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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第四章《慟哭》
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第四章《慟哭》:装填(1)

建物の中を生温い風が吹き抜けていた。嫌な空気だ、まだ夕刻に差し掛かったばかりだというのにすでにとっぷりと闇に浸ったこの組織、その薄暗い廊下で少女は思う。

ふと気配を感じて振り返れば、得物を片手にこちらへ走ってくる人影が見えた。この組織の、ルシファーの人間ではない。顔中を汗と涙でぐちゃぐちゃに汚し咆哮とも悲鳴ともとれる奇声を発しながら、その部外者は少女へ襲い掛かろうとしているようだった。

推定年令三十七歳、性別男。向かってくるそれを見やりながら、千瀬は酷く冷めた頭で考える。


(――うわぁ、可哀想。)



*




ルカ・ハーベントがルシファーに帰還した。予定よりもずっと早く済んだらしい。これでやっと終わるね、そう言ってはしゃぐロザリーを前に千瀬は一人納得したのは朝の話だ。


(やっぱり)


組織の防衛を一身に担う〈ハングマン〉として、これ以上ルシファーを留守にするわけにはいかなかったのだろう。

ルカの選択は正しい。彼女が旅立った後――つまりはあの晩餐会の日以降――から今日までという短い期間に、ルシファーでは侵入者騒ぎが既に二回も起こっていたのだから。


いったいどこから情報を仕入れてきたのやら、襲撃を仕掛けてきた近隣の敵対組織はこちらの主戦力EPPCが一部遠征に出ていることを間違いなく知っていたようだ。(隙をつくのは正しい戦法に他ならない。姑息だとしても。)

二回の襲撃のうち片方は大手ユーロマフィアによる攻撃で、中々の戦闘力を誇る組織員がルシファーに潜入した。とはいってもそれは一般常識の範囲内での強さ、なのだが。


侵入者の話を最初に聞いたとき、千瀬はとても驚いた。それは襲撃に対してではなく、実はルシファーの本部所在地は“その道”の人間には良く知られているらしい、ということに。(千瀬本人が知らないのは滑稽としか言い様が無い。)

見張りに力を入れていないこの建物へ忍び込むのは簡単だ。ただしルシファーを知る人間の殆どは、この場所に足を踏み入れよう等とは考えない――そういう意味では今回は異例だったのだが。

自信があったのか過信していたのか、とにもかくにも、奇襲に出向いてきた相手はこの機会にルシファーを陥落させる気でいたのだろう。(〈ハングマン〉がもう一人残っていることは想定外だったようだが。)ロヴが命を狙われる側の人間だということを、千瀬はこの時改めて実感した。


無論千瀬はその襲撃において二回とも“掃除”の命を受けている。人数は減っていようとも絶対的な戦闘力を誇るEPPCだ、虐殺隊スローターの名は伊達ではない。

侵入した者達は居残っている〈ソルジャー〉や〈マーダラー〉、そして暇をもて余していたエヴィルにあっさりと始末され(ルードが嬉々として“掃除”に向かったのを千瀬は見た)、実際騒ぎはそれほど大きくはならなかった。末端の人間などはその出来事すら知らないだろう。


――ただし、実際はそれはまだ終わっていない。


実は、先の侵入騒ぎには残党がいたのだった。もとより曖昧な警戒網と幹部の勘とで成り立つ警備態勢、それにロヴの妙なルーズさが加わって、ルシファーは侵入者の数など把握していなかったのだから当然なのだが。

つまりこの建物内には千瀬達の殺し損ねた(というよりは相手が逃げに撤した)者が未だ潜んでいることになる。

あまり気分の良いものではないが、それもルカが帰ってきた時点で終幕だった。噂によれば、ルカという少女は人間を察知する能力に驚くほど長けているらしい(これが警備の甘い一番の理由だ。)



うわぁ、可哀想。

だから――まさに今廊下を一人で歩いていた千瀬の目の前に一人の男が飛び出してきた瞬間、千瀬は彼を哀れに思ったのだ。

男はおそらく先の侵入騒ぎの生き残りだろう。仲間が全員死んでから数日潜んでいたのだろうが、とうとう限界を迎えてしまったらしい。

ルカが帰ってきた。隠れんぼはもう意味をなさない。せっかくここまで耐えたのであろう目の前の相手に(相手が明らかな殺意を持って向かってくるにもかかわらず)千瀬は同情を禁じ得なかった。


