第四章《慟哭》:間話
「……ユー? ユゥってばぁ、ねぇっ」
鈴を転がすような声がした。同時、幼い容貌の少女が眠たげな目を擦りながら部屋へと入ってくる。その部屋の主である少年は自らの髪――限りなく銀に近い、透けるような金色をした巻毛だ――をくるくるといじっていた指を止め、その目を少女に向けた。
「おじいさまが、お仕事に行きなさいってゆってるわ。えっと、ほら、ウォルディが追い掛けてた殺人鬼、いたでしょう? 今ね、近くにいるんだって」
たどたどしく言葉を切りながら喋る少女は見た目こそまだ十かそこらのようだが、実際は今年で十四になる。
幼い口調もそれに合わせたかのような見た目も、彼女の育った環境が全ての原因だ。要は箱入りなのである、それも生粋の。
そんな“生粋のお嬢様”を一瞥し、少年は冷たく言い放った。
「何で僕が」
嫌だよ、めんどくさい。少年がそう言ってそっぽを向くと少女はぷぅと頬を膨らませる。
「おじいさまは、最近あなたはお仕事に熱心じゃないって。悪い人は、全部やっつけないといけないんだよ?」
懸命な訴えに見向きもせず、少年はつまらなそうに一つ欠伸を零した。
彼は今そんなことにかまけている場合ではないのである。ただでさえ口煩い部下一人、撒くのに苦労しているというのに。
「……ロンドンの話だったらウォルディ一人で十分だろ。何ならアイジャ、お前が手伝ってやれば良い」
言われた言葉に肩がぴくりと震えた。アイジャと呼ばれた少女はその愛らしい顔を、これでもかというくらいに歪ませながら少年をねめつける。
「二十人もムサベツに殺しちゃってるひとに、あなたはたった二人で立ち向かえってゆうのね。相手はタイリョウサツジンハン、なのに!」
「僕が行ったって、たったの三人」
少年はしれっと少女の言葉を躱すとまたしても彼女から視線をそらす。
アイジャは怒りで僅かに頬を上気させながらその後も何事かを訴え続けたが、少年は全く聞く耳を持たない。
口に出すのを諦めた後暫らく少年を睨んでいた少女は、やがてスカートの裾をきゅっと掴んだ手を震わせながら泣きだしてしまった。
「うわあぁあん、ユーの馬鹿ぁぁあぁ!」
「……ばっ、」
少年はぎょっと目を見開いた。屋敷全てに響くようなその泣き声に目をしばたたかせた後、慌ててアイジャの口を塞ぐ。
「馬鹿はお前だ! “ドン・ファンダルス”に聞こえるだろ……!!」
この少年にしては珍しく崩れた表情で言われたアイジャはもごもごと口を動かすも、やがて諦めたように体から力を抜いた。
それを見てほっと口から手を離した少年を、恨むような目で少女は見上げる。
「うぅっ、ユーはアイジャが死んでも良いんだわ」
「何だよ、たかだか二十人じゃないか」
大袈裟だと溜め息を吐く少年にアイジャは目を見開いた。たかだか二十人?
「命を粗末にしちゃいけないって、おじいさまがゆってた」
「……いいかい、アイジャ。僕は今そんなやつ相手にしてられないくらい忙しいって、じいさんに言っといてよ」
アイジャはことりと首を傾げた。少年の言う意味が理解できなくて、ただ彼を怪訝そうに眺める。
「そんなレベルの殺人鬼とは比べものにならない大物相手に仕事をしてる最中なんだよ。もうすぐ片が付く」
「……ちゃんと、お仕事してたの?」
「巨大な犯罪シンジケートを内側から偵察中なんだよ。上手く行ったら……うん、僕の目的が達成できたら王手はお前にかけさせてやっても良い。そしたら、世の中の犯罪はずっと少なくなるだろ」
僕の目的が済んだら、ね。
小さく呟かれた言葉は聞こえなかったのだろうか、少女がぱっと顔を輝かせた。
「わかるかい?」
「うん! じゃあ、おじいさまにはアイジャがちゃんとご報告する。ユリシーズはしっかりお仕事してますって」
アイジャはひらひらと手を振った。少女の桃色のスカートがドアの向こうに消えるのを少年は笑顔で見送り、ふぅと溜息を吐く。
気付かなければ良かったと思ってももう遅い。ああ、面倒なのがもう一人。
「……盗み聞きとは感心しないな、ウォルディ」
少年――ユリシーズが言うやいなや、扉の影から人影が現れた。彼も気付かれていたのは承知の上だったのだろう、臆することなく堂々と中へ入ってくる。
「仕事してるって? よく言う」
ウォルディは小さく笑ってみせた。ユリシーズよりも僅かに年上の彼はきっちりした貴族のような礼服に身を包み(それはユリシーズも同じなのであったが)視力に偏りがあるのか、右目にのみ片眼鏡を装着していた。
ジンジャーの直毛で僅かに隠された顔が柔らかな、しかしどこか冷たい表情をつくる。
「ここ数日お前がやってる事といったら、随従を野放しにして任務をサボるくらいだろ。サブナックが困ってるじゃないか」
「余計なお世話」
ユリシーズはぷいと視線を逸らす。簡単に言い包められるアイジャとは違い、ウォルディは厄介な相手だった。
ああめんどくさい、少年はもう一度思う。
「そう言うなって……なぁユリシーズ。お前一体、何しようとしてるの」
「……、」
無言でじろりと睨んでくる視線にウォルディは苦笑した。聞くな、ということか。わかっていても聞きたくなるのは彼の性である。
「お前の目的とやらと、“あれ”は関係あるのかな?」
「……無駄口叩いてる暇があったら、自分の職務を全うしたらどう」
噛み付くように言葉を紡いだユリシーズは座っていた革ソファーから勢い良く立ち上がり、つかつかとウォルディに歩み寄る。そのまま胸ぐらを掴もうとして、やめた。
ウォルディのほうが背が高いこの状況では無意味だ。違うほうの“力”で勝負すれば良いのだけれど、生憎気分ではない。
「僕が何をしようが君には関係ない。君は“来るべき日”に備えて、護身術でも身につけたらどう? ……僕は、」
ぎゅっと柳眉を寄せ、肩を荒げながらユリシーズは続ける。少年がここまで激昂するなど酷く珍しいことだった。
「僕はその日が来ても、君のことは護ってやれない。君の命は僕の管轄外だ」
「お前に護られるなんて考えたこともないよ、ユリシーズ。お前は自分の大切な“妹”の護衛に全力を捧げれば良い――首領の仰せのままに」
「――ウォルディ!」
耐えかねたように少年が叫ぶのを見て、やりすぎたな、とウォルディは思う。
けれど彼は後悔などしていなかった。ユリシーズの逆鱗に触れるとわかっていて、敢えて言葉にしたのだ。
大人気ないことをしているのはわかっている。でも、こうでもしなければ遣り切れない。
「……わかってるよね、ウォルディ」
「……ああ」
ふいに声を潜めた少年の言いたいことは、ウォルディには十分すぎるほど理解できていた。
今この組織の中でユリシーズの気持ちを知っているのは彼だけだ。ウォルディは少年の共犯者なのだ、もうずっと前から。彼が少年に加担するその理由は、もうずっと胸のうちにしまわれたままだけれど。
君には悪いと思ってるんだよ、と柄にもなくしおらしいことを言うユリシーズの頭を撫でてやる。血の繋がった肉親のように、弟のように。
――本当にそうなら、良かった。
「“継嗣”は君だよ、ウォルディ・レノ・ファンダルス」
呟いた少年の身体に、ファンダルスの純血は流れていない。