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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第三章《はじまり》
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第三章《はじまり》:はじまりの寓話(3)

いつの間にか紅茶がすっかり冷めてしまって、千瀬は長い時間が経過していることに気がついた。

少女はロヴの語りが一区切りついた合間を見計らい、そっと周囲に視線を走らせる。ルカもミクも昔話――とはいえほんの十五年前だが――を懐かしそうに聞いていたし、エヴィルでさえも同様、心なしか楽しそうな表情を浮かべていた。

千瀬はぱちぱちと瞳を瞬かせる。今耳にした話は、けして幸せな思い出話だとは思えないのだけれど。


「疲れたかい?」


神妙な顔つきの子供二人を見て訊ねたロヴは笑顔であった。(月葉はもう退室していたので、実質この話を初めて耳にしているのは千瀬とルードの二人きりだ。)問われた二人はゆっくりと首を横に振る。


「……いえ」

「べつに……」


曖昧な返答が並ぶ。二人はけして話に疲れたわけではないし、ましてや飽きたわけでもないのだが、どうにもこの場の空気には溶け込みがたい。

ルードは今まで彼自身がともに行動してきた幹部の面々の過去に驚きを隠せないようだった。千瀬にいたっては、その壮絶さに思考がついていかないまま。まるで映画のようだ、と少女は思う。千瀬に映画鑑賞の経験は無かったので、あくまでも想像の範囲内だが。


(なんで、)


ロヴという男の幼少期の記憶は、不思議なほど鮮明だ。忘れようとしても忘れられぬものなのかもしれない、と千瀬は思った。

ではなぜそれを、厭わずに受け入れているのだろう。苦しい経験をしたはずの張本人たちの様子に、ただ少女は首を傾げるばかりであった。


「続けても?」

「あ、はい」


お願いします。千瀬が言うとロヴは頷き、自らのカップに新しい紅茶を注ぐ。ついでに千瀬とルードのカップにも温かな液体を注ぎ足した。

温かい湯気が千瀬の鼻をくすぐる。ゴールデンドロップをぽとりと落とされ揺らめく褐色の水面にルカの横顔が映った。わらっている。


「……ありがとうございます」


カップに触れた人差し指が、温もりを取り戻して僅かに痺れた。

子供二人が肩の力を抜いたことを確認し、ロヴは再び口を開く。


「俺達がサンドラとレックスに出会うのは、それからもう少し先に話になる。一年……まぁ、その位後かな。俺達は一箇所に定住せずに、色んな国を転々としていた」

「そういえば、あればっちり不法入国だったのよね。気にしたことなかったけど」


コロコロと笑うルカに、何を今更と何でもないようにロヴが返す。それにミクが加わって、しばし過去の旅話に花が咲いた。

金も何も無かったので、歩いて国境を突破したこと。追い剥ぎや盗賊に良く襲われたこと、幼い頃から血気盛んなエヴィルがそれを片っ端から返り討ちにしていたこと。


(こ、この人達は……)


今なら国境の一つや二つ、ジェット機でぽんぽん飛び越えるのになー。そう言ってロヴが笑った瞬間、千瀬は思わずこめかみを押さえてしまった。

住む世界が違う、今は同じはずなのに何かが違う。

困惑した少女がちらりと目をやれば首領の男がまた笑んで、ふと真剣な面持ちを浮かべた。


「……生きるためにはなんだってやった。どう足掻いても餓鬼は餓鬼、お世辞にもスマートな生き方とは言えないが」


食べるために盗んで、生きるために殺して。そういう生活を繰り返す中で、大人を憎んだのだとロヴは言う。不条理な世を作り出している政府を、ひいては作り出された世界そのものが嫌いだった。


「当時は俺たちもまだ思考回路が可愛らしくてね。“子供”を――俺たちと同じような境遇の奴がいるって国を探し出しては、出向いてそこの上層部を壊してやった。下層が犠牲になってる国に限って、政府の連中は裕福な生活を送っていたりしてな……それがどうにも気に食わなくて、皆殺しにしたこともある」


ロヴ率いる子供たちが一ヶ所に腰を落ち着けるようになるまでの数年間、この地球上では幾つかの村や国が崩壊し再構築を遂げている。

一国の支配者暗殺や政府中枢へのテロは、歴史の流れの上では起こっても不自然ではない出来事だ。それをきっかけに革新を迎える所も少なくはない。

ただしそれを暗に行っていたのがまだ年端も行かぬ子供であったなどと、誰か信じるだろう?(今でも幾つかの国の歴史では、彼らは“謎の暗殺者X”として語り継がれているに違いないのだ。)


