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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第四章《慟哭》
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第四章《慟哭》:警告と睥睨(2)

千瀬が階段を上りきり、特戦隊のメンバーと合流したところでそれは起こった。

突如囁きが波打つように大きく広がると、次の瞬間沈黙と静寂が舞い降りる。好き好きに、けれども控えめに言葉を交わしていた数多の人間達は、先刻迄とは打って変わった硬い表情をずらりと並べた。


(……?)


会場の異変を感じ取った千瀬は一階を埋め尽くす人の群れを見下ろしてみる。

真っ黒に染め上げられた人間が蠢いているのは少々滑稽な光景であったが、静まり返った今は身じろぎ一つする者もない。そしてその人間達の視線はただ一点――ホール中央の階段へと注がれていた。


「……ロヴ」


その姿を認めた千瀬は小さく呟きをこぼす。――階段の最上部へ、ロヴ・ハーキンズが現れたのだ。

ホールに渦巻く空気がぴんと張り詰める。いつも笑顔で紅茶を入れている好青年と同一とは思えぬ空気を纏い、ロヴは悠然と部下達を見下ろした。


背筋を伸ばした月葉が立ち上がって一礼する。それに習い、他三人の《テトラコマンダー》が深く頭を下げる光景は厳粛かつ重々しい。

その中でエヴィルとルカが二階の椅子に腰掛けたまま、頬杖をついてその様子を眺めているのを千瀬はぼんやりと見つめていた。あの二人はやはり別格だ、纏う空気が違う。


「――残念な知らせがある」


静寂を割って、突如ロヴが口を開いた。静かな、威厳ある声が響き渡る。マイクなど通していないはずのそれがホールに浸透し、緊迫した雰囲気が千瀬のもとまで伝染した。


「知っての通り、先日ルシファーから“遠征”として数十人の組織員を各地に派遣した。《ポート》や《パース》からも多くを動員したのだが」


ボスたる人間の存在感は恐ろしいのだと千瀬は実感する。何百人もいるであろう人間の誰もが微動だにせず首領の言葉に耳を傾けている様子は壮観だ。(ただし欠伸を噛み殺しているルードを除いて、だが。)


「今日集まってもらった理由はそれに大いに関係している。――簡潔に言おう、今回の遠征に参加した《ポート》と《パース》に、既に三十名を越える死者が出ている」


その言葉にざわざわと響動めきが広がった。明かされた緊急召集の理由に衝撃を受けた者達が口々に何かを囁き交わす。

しかし再びロヴが口を開いた瞬間、会場は一斉に静寂を取り戻した。


「全員即死だそうだ。相手は相当の手練と予想される」


千瀬の後ろに腰を下ろしたレックスが、興味深げにほぅ、と呟いた。彼のことだ、普段敵として排除している雑魚など――とはいっても、一般常識から述べれば強者の部類だろうが――を相手にすることに、飽いてしまっているのだろう。

しかし千瀬はこの話を楽しむ気にはなれなかった。何だか嫌な感じだ、いくらルシファーに敵が多いといえども。


「ここで知っておいて欲しいことがある。今回の遠征の主力は《ポート》でも《パース》でもない。パース諸君は初耳だろうが……《特別戦闘能力保持部隊・EPPC》だ。二階席を見てもらおうか」


ロヴが言い終えた次の瞬間、集結した人間全ての視線が一斉に千瀬達に向けて降り注いだ。

あまりの迫力に千瀬は息を呑む。うとうとと微睡んでいたルードが、ただならぬ気配を感じて飛び起きた。


「ちょ、え、なに?」

「慌てんな、ルード」


殺気を向けられたと勘違いして懐からナイフを取り出した少年をレックスがやんわりと押さえ付けた。(ルードは寝呆けていたらしい。)

視線が痛い、と千瀬は思う。とくにEPPCの存在をたった今知らされた末端パースの人間は、一様に珍獣を目の当たりにしたかのような表情を浮かべている。


「EPPCはその名の通り、ルシファーの戦闘要員だ。他の組織の侵入・攻撃の九割を防いでいるのは彼らだということを心に留めておいてほしい」


ざわ、ざわ。ロヴの言葉に混乱した《パース》の人間が興奮仕切った様子で騒ぎ立てる。

信じられない、女子供まで混じってるぞ――何といっているかはわからないはずの言葉でさえ内容は予想できる。千瀬はそれらを耳にしながら、ロヴが今更EPPCを紹介している理由を考え込んだ。

今までは気にしていなかったのに、なぜ。


大人気なく喚き立てる部下を黙らせようと立ち上がった月葉を笑って制し、ロヴはさらに言葉を続ける。


「冗談だと思うか? ここにいるのはメンバーの一部だが――君達全員を、五分以内に消すことができるだろう」


瞬間、更に増したどよめきが広間中に波紋のように広がった。これでは収集がつかない、と月葉が再度立ち上がる。

瞬間、ロヴは部下達に止めの一言を浴びせかけた。


「それじゃあ、試しに誰か死ぬか」


しん、と一瞬で静まり返る人々にロヴが笑い声を上げた。

千瀬には彼が部下をからかって遊んでいるように思われて仕方がない。あながち間違ってもいないだろう。

そりゃールカ姉がいればな、と呟いたルードの頭にミクの鉄槌が下ったのを目の端が捉えたが、千瀬はあえて見なかったことにしてしまった。

部下たちのやり取りを一通り楽しみ不敵な笑みを浮かべていたロヴが、ふいに声のトーンを落とす。


「さて、本題に入ろうか」


首領である男がゆっくりと階段を下りはじめた。彼が一歩降りるにつれ、麓の人間が緊張するのがわかる。その風格に息を呑む者、怯える者。ここにいる人間の命を握っているのは紛れもなくロヴだ。


