第三章《はじまり》:間話
仄暗い入り組んだ路地の中、少年の視線の先に人影が現れる。きっちりと黒のスーツを着込み、顔には薄藍のサングラス。足音は一定であったが、その大きさは苛立ちを隠し切れていなかった。仏頂面を引っ提げてこちらへ歩いてきた青年を見て、ユリシーズはそっと苦笑を洩らす。
「やぁ」
少年は誤魔化すように明るく言葉を発した。オプションで可愛らしく手を振ってみるが、所々にブロンドの混じるブラウンの髪を首の後ろで一つに括ったその青年の顔からは、不機嫌以外の何も読み取れない。
「よく此処がわかったね、サブナック」
「……何はぐれてるんだ、馬鹿たれ。あれほど身勝手な行動は慎めと言ったのに」
開口一番飛び出した罵倒を気にも止めず、ユリシーズは軽く首を傾げる。この少年のペースを崩すことができる相手は今のところただ一人しか確認されていないのだが、生憎それは青年――サブナックではない。
「え〜? 先にはぐれたのはサブでしょー。僕にはダモンとピュティアスが一緒だったし。普通人数が少ないほうを“はぐれた”って言うんじゃない?」
飄々と吐かれたその言葉に、サブナックはこれ以上ないほどに顔をしかめた。
議論するポイントを激しく間違っている。それに一々反応してしまう自分は、大概この少年に毒されているのだろうと思いながら。
「……ダモンとピュティアスはお前の随従だからノーカウントだ」
「え、そういうもの?」
まぁいっか、言ってユリシーズは自分より遥かに長身の相手を見上げる。サブナックは少年の柔らかそうな髪に視線を落としながら、この悪戯な子供が次に何を言い出すのかと考えを巡らせた。碌なことなどないのだろうが。
そんな青年の思考を知ってか知らずか、ユリシーズは目を細めてにこりと笑ってみせる。あのね、サブ。
「僕はルキフージュに会ってたんだ……って言ったら驚く?」
噛み締めるような少年の告白にぴくりと眉を寄せる。サブナックは何処かで聞いたその単語をゆるりと回想した。暫らく考えた末その正体に思い当たったところで、今度は思い切り顔をしかめてしまう。
「ルキフージュって……“ルキフージュ=ロフォカレ”か。《トリクオーテの悪魔》の?」
うん、とさも嬉しそうに笑ったユリシーズの頭をサブナックは握り拳で思い切り殴りつけた。ゴン! と響く鈍い音と、少年の短い悲鳴。
なにすんのさ! と抗議の声が上がっても、青年はそ知らぬふりをする。
「痛いよサブ……」
しおらしく呟いてみても、全てサブナックの鋭い目付きで鎮圧される。
ユリシーズは瞳に薄らと涙を浮かべて青年を見上げた。まだ拳が握られている、あの中に石でも入ってやしないだろうか。(嘘泣きではない、本当に痛かったのだ)
「冗談は大概にしろ。はぐれた言い訳のつもりか? どうせ出店でも見て回っていたんだろうが」
「ほ、ホントだってば!」
少年の抗議も虚しく、サブナックは話に飽いたようにくるりと踵を返してしまった。ユリシーズも慌ててそれに続く。目の前の男は足が長く、普通に歩く分ではリーチがだいぶ違った。気を抜けばあっという間に置いていかれてしまう。その時は、普通に歩かなければ良いだけの話なのだが。
「――お前があの話にお熱なのは周知の事だか、吐くならもうすこし現実味のある嘘にしろ。言うに事欠いてルキフージュなんて……」
あんな、伝説を。
そこまでを一気に言い切り、やれやれとサブナックは首を横に振った。
「行くぞユリシーズ。俺たちの今回の任務わかってるか?」
「はいはい、えぇと……この街に何か潜伏してるんでしょ? 能力者的な犯罪者が」
「……何でそんなに曖昧なんだ」
はぁ、と溜め息を吐く青年にユリシーズはコロコロと笑ってみせる。大丈夫だよー、僕これでも君の上官なんだから。
そのけろりとした言い分に、これが上司だから困ってるんじゃないかと心中でサブナックはぼやいた。
「見つけるのはサブの仕事。後は僕に任せたら良い」
「……わかったから。それまでは静かにしていろ」
「灰にして良いよね?」
「本人確認が済んだらな」
頑張ろっと。機嫌良くユリシーズは呟く。
二つ並んだ影は段々と闇に溶けてゆく。路地から姿を消す寸前、くすりと少年が笑った。
(……また会おうね)
それはきっと、遠くはない未来の。