「うああぁあぁあぁ、っ!」


男が声を上げる。どうせなら忍んで近づけば良いものを、これではバレバレだ。(どちらにせよ殺気は隠せていなかったが。)

憔悴しきった顔に浮かんだ濃い隈の淵に沿う脂汗と涙で表情はほとんどわからない。彼はせめてルシファーに一矢報いようと――情けない話ではあるが、せめてこの幼い少女の息の根だけでも止めようとしているのであった。


千瀬はちらりと自分の腰に目をやった。サンドラの忠告を守り、常に武器は携帯している。この場合は、例の訓練で鍛えた日本刀だ。あれのおかげで抜刀のスピードもずいぶん早くなったと思う。従来より遥かに重いそれの柄にそっと手を伸ばして触れた、少女の動作は淀みない。


千瀬には向かってくる男の動きがずいぶんとゆっくりに見えていた。スローモーションとコマ送りの世界だ。

千瀬は刹那に思考を巡らせる。今ここでこの男を見逃しても、確実にルカが仕留めるだろう。ならば自分が殺しても変わりはない。


少女は親指で鍔を押し上げる。刀の柄に手を掛けて抜こうとした、その瞬間だった。


(!)


千瀬が僅かに顔をしかめた。少女のすぐ後方、より近い位置からもう一人別の男が飛び出したのである。

二人いたのか、小さく呟いて千瀬は一歩身を退き視線を巡らせた。少女を挟むように向かってきた二人の男は、勝ち誇った笑みを浮かべる。一人はナイフを、一人は銃を片手に。


しかし人数が増えたからといって、千瀬が慌てたわけではない。瞬時に流れるような動作で刀を抜き、後方に振り抜いた刀身の先で後ろの男の銃を弾き飛ばした。

最初に現れたもう一人まではまだ距離があるし(どうやら足は余り速くないらしい。思わず千瀬は苦笑した。)短いナイフでは自分まで届くまい――そう判断し、先に後ろ気にいたほうを始末しようと続けて切っ先を向ける。


しかし、その時千瀬の視界に予想外の光景が映り込んだ。先刻後方の敵から弾き飛ばした銃が弧を描いて宙を舞い、千瀬の頭上を越え――そのまま、前方の男の前に落下したのである。


「……やば、」


思わず千瀬は舌打ちをしたい衝動に駆られた。こんなことなら切り壊しておけば良かった、気付いても遅い。

スローモーションのように、男が銃を拾おうと手を伸ばす。


引き金を引かれるのと、自分が二人斬るのとどっちが速いだろう?

千瀬がそんなことを考えた刹那、バァン!! という轟音と共に目の前で火柱が上がった。音源は銃に手を伸ばしていた男の、まさにその手の先。

何が起こったのかわからずに目を白黒させる男とは反対に、千瀬はそれを全て目で捉えていた。


(爆発した、)


男が落ちた銃に手を触れる寸前に、銃本体が吹き飛んだのである。

銃の暴発ではない。爆発だ、と何故か千瀬は確信を持つ。


「……あー。ちょっと強すぎたかなぁ」


奇妙に間延びした、場違いな明るさを持つ声が響き渡った。どこから、そしていつからいたのか。突如目の前に現れた女性に、今度は千瀬が目を白黒させる。

金の短髪にエメラルドグリーンの瞳をもつ女は、未だ唖然と立ち尽くしていた男を手持ちのサバイバルナイフであっさりと刺殺した。延髄を一突き、実に鮮やかである。

茫然とした表情を張りつかせたまま床に沈んだ男には目もくれず、女は千瀬に声を掛けた。


「ほら、そっちもさっさと片付けて」

「……あ、はい」


言われて敵の存在を思い出した千瀬は、同じように呆気にとられている男に刀を向ける。首を刎ねるのではなく心臓を突いたのは、少女なりの配慮だった。

ここは屋内だ、突きならば出血は少ない。


「んん? 見ない顔だねぇ、新入り?」


はじめましてー、そういって女はにこやかに笑った。細められた瞳に千瀬は安堵する。初対面だが漠然と、仲間だと悟った。


「はじめまして。えっと……?」


伸ばされた手に答えて握手をする。千瀬が遠慮がちに首を傾げると、女は心得たように軽やかな笑みを浮かべた。


「私はジェミニカよ。ジェミニカ・アルファーナ」



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