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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第四章《慟哭》
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第四章《慟哭》:亡霊の足音(1)


「……おい、オイオイ。何だぁ、こりゃ」


久々の再会を果たした武藤 駿が開口一番に発した言葉はそれだった。帰還早々、例を見ないルシファーの厳戒体制の元身体チェックを受けるはめに陥った遠征組は疲労を隠し切れず、少々辟易さえしているようだ。

駿も例外ではなかった。漸く身体検査から解放されて“監獄”へ帰ってきてからは、ゴキゴキと首を鳴らしてばかりいる。


「それ、こっちの台詞……」


千瀬は駿に手渡された不気味な操り人形の腕を動かしながら呟いた。台湾土産だというその物体はおかしな方向に目が飛び出しているし、体中が麻糸の縫い目だらけで不恰好だ。色は濃い茶色。正直言って気味が悪い。


「魔除けらしいぜー。大事にしろよ」


そういって笑う駿の向こうでは、グロテスクな人形をやけに気に入ってしまったロザリーが上機嫌でそれと戯れていた。これ可愛いねぇ、と笑顔を浮かべる彼女の趣味はいまいち掴めないと千瀬は思う。


「で、だ。何でこんなことになってる? 天下のルシファーがこの警戒っぷり……何があった」

「あれ、シュンってば知らないんだ?」


千瀬は彼に事の成り行きを簡潔に説明した。春憐と共に台湾に派遣されていた駿の耳には、組織の構成員が殺害されている知らせは届いていなかったらしい。


「ふぅん」


駿は軽い相槌を打ち、首を傾げた。眉の根元が僅かに寄せられる。


「じゃあ、それ全部日本に行った奴が殺られたんだな」

「……そう」


千瀬は顔を曇らせた。駿と春憐以外の〈ソルジャー〉の派遣先が日本だったことを少女が知ったのはつい先刻のことである(事件の詳細がついに彼女達にも発表されたのだ。)そして殺害された組織員は全て日本での任務についていたとなれば、日本人としてあまり良い気はしない。

それは駿も同じだったのだろう、その顔には不快だとはっきり書かれていた。


(嫌な感じ)


もう同じことを何度思っただろう。

何者かがルシファーに関わる者を狙っているのは明らかだった。今までは末端構成員ばかりが犠牲になっていたが、今に遠征組の〈ソルジャー〉までもが襲われるかもしれない。

通常の“敵対者”ならば、自分達の相手ではないと千瀬は思っている。並以上には戦える自信があったし、それを裏付ける経験も積んできた。新入りの千瀬でさえこうなのだ、古株のメンバーならばもっと。


(……でも、もし、並以上の相手なら?)


