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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第四章《慟哭》
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第四章《慟哭》:夜風の行方


黒沼千瀬が初の単独任務(最終的には仲間と合流する形になったが)を終えた頃、イギリス南部の小さな街に突如一人の少女が現れた。この国では珍しい容貌をしたその彼女に、道行く人々が好奇の視線を送る。

少女は腰よりも長く伸びた髪を耳の下で緩く二つに束ね、その黒に映える純白のワンピースを身につけていた。(幸せな物語から抜け出したようなその格好に人々は目を奪われてばかりだ。)髪に合わせたような漆黒の瞳を巡らせて、少女は一心に何かを探している。


「……見つけた、」


暫し歩き回った後、そう呟いた少女の目の前にあったのはレンガ造りの小学校だった。建ってからの年月を感じさせる壁を一つ撫でて、少女はその門をくぐる。瞬間、彼女の目の前に見慣れぬ――“彼女にとっては”見慣れぬ光景が広がった。

そこは小さな校庭で、甲高い叫び声をあげながら走り回る子供達で埋め尽くされている。平凡で、幸せな。


黒髪の少女は酷く驚いた。こんなふうに、人間の子が生き生きとした様子を見ることなど日常の中ではまず無いのである。


(こんなところに、“彼女”は?)


少女は半ば信じられない気持ちで探し人の事を思う。楽しげな子供達を見つめているうちに、自分ばかりが異世界の住人のような気がした。否、実際そうなのだけれど。


(……?)


ふと少女は顔を上げる。何かが後方からこちらに近づいている気配を感じたからだ。

ある程度のスピードはあるが害意は――殺気はない。素早くそこまでを判断し、咄嗟に張り詰めていた気を緩めた。

暫くそのままでいると、少女の体にどん、と予想済みの衝撃が走る。何かが腰の辺りに衝突したのだ。


「ごっ、ごめんなさい!」


まだ変声期を迎える前の、甲高い声が響き渡った。少女にぶつかった幼い少年は鬼ごっこの最中だったらしい。


「大丈夫?」

「うん。ごめんね、おねーさん」


焦ったように頭を下げる少年に、いいよ、と少女は笑う。すると相手も安心したのか、にこりと歳相応の笑みを返してきた。

この子供ならば知っているかもしれない――彼女は暫し考えて、ふわふわしたブロンドの髪の少年に尋ねることにする。


「あのね、きみ、ホーランドって人知らないかなぁ」


問われた少年はぱっと顔を輝かせた。当たり、だ。黒髪の少女は笑みを絶やさず、少年の言葉を待つ。


「シェラ・ホーランド先生のこと?」

「そう。どこにいるか、わかる?」

「連れていってあげるよ!」


こっちだよ、そう言うやいなや、返事も聞かずに幼い少年は少女の腕をとった。

彼はすっかり心を許してしまったのか、初対面である少女に楽しげに自己紹介をはじめる。


「僕はね、イワンだよ。おねーさんは?」


くすりと少女は笑みを零した。こんな閑かな空間で子供に手を引かれる自分が、余りにも場違いで可笑しい。

こうして名乗る行為でさえ、彼女にはめったにないことなのだ。


「ルカよ」




*




鼻歌を歌いながらルカの手を引くイワンは、案内の片手間に様々なことを語って聞かせた。

彼の言う“シェラ先生”とはこの小学校で人気の高い女教師である。子供を愛し、子供達から愛されている彼女がここに赴任してからはまだ一年ほどしか経っていない。しかしシェラはもう、この小学校の顔ともいうべき人間になっていたのだった。


―――この学校から"シェラ・ホーランド先生"を奪ってしまうのは、正直気が引ける。

らしくないことを考えて、ルカは思わず自嘲した。どうも自分は子供には甘いらしい。

幸せな個人のそれを壊す理由など、別段彼女は持ち合わせていなかった。ただし仕事ならば話は別である。今も昔も、ルカにはロヴが全てだったので。


「シェラ先生ぇー」


かちゃり、と木製の扉が開く。所謂、職員室というところだろう。学校というものに通った経験のないルカには、ここがどういう場所なのかわからなかったのだが。

イワンがドアの隙間に顔を突っ込んで声を掛ける。同時に、中から明るい女性の話し声が聞こえた。


「どうしたの?」

「お客さまだよ」


イワンの言葉に承諾の返事が返ってくる。僅かな間があいて、ドアが内側から大きく開かれた。


「……!」


部屋の奥から出てきた女性の呼吸が、ルカを目にした瞬間止まる。少女はそれに小さく笑って会釈を返してみせた。

僅かに目を見開いたものの、すぐに平静と変わらぬ表情を取り戻した“シェラ先生”が笑って言う。


「ありがとう、イワン。校庭で遊んでおいで」

「はぁーい」


じゃあね、ルカおねーさん。そう言ってイワンは元の道を戻っていった。その背を最後まで見送った後、女性とルカは部屋の中に入り扉を後ろ手に閉める。

ぱたん。余韻を残して締め切られた部屋の中に人気はなく、今はルカと彼女の二人きりしかいなかった。


ルカは目の前の、金髪に翠の瞳の美しい女教師へ静かな笑みを浮かべる。

シェラ・ホーランド――――否。


「迎えにきたわ、ジェミニカ・アルファーナ」


ぴりりと空気が張り詰めた。僅かな静寂、それに終止符を打つ嘆息音。はぁ、と言われた女が小さく息を吐いたのだ。

そして彼女――ジェミニカは大袈裟に顔をしかめてみせる。


「長期休暇を貰ったはずだったのに。早すぎない?」


不満を顕にする相手に、ごめんねとルカは苦笑を洩らす。文句を言われることは想定内だった。わかっていて、それでも迎えに来たのだから。


「ちょっとした緊急事態で。戦力の分散は防ぎたいのよね」

「あーあ。せっかく生徒が懐いてくれたのに」


こうなってしまっては、ジェミニカ・アルファーナに選択肢は無い。そもそも教師は彼女の副業であったので、いつでも心構えはできていたのだ。


「残念だけど本日付けで転勤よ、“シェラ先生”」


仕方ない、とジェミニカは呟いた。肩までの金髪に指を絡め、小さく肩を竦める。

彼女がルカに、ひいてはルシファーに逆らうメリットなど一つもないのだ。


「了解。仕事には責任を持つ主義だから――それがどんな仕事でもね」






その日、イギリス某所のある小学校から一人の女教師が姿を消した。彼女の名はシェラ・ホーランド、わかっているのはそれだけだ。

子供達から高い支持を得ていたその教師がいたという証拠は、彼女が消えた後何処にも残されていなかったのである。机も書類も、名簿も、写真でさえも。




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