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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第四章《慟哭》
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第四章《慟哭》:ラスト・ハント(2)


広いルシファーの構内を、たかが十三人の〈ソルジャー〉のみで警備することは不可能だった。勿論今夜も“作戦”の実行中とはいえ、場所によっては《ポート》や《パース》が通常どおりの団体警備を続けている。

つまり千瀬達は可能な限り早く“殺人鬼”と出会う必要があった。少人数で行動しているEPPCのほうを狙ってくれる可能性はかなり高いが、万が一先に“殺人鬼”が《パース》等を発見してしまった場合また確実に犠牲者が出るだろう。それでは意味がない。


「だからって……」


廊下の中心にぽつりと佇む千瀬は嘆息する。

事前の打ち合せの結果、〈ソルジャー〉達は全員単独行動を選んだのだった。二人ペアで配置につく予定であった組も分割し、各自で“最も見つかりやすそうな位置”に待機しようと。こうすればより広範囲の警備も可能になるし、殺人鬼と出くわす可能性も高い。

その結果、千瀬は今ただ一人。いくら目立つ位置が好ましいからといって、淋しい廊下のど真ん中を選ぶなど不自然極まりないのだが、生憎少女はそれに気が付いてはいなかった。


ただ待つのは気分の良いものではない、と千瀬は思う。

俎板上の魚、釣り針の先の餌。食い付かれ、料理されるのを待っている――そんな気分。


「あ、料理はされちゃダメ」


こんな淋しい空気の中では独り言も出るというものだ。小さく反響する自分の声がなんだか虚しくて、千瀬はその場に屈みこんだ。

時間だけが流れていく暗闇の中で、手にした蝋燭――銀の燭台に乗せられた、警備用に配布されたものだ――をゆらゆらと揺らしてみる。


(暗い……)


少女は小さく息を吐いた。普段の警備員達は、この暗闇の中でただ朝を待っていたのだろうか。

殺人鬼の恐怖に怯えながら闇に取り残された人々は、さぞかし恐ろしい思いをしたことだろう。犯罪シンジケートの一員とはいえ、EPPCでもない彼らはただの常人。千瀬でさえ孤独や寂寥感を感じる――ここは、あまりにも静かだった。

どれくらいの間そうして蝋燭の灯を眺めていただろう。千瀬は幻想的に揺らぎ続ける淡い光と微かな温もりに、不覚にも眠気を誘われていた。


(……寝るな、馬鹿チトセ)


自らに喝を入れようにも思うように行かない。緊張感の欠けらもない自分に呆れながら、それでも目蓋は重みを増してゆく。

こんな場所で居眠りなどしようものなら、後から駿に何と言われるか。第一今は任務の真っ最中だ(それも命のかかった。)

寝るな寝るな。千瀬が声に出して呟いた、その時だった。


――ふっ、と突如蝋燭の灯が吹き消されたように絶える。同時に訪れる色濃く、さらに深い闇。

千瀬は目を瞬いた。光に慣れた瞳は突然の闇に対応できず、漆黒の中に閉じ込められる。

しかしそこで狼狽える千瀬ではない。素早く立ち上がると勘のみで壁際まで移動し、壁に背を預けて日本刀の柄に手を掛けた。


(消えた、)


未だ霞む目を瞬かせながら、どうして、と考える。まだ蝋燭は十分に残っていた。千瀬が誤って息を吹き掛けたわけでもない。

そこでふと、生温い風が千瀬の頬を撫でた。


(――そうか)


ここは風下なんだ、という結論に辿り着いて少女は小さく笑った。

なぁんだ、と思う。驚き損だ。この建物は風通しが良いし、きっと風が蝋燭に、


「…………っ!?」


突如千瀬の思考が途絶える。思わず両手で口を覆った。

それはほんの一瞬だったが間違いない。風と共に流れてくる、これは、


「血の、臭い……!」




*




“それ”に気が付いた瞬間、駿は持っていた蝋燭の灯を自ら吹き消した。

緊急時・戦闘時に備え、重たく嵩張る懐中電灯やランプではなく蝋燭を配布したロヴの選択は正しかったと駿は思う。明かりが無くとも、戦闘経験の豊富なEPPCならば闇に慣れるのに時間は掛からない。勘とスキルもある。


(……いやいや)


そこまで考えたことを打ち消すかのように駿は首を横に振った。少年は自分達の首領がどういう人間かを嫌というほど知っている。

あのロヴのことだ、


「絶対何も考えてねェ」


彼はぼそりと呟くと、消した蝋燭を投げ捨て“それ”のもとへ――漂う不穏な臭いの根源へと駆け出した。


(……くそ、)