最後の晩餐。その言葉を思い出し、思わず千瀬は眉を寄せた。

全く縁起でもない。


「あいつらなら大丈夫だよ。日本組は俺等より少し帰りが遅いってだけらしいから、そろそろ帰ってくるんじゃないか?」


笑いながら駿が千瀬の肩をぽんぽんと叩いた。

不気味な魔除けの人形を、少女はぎゅっと握り締める。




*




駿の予想どおり、日本遠征組が帰還したのはそのすぐ翌日のことである。

彼らは通常どおりロヴのもとへ直行し任務報告を行なったのだが、今回ばかりはすぐ解散というわけにはいかなかった。

報告会はそのまま件の事件の緊急会議へと変貌する。ルシファーを襲った異変をひしひしと感じていた日本遠征組は、誰もがその異常さに気が付いていた。

メンバーの中には数人、直属の部下を殺された者も板らしい。戦闘のエキスパート達を出し抜いて事を進める今回の敵はやはり容易には始末できないだろう。


「ただいまぁー」


長い長い話し合いの末漸く遠征組が自らの寝床に帰還したときには、もう日付が変わろうとしていた。

はじめに“監獄”の扉を開け、疲れたように笑ったのはシアンである。やっぱりホームが一番ね、そう言って彼女は自分の住み慣れたスペースへと荷物を運び込んだ。

それから続々と入場したのが欠伸を連発するハルと仏頂面の朝深、無表情のツヅリ。その後ろから現れた金髪の女性を見つけ、思わず千瀬に笑顔が浮かんだ。


「おかえり、サンドラ」


よかった、と千瀬は呟く。当たり前のように全員が帰ってきたことが無性に嬉しかった。やはり全員が疲労の色を隠し切れていなかったが、それは仕方がないだろう。


「ただいま」


サンドラがふわりと笑う。柔らかく波打った髪が美しく揺れた。

それから一拍遅れて、よぅ、サンドラに声が掛けられる。レックスがこちらに向けて片手を上げていた、それに応えるように手を振り返す彼女を千瀬はぼんやりと見つめた。

この二人は本当に仲が良い。それが属に言う恋愛感情を介した物なのか、昔からの仲間としての繋がり故なのかはわからないが。

ただ確実に目に見える絆が、千瀬には美しく思える。


「サンドラ、これは何?」


千瀬と並んで遠征組を迎えていたロザリーが何かを指差した。皆の視線が集中する指の先に千瀬が目をやれば、サンドラの足元に転がるボストンバッグが見えた。


「ん……?」


千瀬は首を傾げた。ボストンバッグから、おかしな物体が飛び出しているのが見えたからである。


(――植物だ)


新聞紙に包まれたその根元にはしっかり水分が補給されているのだろう、見たところまだ瑞々しい。当たり前のように道端に生えていそうな、言うなれば雑草のように思える。


「ああ、これのこと? えっと、なんて花だったかしら」


サンドラが引っ張りだしたその植物は花と言うよりも草なのだが、千瀬には見覚えがあった。他でもない、祖国の草花だ。

放射状に広がった丸みのある葉に、小振りで穂型に重なってついている鮮やかな青紫の花。名前は、確か。


「……立浪草?」

「そうそう、それ。タツナミソウ。日本各地に分布してるらしいのよね。私は初めて見たんだけど、素敵な花言葉だったから持って帰ってきちゃったの」


観葉植物ではないけれど日持ちもするみたいだし、と嬉しそうに語るサンドラに、ただただ千瀬は首を傾げる。


「花言葉……?」


千瀬は家柄上、日本古来の文化には詳しいほうだった。植物の知識もそのうちで、春や秋の七草などは覚えておくようにと言われたものだ。花言葉も教養の一つとして学んだことがある。

けれど立浪草の花言葉は何だったろうか、と千瀬は眉根を寄せた。あまりポピュラーな花ではないだけに、なかなか思い出すことができない。


「ルカにね、お土産が欲しいって言われて。あの子日本が好きなのよ」

「へぇ?」


言われて千瀬は酷く驚いた。ルカが日本を好いているという事実にもだが、何よりも彼女がお土産をねだったりするのだということに。

ルカには神秘的なイメージが付きまとい、どうにも年相応の行動をとられると不思議な感じがしてしまう。小さく苦笑を洩らしながら、千瀬は話の続きを促した。


「だからこの花ね、ルカへのお土産なの。私からあの子へ贈るのに、ぴったりの花言葉」

「ルカ、に?」

「ええ」


サンドラは柔らかく目を伏せた。優しい瞳。彼女がルカを妹のように可愛がっていることは誰もが知っているが、きっと真実はそれほど単純ではないのかもしれない。

千瀬は彼女達の過去を知らなかった。ロヴにルシファー結成時の話を聞いたときも、サンドラがいつ彼らと出会ったのかは語られなかったのだ。

けれどきっと、簡単には語れないような深い繋がりがあるのだと千瀬は思っている。ここの人間は皆、そういう過去を抱えながら生きてきた。


「任務先にタチバナって日本人の案内役が居てね、空き時間に彼が詳しく教えてくれたの。ルカは花言葉なんか知らないから、もしチトセが思い出したときはあの子に教えてあげてちょうだい」


