能だ。


――だったと、したら。


「こんな、の……望んでないのに……」


――それが、何だというのだ。


「チトセ」


わかってね。

誰も望んでいないのだと、ロザリーが小さく呟いた。少女の持つ拳銃はサンドラに向けられたまま。

千瀬は両手で顔を覆う。自分が一番わかっていた。この推測は憶測に過ぎず、願望の域を出ないことを。

例えどんなにあがいたとしても全てが無に帰すこの空間で、彼女達に許されるのは《受け入れる》ことだけなのだ。


「どうにも、ならないんだよ。仕方ないんだよ」


悲しみも苦しみも穢れもエゴも、全てを享受して。

それがこの世界の生き方だと、誰もがわかっていた。そうやって、生きてきたのだ。


「わかって、る。……ね?」


ロザリーは自らに言い聞かせるかのように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。一言一言、その小さな唇を噛み締めながら。


「そうだよね? ねぇ、レックス……」


刹那、少女の瞳からからぽろりと涙の粒が零れ落ちる。その雫の理由さえ問うてはならない、それが千瀬達の生きる世界の掟だった。


「……ああ。そうだ……」


レックスが手の甲でぐいと口の端の血を拭う。同時に、小さな呻き声と共に朝深が立ち上がった。よろめきながらもしっかりと地に足をつける青年をその瞳に映したあと、レックスはぐっと拳を握る。

それから立ち尽くす駿に、俯いた千瀬に目をやり、そしてロザリーの涙を見つめて彼は呟いた。振り絞られた喉から決断を告げる声が響く。


「……ハングマンに、連絡を」


苦しそうに擦れたその声に、満ちていたのは一つの決意。

それはさざ波のように空間に浸透し、時間と音を飲み込んだ。







「 もう、来てるよ 」







突如、感情の籠もらない声が辺り一帯に反響する。しんと静まった空間を割ったその音に全員が目を見開いた。

サンドラの動きが停止する。ナイフを握った腕をぴたりと固めたまま、目蓋だけが震えてゆっくりと閉じたり開いたりを繰り返した。その深紫の瞳の奥で何かが揺れる。

次いで彼女の表情に変化が現れた。正確にはその口元が――笑みの形に固定されていたそこが僅かに開いたのだ。漏れ出した微かな吐息に誰もがはっと息を呑む。

それは微かな、本当に微かな――小さな、声だったのだ。


「……ル、カ……」


夜明け前の静寂に溶けるかのように、柔くその音は零れ落ちる。ピリオドを穿つ悪魔の名を、その少女は持っていた。


ルカ・ハーベント。

彼女は全てを終わらせる、漆黒の“死刑執行人ハングマン”――――。




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