正義を気取っていたわけじゃない。子供達は純粋に、嫌いなものを消していっただけだ。幼児の破壊衝動と、根本は同じ。

ロヴ達の行動は迅速かつ確実で、証拠を残したことは一度たりとも無かった。しかしいつの間にか彼らの存在は、“裏”と呼ばれるルートを辿って人々に語り継がれることになる。


「誰が言いだしたのかはわからない。気が付いたときには、俺達は“裏社会”で一躍有名になっていたようだ。情け容赦無い、餓鬼の犯罪集団――」


子供達は、その無邪気さと有り余る残虐性故にこう呼ばれた―――“堕天使ルシフェル”、と。


「……ルシフェル?」


なんだか馴染みのある響きの単語に千瀬は首を傾げる。これに良く似た言葉を、すごく身近に知っている気がするのだが。


「神話の一つだよ。ルシフェルって言うのは天使の名でね、こいつは神に背いて地に堕とされ、後に地獄の“皇帝”として君臨する。《サタン》の異名だ。他には、ルキファーや“ルシファー”と呼ばれる」


あ、と声を上げた千瀬にロヴが笑って見せた。


「そうだ。我らが組織名“ルシファー”は、ここからとったものだよ」


一撃で気が付いても良さそうなものを、つい悩んでしまった自分に千瀬はばつの悪い思いをする。

幹部の面々の、幼き日々の痕跡を見つけると同時に、千瀬には何だか見えた気がした。初期メンバーの強い繋がり――サンドラが古い仲間のことを語るときに浮かべた表情や、そこから感じた絆、が。

そして、とロヴが続ける。


「文献にはこうある。面倒臭ければ聞き流していい――地獄の階級は、ルシフェルを筆頭にこう続くんだ」


ロヴは完全に暗記してしまっているそれを淀みなく紡いだ。地獄の階級と、悪魔の名前。


「【最高実力者】が皇帝ルシフェル、それから君主ベルゼビュート、大公爵アスタロト。その後に【上級悪魔】が続く」


ロヴは指を折りながら、六人の悪魔とその位を並べてみせた。その中の単語にぴくりとルードが反応を見せる。千瀬もそれは同じだった。




1、ルキフージュ=ロフォカレ(宰相)

2、サタナキア(大将)

3、フルールティ(副将軍)

4、ネビロス(少将)

5、アガリアレプト(家老)

6、サルガタナス(旅団長)




「ルシフェルの配下に、六人の悪魔……」


――堕天使ルシフェルと呼ばれた子供達は、サンドラとレックスを入れて奇しくも六人。丁度、皇帝ルシフェルの従える悪魔と同じ数。

そして、ルシフェルと呼ばれた子供達の中で一番目立つ存在だった彼女に、その通り名がつけられるのは時間の問題であった。

千瀬はそっとその名を呟く。


「ルキフージュ=ロフォカレ……」

「一般的には、ルシファージュやルキフゲ、ロフォカレルとも言われる。“テトラ”は俺達の中で最年少だったし、一番――殺傷能力が高かった。いつの間にか、世間からそう呼ばれてたんだよ」


世間と言っても裏で生きる一部の連中だが、とロヴは言う。

殺傷能力が高い、と言う言葉に千瀬は眉をひそめた。

まだ二十歳にも満たない少女とはいえ、ルカはエヴィルと共にこの組織第三位の地位を誇る〈ハングマン〉である。(副首領エイド不在の今となっては実質第二位だ。)曲者揃いである特戦隊のトップに君臨する彼女がそうとうの実力者であることは千瀬にもわかっていたが、そんな幼い頃からその力は健在だったのだろうか。