立浪草の意味をね。

サンドラが軽いウインクと共に言う。どうやら教えてくれるつもりはないらしい、千瀬は自力でその花言葉を思い出さねばならなかった。


「ああ、もう一つあるのよ」


思い出したように言うとサンドラはバッグの中からやや大降りの本を取り出す。それをぱたぱたと振ると、彼女の掌に二枚の紙が滑り落ちた。


「栞?」

「そう。これも日本の花でしょう?」


しおり、だった。まさに今彼女がしていたように、本に挟んで使うあの。

千瀬は手渡されたそれをしげしげと眺めた。和紙の上に鮮やかな絵の具で花が描かれている。その上から透明なフィルムを貼り、藍染の紐が結ばれていた。白い台紙の上に花火のように散った、細長い紅色の花片は確かに日本の――彼岸花、である。千瀬の家では、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)と呼ぶ事が多かった。


「どう、懐かしい?」

「……すごく」


それはただの絵に過ぎなかったのだが、少女の記憶を酷く揺さ振った。

千瀬は家の裏手に生えていた花を思い出す。死人花などという呼び名のあるせいか、はたまた火事を呼ぶとされるからか。不吉なイメージの付き纏うこの花を、何故か幼い頃からずっと綺麗だと思っていた。華やかな紅に、哀愁に似た愛しさすら感じてしまって。

千瀬の感性は当時にして、既に他人とずれてしまっていたのかもしれない。


「一枚はチトセにあげるわ」


サンドラは栞を千瀬の手に握らせた。千瀬はその笑顔を見ながら、きっともう一枚はルカに渡すのだろうと思う。

汚れのない曼珠沙華の紅は、ルカの黒髪にきっとよく似合うだろう。


(……この花には毒がある)


幼い頃教えられたことを思い出した。毒があるのは茎だったか、それとも根だっただろうか。

栞を光に透かしてみる千瀬の頭をサンドラが撫でる。


「ルカに渡しに行かないの? 日持ちするっていっても、早くしないと萎れちゃうよ」


千瀬は立浪草を指差した。サンドラは腕を組むと、僅かに考え込む素振りを見せる。


「……それが、しばらくは無理そうなのよね」


彼女はちらりと後方に目をやった。奥ではハルとツヅリが何やら深刻そうに話し込んでいる。それを眺めているシアンの表情も暗い。朝深だけは一人部屋の隅で壁に寄り掛かり、ただ空を睨んでいた。

彼らが何の話をしているのかは一目瞭然だ。暗い話題など、今は一つしかない。


「私の所も被害が酷かった。気付いたときには部下がどんどん死んでて――」


サンドラは口籠もり、苦しそうに眉根を寄せる。何か、酷く思い悩んでいるようだった。その苦悩は理解できたので、千瀬は何も言わずに彼女を見つめる。


「……特にアサミの所が一番多かったみたいだわ。皆、酷い殺され方をしていた」


朝深。呟いて千瀬は本人を盗み見る。殺された部下、なす術もなかった〈ソルジャー〉達。過剰なまでの身体検査と長引いた会議。


(嫌な、かんじ。)


千瀬が思っていたよりもずっと事態は深刻のようだった。そして何よりも、遠征に向かった組織員の精神的なダメージが大きい。

同僚を殺戮された《ポート》や《パース》は勿論、惨劇を食い止められなかったEPPCの面々は皆自分の腑甲斐なさを責めているようだった。


「警戒が、続くから。暫くはルカに会えないわ」


〈ハングマン〉であるルカはこれから本格的に警備にあたるのだろう。彼女が忙しくなればなるほど、〈ソルジャー〉と〈ハングマン〉の接触は減る。

千瀬は拳を握り締めた。自分達は常に死と隣り合わせなのだと、改めて思い知って。


(……あれ、)


ふと千瀬は違和感に気が付いた。

なぜルシファー本部までもがこんな厳戒体制を敷いているのだろう。構成員を殺した何者かは、日本にいたのではないのだろうか?

千瀬はこの話を聞いた時からずっと、敵は日本人または日本に潜伏するルシファーの“敵対者”、または殺し屋の部類だと思っていたのだ。

そうならば日本からメンバーが帰還した今、この体制はおかしすぎる。本部を固めても意味が無い、日本に人員を派遣して即刻敵を討つべきではないか?


「…………、」


そこまで考えて息を呑んだ、少女の喉がひゅっと鳴る。千瀬は一つの考えに行き着いて身を震わせた。


(――これじゃあ、まるで)


……まるで。



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