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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第四章《慟哭》
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第四章《慟哭》:紅い夜明け

――まだ朝日が昇る気配もない、闇の刻。

千瀬はベッドの代わりに使用している大型のソファーの上で、ゆっくりと目蓋をもちあげた。古くなったスプリングがぎしりと鳴いて、それが少女の意識にかかった靄を払ってゆく。


(……あれ?)


どうして目が覚めたのだろうと、千瀬はこっくり首を傾げた。自慢にはならないが、けして彼女は寝起きの良いほうではない。どちらかといえば寝汚いし良く寝呆ける――それは少女自身も自覚済みだ。

周りを見渡せば、他に“監獄”にいるのはロザリーとオミ、春憐、椿の女性陣のみであった。珍しいことではない。EPPCは交代で睡眠をとることになっているので、夜中でも全員がこの場所にいることはめったにないのだ。特に今のような警戒体制の最中では、巡回として深夜でも皆駆り出される。


「……?」


違和感の無い光景だった。けれどどういうわけか釈然としない。――今日は、何か変だ。空気が騒つくような。

嫌だな、と千瀬は思う。これでは寝られない。野生動物がその勘を働かせているように、今やすっきり覚醒した身体が全神経をそばだてている。

――ぱちり。

千瀬が灯したランプのカバーガラスに、いつの間にか起き上がったオミの顔が逆さまになって映り込んでいた。薄明かりに照らされた少女たちの頬が陶器のように白い。

千瀬がちらりと目をやれば、オミの漆黒の瞳は千瀬を通り過ぎてずっと奥を見据えているのがわかった。


「オミ?」


寝呆けているわけではないだろう。(自分じゃあるまいし、と思って千瀬は虚しくなる。)

数秒の間の後、オミは俊敏な動作で鮮やかな浅葱色の髪を結い上げると千瀬に向けて小さな唇を動かした。


「――はじまった」


あかい、夜が。




*




夜明けを迎えたルシファーは騒然としていた。

誰もが堅い表情を作り、忙しく動き回る。外部と連絡を取り合う者、武器庫に駆け込む者、ただ右往左往するだけの者。

その中でEPPCはロヴを中心に緊急集会を執り行い、各自臨戦態勢を余儀なくされた。たった一夜、ほんの数時間の間に、事態は悪い方向に急転したのである。


――発見された犠牲者は《パース》だった。

だったと推測される、と言うのが正しいだろう。人間だった“それ”は切り刻まれて、原型を留めてはいなかったのだ。傍に転がっていた翡翠色の紋章が、唯一それが元は《パース》だったことを連想させた。

彼――彼女かもしれない――は先日の大集会で本部に呼ばれたうちの一人だったのだろう、通常ならば末端にあたる《パース》は本部になどいない。巡り合わせが悪かったとしか言い様が無かった。


死体の処理をした掃除婦グレッタの体にはおびただしい血痕と腐臭が付着していた。それだけで、その凄惨さは容易く見て取れるだろう。

千瀬は血に塗れたグレッタの有様を目の当たりしていた。嫌な胸騒ぎで眠れぬまま夜明けを待って監獄を出た、千瀬の前に一番はじめに現れた人物がこの老婆だったからである。


千瀬は息を吐く。それは嘆息ではない。少女は、理解したのだ。

――終わってしまったのだ。唐突に、こんなに呆気なく。願い続けた小さな安穏は、もう戻らない。


(……あたし達は、戦わなければいけない)