思わず舌打ちする。一歩進むたびに濃厚になっていく血の香りに、頭がおかしくなりそうだった。

いつの間に自分は、こんなに血に敏感に反応するようになったんだろう、考えてみて駿は自嘲の笑みを浮かべた。そんなの、もうとっくに――


「シュン!」


曲がりくねる廊下の角から何かが――否、誰かが弾かれたように飛び出した。駿は一瞬のうちにその声を脳内で検索する。ヒットしたその答えを口に出しながら、少年は酷く驚愕した。


「チトセ……! 早いな、お前」

「走ってきたから……」


少女の待機していた場所からここまでは些か距離があるはずだったので、随分なスピードだと駿は思う。

千瀬はもう暗闇に目が慣れているらしく、壁に助けを借りることも手探りをするようなこともなかった。

この臭い――そう言って問い掛ける少女に駿が無言で答える。何かが起こったことは明らかだった。


「この辺、臭いが強くなってきたね……誰か、まさか」

「……ここから先は《ポート》や《パース》も警備してるエリアだ。先に殺られちまったか」


まずい、な。そう言って駿は闇の先を睨み付ける。刹那、彼の袖を隣にいた少女がぐいと勢い良く引いた。


「?、どうした」

「ここから先を警備してるのは誰?」

「……あ?」


間抜けな声を発した駿に、千瀬はゆっくりと言葉を繰り返す。その表情に滲んだ微かな焦燥を見て取って、駿は言葉を詰まらせた。


「ここから先のエリアの警備に割り当てられた〈ソルジャー〉は、誰?」


はっと息を呑んだ駿の顔が驚愕と不安で歪む。間抜けなことに、“その可能性”を今まですっかり失念していたのだ。


「……ツヅリと、アサミ」


駿の唇から零れ落ちたのは、日本遠征組であった二人の名。

まさか、な。小さく吐かれた言葉と同時に二人は再び床を蹴る。闇のさらなる先、戦場へと。




*




「……くしゅっ」


ロザリーは肌寒さを感じて鼻を擦る。彼女が配置されたのはルシファーの一番端で、昼夜問わず人通りの少ない位置だった。つまらないことこの上ない。


「……暇」


ひまひまひま、立て続けに呟いた後ロザリーはぺたりと床に座り込んだ。はぁ、と肩を落としても何の変化も訪れない。

少女にとって何もしない時間、とは苦痛の代表であった。社交的な正確は天性のもので、一人でじっとしていることは嫌いだ。(それでよく駿にちょっかいを出して怒鳴られる。)


ちゃり、と小さな金属音が響いて視線を落とすと、来ていたシャツの袖口から銀色のブレスレットがはみ出していた。いつも服に隠れていて見えないが、それはロザリーが常に身につけているものだ。


「………。」


少女は片手を目の位置まで引き上げて、ぼんやりとそのブレスレットを眺めはじめる。暇つぶしにはならないが、何もしないよりは良い。

それにこれをまじまじと見つめるのも久しぶりだった。


「……汚れてる」


純銀製のそれは僅かに黒く変色していた。磨くのをサボっていたせいでもあるし、何より度重なる仕事の際の返り血が原因だろう。

銀色の鎖の先にはころんとした同色の塊が付いていて、よく見ればそれは頭骸骨を模している。

初めてこれを見た駿は趣味が悪いと顔をしかめたが、ロザリーはそれが不思議だった。彼女にとっては全てが身の回りにあって当たり前の物だったのだ、人骨も臓物も毒草も烏の羽も。


(ヒトの臓器、は今もだけれど)


ちゃり、もう一度音を鳴らして腕を下ろした。視界から髑髏が消える。

今度は腰から拳銃を抜き出して一気にばらばらにした。パーツを指で掴んで組み立てれば、すぐに銃は形を取り戻す。

この作業にも慣れて久しい。けれど彼女が初めて拳銃に触れたのは、ルシファーに来た後のことだ。ロザリーには才能があった、それに最初に気が付いたのはロヴである。


(……あ、)


ふと、銃に触れていた指の動きが止まる。ロザリーはゆっくりと顔を上げた。

何かが始まったような気がした。直感でしかないそれはこの組織で少女が培ってきたものだ。信用には十分に足りる。

ざわざわと空気が揺れている、そんな感じ。


「……あっちかな?」


目を細める。全ての雑念を脳内から追い払って、目的だけに集中した。

ロザリーは拳銃の弾丸を確認しホルダーに収めた後、手首の銀色を丁寧に袖の中にしまい込む。けして見せたくないわけじゃない、けれどそれは隠す作業に似ていた。

ちゃり、小さな音が鳴ってブレスレットは完全に見えなくなる。


(――あたしがここにいることは、間違ってない。)


“ E L E K T R A .”――銀の髑髏に刻まれたその名を、少女は最後まで見ようとはしなかった。













(生きるということ)

(死ぬということ)

(朝日が昇るということ、それは)



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