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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第四章《慟哭》
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第四章《慟哭》:悲鳴の部屋(1)



刈り取られる鼓動が、摘まれてゆく命が、そして貴方の叫びが。


(この場所を深紅に染める)




*




「……また?」

「今日は、六人」


“また、殺された”――はじめての犠牲者が出て以来、ルシファーは毎日必ず死者を出している。

犠牲者の出る時間は夜だった。夜が明けるたびに、必ず建物内のどこかで死体が発見されるのだ。

EPPCをはじめとする面々は血眼になって夜の警備を行なったが、闇に潜む殺人鬼はそれを掻い潜り着実に殺しを遂行するのだった。

もはやルシファーに、心休まる場所はない。

それどころか、殺人鬼がどこに潜んでいるのか――無論、誰なのかわからない有様である。事態は予想されていたよりずっと深刻だった。


「昨日警備に着いてたポートは何してた? 役立たずめ……」

「そのポートが全員殺されている」

「……。マジか」


話し込むハルと朝深を見ながら千瀬は思う。

もしかしたら、あの二人のうちどちらかが殺人鬼かもしれない。二人共かもしれない――現状は、そういうことだ。


「……大丈夫か、チトセ」


突如名を呼ばれた千瀬はびくりと肩を震わせる。

彼女に声を掛けたのは華京院 椿だった。椿は怪訝な表情で千瀬を見つめていたが、やがて高い位置で結いあげた髪を揺すると千瀬に背を向ける。


「……巡回の時間。行くよ」

「あ、うん」


椿は必要最低限の言葉しか発しない。それはもう千瀬にもわかっていることだ。そんな椿が他人を気遣うような発言をしたことに内心驚きつつ、千瀬は彼女の後に続いた。

……椿が気にするほど自分はぼんやりしていたのか、と思うと笑えてしまう。


(もうこんな時間)


千瀬は今日、椿と共にルシファー内の巡回当番にあたっていた。もう一人の当番であるオミはすでに見回りに向かったようだ。

――時刻は午後十一時半。広いルシファーの構内をくまなく巡回するとなれば、三人で手分けしても一時間半はかかるだろう。

巡回の終わる午前一時。それはきっと、殺人鬼が目を覚ます時刻。


(……笑えない)


千瀬はランプに火を灯し、冷たい鉄の扉を押し開けて部屋から出た。蒸し暑い風が髪をくすぐっていく。


――――さぁ、夜のはじまりだ。




*




夜風が湿気を孕む、厭な晩だった。椿は湿って体にまとわりつく着物の袖を煩わしそうに払い除け、広い廊下を真直ぐに歩いて行く。

寂寥感すら感じさせる静かな廊下だ。千瀬の好きな空間であるはずの場所なのに、なぜだか今晩は落ち着かない。

廊下に面した壁にはいくつもの扉が並んでいた。なぜこの建物にはこんな部屋があるのだろうと千瀬は首を傾げる。見回り当番に対する嫌がらせとしか思えない、実際使用していない部屋など大量にあるのだろうから。


「はじめるよ」

「うん」


仕事開始。千瀬は自らに向けて呟いた。

ギシリと軋む扉を次々に開け、千瀬と椿は部屋の中を確認していく。どの部屋も中は暗かった。大きな窓にかかる赤銅色のカーテンの合間から、青白い月明かりだけが差し込んでいる。

中に誰もいないことと不審な物が無いことを確認すると千瀬は扉を閉め、次の扉のドアノブに手を掛けた――その瞬間だ。

ガチャリ、と。突然、違和感に満ちた堅い音が響き渡った。


「――あれ?」


そのドアノブは僅かに回転しただけで、それ以上はどうしても動かない。千瀬は勢いを付けて扉を押してみたのだが、がちゃがちゃと派手な音が鳴るだけで開く気配は全くなかった。


「どうした?」


廊下の反対側に並ぶ部屋を点検していた椿が千瀬に声をかける。


「ドアが……鍵が掛かってるみたい」

「――貸して」


椿は千瀬にかわってその扉の前に立つと、腰に巻いた帯の隙間から何かを取り出した。

先端が細く尖った小型の刃物である。西洋製の物には見かけない特徴のある形で、柄の先には穴が開いていた。――クナイ、だ。


千瀬は目を瞬いた。いつだったか、椿は忍の家系の出だとは聞いた気がする。しかしこうしてその様を目の当たりにすると、やはり驚いてしまうのだ。


(しゅりけん、とか持ってるのかな)


千瀬が場違いな疑問を抱いている間に、椿はクナイに開いた穴に中指を差し込みくるりと回してからそれをしっかりと握り締めた。


「……ツバキ、何するの?」

「全ての部屋を確認しろというのが上からの司令」


刹那、ひゅ、と響く風を切る音――椿の振り下ろしたクナイの先端が、扉の鍵穴を突き壊した。

銀色の破片が辺り一面に飛び散る。咄嗟に首を傾けた千瀬の頬の傍を、鋭利な鉄片が掠めていった。


「……こ、」


壊しちゃった!

青ざめた顔で狼狽える千瀬を気にせず、椿がゆっくりと扉を押す。地の底から聞こえるような重い音と共に、鍵を無くした入口が開いた。

金属の擦れる音が悲鳴のようだ。断末魔の叫び声。


「……赤錆の臭い」


吐き出すように椿が言う。続いて部屋に入った千瀬は、思わず服の袖で鼻を覆った。

――ひどく凄惨な光景だった。部屋の壁一面に、何かが付着した痕跡がある。開いた扉の内側にも、そして床にも広がったそれは乾燥し、黒く粉末状に剥がれていた。

明かりをつけなくとも、これが何なのかわかる。錆びた鉄と僅かな腐臭、嗅ぎ慣れた臭い。


(――血の匂いだ)


少女は唇をきゅっと噛み締める。もしここにある血が人間一人分のものなら、致死量などとうに越えているはずだった。


「何なの、ここ」


部屋には血痕が散らばるだけで他には何もない。あると予想される死体さえ、どこにも見当たらなかった。

千瀬は扉に目をやる。鍵穴があった場所には、大量の血液が付着し塗り込められていた。きっとこのせいで鍵が錆付き、ドアノブが回らなくなってしまったのだろう。


「……チトセ、ツバキ」


突如後ろから声が聞こえたのはその時だ。振り返ったそこにいたのはオミである。

オミは部屋の有様には目もくれず、真直ぐに千瀬と椿だけを見ていた。そして彼女にしては珍しく、焦ったように言葉を紡ぐ。


「殺人鬼は、ここじゃありません。急いでください」


オミの浅葱色の髪がオレンジの灯りと混ざり合い、鮮やかな萌黄色に見える。ランプの灯と共にゆらゆらと揺れるその色が、ひどく幻想的だった。

こんな部屋の中にいるにも関わらず何で自分は落ち着いているんだろうと、千瀬は自嘲気味に笑う。


「――どこに、急ぐの?」


千瀬の言葉にオミは目を閉じ、それからふるふると首を横に振った。


「わかりません。でも、ルカ様が」

「……ルカ“さま”?」

「ルカ様が急げと仰ったのです。今日は、死臭がするからって――」

「……!?」


――オミがそう言ったのと、甲高い叫び声が聞こえたのはほぼ同時。

悲鳴が、夜闇を切り裂いた。



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