だってそれが唯一の。




*




「ふざけんな!!」


部屋一杯に少年の咆哮が反響する。ぐわん、と割れながら無機質な石の壁に吸い込まれていった、それに答える声は無い。


「俺達じゃねぇ。何度言ったらわかるんだ……っ!」


言い終わるやいなや、バンッ! という激しい音が“監獄”中に響き渡る。

日向ハルの左拳が監獄の壁を力の限り殴り付けたのだ。素手で攻撃された石の壁は漆喰が剥がれ落ち、パラパラと辺りに舞散った。


「ハル、よせ!」

「うるせェ、テメーは平和に台湾なんかに行ってたくせに」

「ンだと、」


ハルの胸ぐらを駿の腕が捕らえる。文句あんのかこのシスコン、喧嘩好きの不良少年はここぞとばかりに駿を煽った。

あわや乱闘になりかけた少年二人を、次の瞬間太く大きな腕が引き剥がす。


「落ち着くんだ、ハル」


諫めるレックスに攻撃的な視線を送ったハルは、肩を怒らせながら勢い良くその場に座り込んだ。


「どういうこと……?」


小声で尋ねた千瀬にロザリーは首を傾げた。二人はつい今し方『警戒強化』の名のもとにルシファー内の巡回を終えたところで、さっぱり状況が飲み込めなかったのだ。

“監獄”に帰還し扉を開けた二人の目に映ったのは、激昂するハルと止めるつもりが乗せられてしまった駿、それを宥めようとするレックスと憮然とした表情を浮かべる日本遠征組。室内には物を投げ飛ばしたような跡があり、至る所に何かの破片が散乱している。


「さっきまた、僕等に召集がかかったんだよ」


いつのまにか千瀬とロザリーの後ろに立ったツヅリがゆっくりと言葉を吐いた。表情は柔らかいが読めない青年だ。感情が、見えない。


昨晩パースが死んだだろ? 二人……三人かな。見たけど死体が混ざりあっちゃってわからなかった」


ツヅリはさらりと恐ろしいことを言ってのける。ハルの元を離れていつのまにかこちらにやって来ていた駿が、ぞんざいに顔をしかめてみせた。


「この際人数なんてどうでも良いんだけどね。問題は、日本遠征組にしつこく召集がかかる点だよ。おかしいと思わない?」


千瀬は首を縦に振ることが出来なかった。少女はもう気付いていたからだ、頻繁すぎる召集の意味に。

ロザリーがぴくりと震えて視線を逸らす。ルードに言われたことを当人達の前で言うことなど、できるはずもなかった。


「ハァ? 何が言いたいんだよ?」


意味わかんね。冗談めかしてその場を誤魔化そうとする駿の気持ちを知ってか知らずか、ツヅリは薄い笑みを浮かべた。


「ルシファー上層部は疑ってるんだ。この件の犯人がEPPC内にいるって――」

「………ッ」


それは確かに笑顔だった。けれど目は前を見据えたまま、口元だけが笑っている。

三人は息を呑んだまま、ツヅリを見つめるだけだった。周りが自然と気が付いた事に当人達が気付かぬはずはなかったのだから、驚く必要はどこにもない。ないけれど、言葉が出てこないのだ。


「――否。殺人鬼は、日本遠征組の中にいるってね」


千瀬が聞きたくなかった言葉。けれど心の奥底で、誰もがそうではないかと考えていたこと。

ここ数日のルシファー上層の動きはおかしかった。明らかに、部下を調べるような活動をしていた。


(……やっぱり)


千瀬は確定した事実に、そしてツヅリの表面だけの笑顔に背筋を凍らせる。


「……気にしすぎじゃねぇの。そんなわけ」

「ないとは言いきれないだろ?」


なおも無理に言葉を繋げようとした駿の口を、ツヅリはやんわりと塞いだ。もはや気休めさえ言えない。諦めて、駿はその口をつぐむ。


「ここの連中は、誰もが何かしらの過去を抱えている。皆が殺しの経験を持っていて、一歩違えば刑務所行きだった。チトセもそうだろ? シュン、君もね」


瞬間、ばっと勢い良く駿が視線を逸らした。千瀬は驚いて瞠目する。


「ここにいる誰もが殺人鬼になりうる。昔は皆、一度は殺人鬼だったんだから……ね?」


目の前で淡い微笑みを浮かべる青年を、ただ千瀬は見つめることしかできなかった。

ツヅリにもあるのだろうか、と千瀬は思う。人には言えない過去。千瀬と同じような、あるいはそれ以上の。


「僕のことは秘密だよ。そのほうが、世の為人の為になるからね」


千瀬の思考を読んだかのように。ツヅリは小さく呟いた。


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