表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第四章《慟哭》
53/215

第四章《慟哭》:晩餐に祈る

この世の中は溢れるほどの不条理と、一握りの虚勢で出来ている。

幸せだと信じるそれは、きっと貴方の願望なのだ。


実は誰もが知っていた。

生き物は皆死に向かって時間を過ごし、歩いても辿り着けない場所があり、見えない何かに縋ってさえ、予感がしたときはもう手遅れ。


(知っていた)

(知らないふりをした)


パンドラの開けた空の箱に黄金の蝶を描いて、救いを求めた我々は(本当は希望など残っていなかった。)

いつしかそれすら忘れて、偽善の中で生きるのでしょう!


(空を舞う天使の皆さん、その翼は本物ですか?)


さてここで言う者がある。

なら我々はせめて、世界を見返して逝こうじゃないか、と。


(他人の血糊で貼り付いていた偽りの翼なんぞ、剥がして捨てれば良いのです。)


“天に背け”  “神を欺け” 

声高らかに復唱したら、ほうら行く先が見えませぬか。

堕ちるところまで墜ちて見るのも、これまた一興!










『これが私の世界だから』4













「乾杯!」


ぶつかり合うグラス、カラン、カランと氷の音。

ルシファー本部の中枢、ここ大広間には現在多くの組織員が集結している。今ここで催されているのは盛大なパーティであった。通称、“最後の晩餐”。

某有名絵画の名を拝借したこの会食は、この組織では頻繁に行われる催しの一つである。不吉な呼び名であることを気にする者は無い。何故ならそれは整然たる事実だからだ。


「どの位留守に?」

「それぞれだけれど……私の場合は一ヵ月ってところかしら」


上質のワインを嚥下しながらサンドラが言う。質問の答えを得た千瀬はふぅんと一つ頷いて、長いテーブルに並べられた豪華な料理に目をやった。


次の任務が決まったのだ。今ここで行われているパーティは、これから遠征(本部外での長期任務)に向かう組織員を送り出すためのお決まり行事らしい。

全員が無事に帰って来られるかわからないから、“最後の”晩餐――などと、冗談にしては笑えない呼び名を考えだしたのは誰なのだろうか。


「チートセ! お前も飲めよ」


ホールの端、壁にゆったりもたれながら駿が缶ビールを振る。隣にいるロザリーは早々に酔い潰れてしまったらしく(小さな体には酒の回りも早かったのだろう)すやすやと寝息を立てていた。


「未成年……」

「関係ねェ」


ここではロヴが法律だ、と十七歳の少年はアルコールをあおった。(この組織の首領は酒に滅法強い。)駿に勧められるままにビールを口にして、咄嗟に千瀬は眉を寄せた。


(……へんな味)


少女が酒を口にするのは実はこれが初めてである。日本という国の決まりを考えればそれは当然だったが、彼女には一般家庭でしばし見られる、親が子に冗談半分味見させる――といった経験さえ皆無であった。

煙草は吸わないくせに酒には強い駿が、顔を顰めた千瀬を見て笑う。


「お子ちゃま」

「ウルサイ」


小さく丸まったロザリーに上着を掛けてやりながら、駿は三本目の缶を開けた。まだまだ余裕が見えているが、そんなペースで飲んでも平気なのかと千瀬は首を傾げた――今回の遠征には、駿も参加するのである。彼は春憐と組み、台湾に派遣されることになっていた。


今回遠征に向かうのは、駿と春憐の他にサンドラ、シアン、ツヅリ、ハルと朝深。うち四人は前回の任務に引き続いて二連続となる。ここにまだ日の浅い千瀬は居残りだ――とはいえもう仕事にも慣れていたし、それ相応の実力はあるのだが。

サンドラと朝深は単独任務で、他何組かは武器調達が目的と千瀬は聞いていた。

そして、すみれは彼女本人の予想どおり、本日付けでまた別の地での勤務に移ることとなったらしい。情報処理に長けた少女は本部から離れたところで、影よりルシファーを支えることになるのだろう。


(後でお別れを言いに行かなきゃ)


淋しい、と思った。友達のいたことがなかった千瀬の人生で出会った、同じ年頃の女の子。菫が離れていってしまうことに感傷を覚えながら、しかし千瀬はそれで良かったと思う。

戦闘に不向きの彼女は、いつまでも前線にいるわけにはいかないのだ。きっとこの先、大きな仕事が待ち受けている。


〈ソルジャー〉による遠征とは別に、“ある仕事”に備える為に恭吾とルカも出掛けるのだという。千瀬はその仕事が“対カーマロカ戦”を示していることを知っていた。これを知っているのは未だ、〈ソルジャー〉の中では千瀬だけである。


(……ユリシーズ、)


千瀬の耳にはまだあの少年の声が残っている。耳元に直接囁かれる様な、寒気を伴う、あの声。

何だか嫌な感じだ、と千瀬は思った。あの少年の存在も、この晩餐会も。不吉な気配が拭えない。


「何だよ、お前。寂しいのかぁ?」

「……ばか」


黙りこくってしまった少女の顔を駿が覗き込む。憮然として返答を返しながら、その様子に笑った駿の顔を見て千瀬は無性に泣きたくなった。駿だけじゃない。ここの人々の笑顔は皆、千瀬の胸を締め付ける。

泣きたいだけで泣けないのが不思議だった。千瀬はもうずいぶん、泣くということをしなくなって久しい。


「――あらあら。どうしたのチトセ。酔っちゃったの?」


それともシュンにいじめられたのかしら、いじめてねぇよ。二人のやり取りを聞きながら、千瀬はくしゃりと顔を歪める。

これはなんだろう、と少女は考えた。優しく笑うサンドラを見ると、心の底から切なくなる。


「酔ってませーん。何でも、ないよ」


言いながら、千瀬はぎこちない笑顔を浮かべた。今自分は笑えているだろうか、考えながら目線をあげる。背の高い仲間の顔を覗き込んだ瞬間、上から何かが降ってきて千瀬の頭に着地した。それが駿の手だとわかったときには、滑らかな黒髪をくしゃくしゃと撫で回されていて。


「ほら、まだ夜は長いんだぜ? 次行くぞ、次」


切なさと愛しさで押し潰されそうになりながら千瀬は祈る。どうしよう、こんなにもう、大切になってしまった。


(嗚呼、みんな、大好きだよ)


あの少年の冷笑が消えない。嫌な寒気もしていた。千瀬がこれが予兆であったことに気付くのは、全てが終わった後の話になる。

この二月後に失うものを知らない少女は、ただ願うことしかできなかったのだ。


(お願い。この安穏を、もう少しだけ)




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