「そしてそれが、私の名前になったの」

「え……?」


黙っていたルカが口を開いた。ちょうど彼女のことを考えていた最中だったので驚き、ついでに話が飲み込めず(思考がそれていたせいだ)きょとんとする千瀬にロヴが言う。


「“ルカ”――この名は、エヴィルやミクと相談しながら俺が考えたものなんだ。いつまでも“4”じゃあ、なんだろう」

「ロヴ……が?」


“あの建物”の名残があるのも心地良いもんじゃなかったし、とロヴは独りごちる。


「“ルキフージュ”と“ロフォカレ”から、一つずつ音を拾ってな」


Lucifuge=Rofocaleから、[Lu]と[Ca]を。

女の子らしい名の音の組み合わせにしないと駄目だってミクやサンドラに言われて大変だったんだ、と彼は笑う。

最年少の少女はさぞ仲間からも可愛がられていたのだろう。千瀬にはサンドラがルカの面倒を妹のように見てやる様子が想像できた。実際には、ルカは幼くとも一人で全てをこなせていたのだったが。


「はじめの方にした、聖職者の話を覚えてるかい」

「あ……“ルカ”、ですか?」

「そう――テトラの改名が済んでからしばらくして、ちょっと機会あって俺たちは聖書『ルカによる福音書』の存在を知った。皮肉だろう? 悪魔からとった名だったのに、同じ名前の聖職者がいたんだ」


その時のことを思い出したのか、初期メンバーの面々がくすくすと笑い合う。エヴィルが口元を綻ばしているのを見て、ルードはぎょっと体を強ばらせた。怖ぇーマジ怖ぇぇー、笑ってると逆に怖いよ。


「ロヴったら面白がっちゃって。あえて“ルカ”のスペルを、LucaじゃなくてLuke……聖職者と同じ綴りにしちゃったの」


ルカ、と名付けられた少女が笑う。こうして彼女は生まれたのだと。

そしてルカにとっては、ロヴこそが皇帝ルシフェル――忠誠を誓い、その身を捧げる相手なのだと千瀬は悟った。ルカだけではない、ここにいる誰もがこの首領の背を信じている。


「それじゃあ“ハーベント”の姓はどこから?」


もっともな千瀬の質問に、何故か苦笑を洩らすロヴ。彼の代わりに答えたのはルカだった。


「それはね、ロヴのお祖父さんが私に用意してくれた、偽造戸籍の名前なの」

「おじいさん?」


義理だ、とロヴが笑う。正確には義父に当たるんだが年が離れていたから、祖父と孫みたいなもんだった、と。


「ロヴが十三歳の時かな。ちょっと変り者で大富豪のおじーちゃんが、ロヴに養子の話を持ちかけたの」


それは六人が訪れた七つ目の国――それは誰もが知る大国アメリカだった――でいくつもの企業を営む、身寄りのない男だった。

偶然出会ったロヴをいたく気に入ってしまい、ロヴに自分の養子になることを条件に、彼の全遺産相続を持ちかけたのである。


「グラモア・ウィル・ハーキンズ。あいつはちょっとどころじゃない、正真正銘の変人だ。素性のしれない餓鬼を養子にしたいなんて」


思い出すように吐き出されたエヴィルの言葉に全員が頷く。


「エヴィルやミクの姓も、グラモアが造ってくれたの。ロヴは私たちの為に、彼の養子になることを承諾したわ」


その頃彼らには目標があった。六人の居場所を作るけと。ルシファーを設立するという目的の為に、彼らには資金が必要だった。


「グラモアは、俺達が悪の道に遺産を利用しても構わないと言い切ったよ。俺達が人殺しなのも犯罪者なのにも気付いていたのに、な。本当に変な奴だった……」


懐かしそうにロヴは笑む。

『学園』の元持ち主でもあった、グラモア・ウィル・ハーキンズ。そして彼は、堕天使達がその死を悼んだ唯一の“大人”だったという。彼の病死後『学園』はロヴの物となり、同時に少年は犯罪シンジケート“ルシファー”を立ち上げた。ロヴ・ハーキンズ、十六歳のことである。


「ルキフージュがルカと名付けられたのを知っていたのはあたし達だけ。なのにユリシーズはルカの名を知っていた……やっぱりジェイの流した情報を受け取ってるのね」


そう言って、ミクが顔をしかめた。ジェイなる男の起こした波はまだこれからなのだろう。

それにしても、と悪魔の名を持つ少女は呟いた。


「ルキフージュとトリクオーテのレポートなんて物を“カーマロカ”が所持してたなんて。私、そっちのほうが驚き」


――ルキフージュを知ってる人間は、あの日に全部消したつもりだったのに――


そう呟いたルカの声を、千瀬は知らない。


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