「問題は犯人が全く判らない事と、着実に日々死者が増えている点。この戦闘のエキスパートであるEPPCが管轄している仕事にも関わらず、だ」


(そうか。)


唐突に千瀬は悟った。気付くのが遅すぎたとも言える。

普通ルシファーに敵なす相手は、早々にEPPCが始末してしまうはずである。そのEPPCの警戒を掻い潜り、なおかつルシファーの構成員を次々と殺害している『何者』か。今回の敵はそれなのだ。


(……一筋縄では、いかない)


「諸君等には厳戒体制を敷いてもらいたい。詳細がわかりしだい再度集会を開くつもりだが……前例の無い事態に陥っている事は、忘れるな」


ロヴは月葉に片手をあげて合図を送る。それを受けた月葉が静かに立ち上がり、部下を解散させた。

千瀬が毎度思うことであるが、この組織の集会の終わりはやけにあっさりとしている。《ポート》と《パース》の人々は列を乱さぬまま行進するかのようにホールを出て行き、その際に何人かがちらちらとこちらを盗み見ていたことに千瀬は気付いた。


瞬く間に広間はがらんとした空間を取り戻し、ロヴは黒服の集団が全て退席したのを見届けると、ホールの二階席へと向かった。

EPPCメンバーの控える場所までゆっくりと歩んでくる彼の表情は千瀬の良く知った、おどけた青年のもの。


「ま、聞いてのとおりだ。お前達にとっても、少々厄介な事になってしまった」

「殺って良い?」


暇つぶしを見つけたとでも思っているのだろう、興味津々で尋ねたルードにロヴは柔らかい笑みを浮かべる。


「まぁ、このままの状態が続くならいずれ、な。お前達にも警戒を強めてもらおう。武器の携帯は忘れるなよ――明後日から順次、遠征組が帰還する。彼らとも一度話し合って体制を整えよう」


言われて初めて千瀬は気が付いた。遠征組が旅立ってからもうそんなに時間が経ったらしい。

あっという間だった、と思いながら千瀬は喜ばしい気持ちで表情を弛ませた。この分では駿やサンドラも無事に帰ってくるのだろう、土産話を聞かせてもらえるのが楽しみだ。


(最後まで無事、なら。)


ちらりと浮かんだ演技でもない考えに千瀬は慌てて首を振る。

その後ロヴは簡単な事務連絡を告げると、ルカとエヴィルを連れ自室に戻っていった。千瀬が気付いたときにはジェミニカの姿もなく、何時の間にやらルードもミクと共にホールを出て行こうとしている。


(やっぱり、)


普段があんな風でもルードはマーダラーなのだと改めて考えると、千瀬には少し妙な感じがしてしまった。

組織の中では階級が違う。千瀬は今日集まった多くの人間よりもはるかに上の地位であるし、ルードはそのさらに上なのだ。


「行こ、チトセ」

「……うん」


千瀬はロザリーに手を引かれ、“監獄”へと歩きだした。




*




「ロヴ」


エヴィルの声にロヴ・ハーキンズは歩を止めた。ルカも長い髪を揺らし、静かにエヴィルを振り返る。


「どうした?」

「……珍しいこともあるんだな。お前がすぐに『殺す』と言わなかった」


『殺って良い?』――エヴィルが言っているのは、ルードがそう尋ねた時の話だ。敵は直ぐ様始末するのが自分達のやり方である。特にロヴやエヴィルはその考え方が顕著で有名だ。

それを『いずれ』などという曖昧な言い方をした先刻のロヴを、エヴィルは訝しく思っていたのだった。


「やっぱりお前、わかってるんじゃないのか? ……それに、どうして〈ソルジャー〉の連中に告げなかった。“あの可能性”を――」


ロヴは僅かに目を伏せる。ふ、と静かに笑ったその表情は何かを悟っているようだった。まだ若いこの青年には似合わぬ老成した空気を肌で感じながらエヴィルは思う。

昔から、こいつはこんな風だった。


「エヴィー。それは今現在考えられる最悪のパターンだよ。今は未だ、早い。」

「……だけれど」


親しみを込めた昔からの呼び名で呼ばれてエヴィルは悟る。ああ、やはり。


「その時の為に、お前達ハングマンがいる」


エヴィルは僅かに眉根を寄せた。

わかっていることだ。もうずっとそうやって生きてきたし、今更それを変える気はない。変えられるはずもない。自分達にはそれが全てだったのだから。

それでも、とエヴィルは思う。もし、“その時”が来たら、


「ああ、そうだ。でももしそうならその時……ルカは――」


彼にしては珍しく言い淀んで、ふと俯いていた顔を上げたエヴィルは目を瞬いた。次いでロヴも、驚いたように辺りを見回す。


「ルカ……?」


隣を歩いていたはずの少女が、忽然と姿を消していたのだ。狭く直線的な廊下の真ん中にあった人影が三から二になり、あの黒髪は視界の何処にも見当たらない。

ロヴは静かに瞳を閉じて彼女の行方を辿る。少女の燐片を、気配の軌跡を。彼には“それ”が可能だった。

暫しの時間をかけた後、ロヴはゆるりと目蓋を持ち上げ淡く笑う。

隣で眉を寄せているエヴィルに語り聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「大丈夫だよ。あいつは、強い」



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