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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第三章《はじまり》
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第三章《はじまり》:狂う歯車(3)

どれだけ走り続けただろう。時間にすれば短い間だったかもしれないが、全速力で駆け抜けた二人にとってそれは至極長いことのように感じた。


「……る、ルード!」

「おー」


逃げ込んだ先の路地裏、その壁に体をもたれ掛けさせながら千瀬は口を開く。息を整えるにはまだ時間が足りず、は、は、とお互いに荒い呼吸を繰り返しながらの会話はなかなかに滑稽で骨が折れた。


「……っ、さっきの、男の人は」

「鳩尾に一発入れてKOしてきた」

「財布は?」

「……返すの忘れた」


ああ、うっかりうっかり。そう言って少年のポケットから引っ張りだされた財布を前に、二人はくすくすと忍び笑いを洩らした。今頃あの男は泡を食って子供達を探しているに違いない。


「……いつ盗ったの」

「チトセにあいつがぶつかったのと同時」


悪怯れることないルードに苦笑を返しつつ、まぁ良いかと楽観的なことを千瀬は思う。彼の手癖の悪さが、結果的には千瀬をあの男から救ったのだから。

そこまでをゆっくり考えて、じゃあ、と少女は真剣な表情を浮かべた。ルードの猫のような瞳を真直ぐにみつめる。じゃあ、あれは、


「――“あれ”は、あなたなの?」

「……ん」


少年は肯定とも否定ともとれぬ声を発したが、その首がしっかりと縦に振られたのを千瀬は見た。

やはり“あれ”はこの少年の仕業だったのだ。信じがたいことだったが、少女は確かにそれを目にしたのである。

見られてなきゃ良いな、と小さくルードが呟いた。


「人間が多すぎた。みんな目の錯覚だと思ってくんねーかなぁ……どうしよ、ミクに叱られる……の前にまずルカ姉か……」

「……嘘みたい」


落下を止めた物体、宙に浮いたナイフ。重力の法則に逆らった数多の刃物。あの光景をもう一度思い浮べ唖然とする千瀬を見て、困ったように少年は笑った。


「あれ、知らない? うちの組織、〈マーダラー〉以上の連中は皆何かしらの能力をもってんだよ」


ちょっと普通の人間とは違う感じのことができるんだよー。そう言う彼に、千瀬は曖昧に頷いてみせる。

知っているといえば知っていた話であった。そういう噂があると、いつだったか駿から聞かされていたのだから。

ただしそれを全て信じていたか、と問われれば答えは否である。信じられるはずがない。こうして体験した後でさえ、千瀬はまだ我が目を疑っているのだ。


「んで、たぶん一般的な人間が『これぞ超能力』みたいに思ってることが出来るのが、オレ」


物を浮かべてみるとか、手を使わないで動かすとか。そう言って幾つか例を挙げた後、スプーン曲げは得意だとルードは笑う。その顔があまりにも晴れ晴れとしていたので、千瀬には彼が嘘を言っているようには思えなかった。


「じゃあ、ホントにさっきのも」

「集中力がないから、ちょっとの間だけだけど」


何だか居心地が悪そうにちらりと千瀬を見やった後、ルードはぽりぽりと鼻の頭を掻いた。照れ隠しにも似たその動作を見つめていると、何かがすとんと千瀬の中に落下して納まった。不思議なことに、少女はすんなりとこの少年とその奇怪な能力を受け入れてしまったのである。


「ルード」

「……な、何?」


千瀬は少年に向き直り、満面の笑みを浮かべた。ルードがぎょっとして体を強ばらせる。


「ありがとう」


突然の言葉に面食らったルードは暫しの間ぱちぱちと瞬きを繰り返していたが、不意に俯くと恥ずかしそうに、水臭ェよ、と呟いた。

その様子に千瀬が笑い声をあげる。笑うなよ、あははごめん、ルカ姉のとこに戻ろっか、そうだね。そう小声で会話を交わして二人が立ち上がったその時、背後から突然音が聞こえた。

ぱちぱちぱち。軽快な、拍手の音。


「……!?」


二人同時に勢い良く振り返ったその先に、小さな人影。ルカではない、そう悟った瞬間千瀬は息を詰まらせた。

暗がりの中で目を凝らすと、おぼろげだった相手の輪郭が見えてくる――少年、だった。色素の薄い巻毛に、奇妙な出で立ちをした。その少年は千瀬と目が合うと、にっこりと笑みを返してくる。


「……へぇ、すごいね! さっきの君なんだぁ、そっちの赤毛の君!」


見られていたのか。千瀬は思わず顔をしかめる。

聞こえた声は上品なアルトであった。僅かな街頭の明かりに照らされて、少年の瞳がコバルトブルーであることがわかる。限りなく銀に近い淡くて曖昧な金の髪が、上質な濃紺の上着に良く映えていた。胸元にはボリュームのある滑らかなスカーフ。千瀬には馴染みのない奇妙に膨らんだ形のズボンとブーツがやけに似合っている。

――おいおい、何処の貴族の坊っちゃんだよ? 小さく呟かれたルードの言葉に、心中で千瀬は同意した。


「あんた何、何か用? こんな所で何してんの」


訝しげに、矢継ぎ早に質問を浴びせかけるルードに対してその少年は笑ってみせた。仕草の一つ一つが上品だ。気品が漂っている、そんな気がする。本当に貴族なのかもしれないと千瀬は思ったが、果たして今の時代にそんなことがあるのだろうか。


「別に怪しいモンじゃないよ、僕は連れを探してるだけ。迷子捜しさ」

「……怪しい奴に限ってそう言うって知ってるか? つーかあんたが迷子なんじゃねェの」

「……ふふ、言うねぇ」


細められた目の奥で何かが蠢いた気がして千瀬は眉をひそめた。しかしそれは一瞬のことで、何事もなかったかのように少年は話を続ける。


「それよりさ、赤毛の君こそ何者だい? 良かったら僕のチームに入らないか」

「チーム……?」

「そう!」


少年はさも楽しそうにくしゃりと顔を崩して笑う。知らぬ間に彼と自分達との距離が縮んでいることに千瀬は気付いたが、後退しようにも後ろは壁であった。


「――ここだけの話、僕は世界政府の認めた極秘の特殊機関に所属しててね。悪人を裁いてるんだよ、特に、普通は捕まえられないような強力な奴の。君の力は貴重だなぁ。ね、どう?」


正義の味方に興味ない? さっきの動きも素晴らしかったし、君は強いだろう? そう言って少年はルードを見つめた。口を挟む隙さえ与えない。

千瀬の背中を嫌な汗が伝った。この子は、まずい。


「……ルード、ルカのところに戻ろう?」


千瀬はルードの腕を力一杯掴んだ。

この少年は危険だ。明らかに千瀬達の敵の立場にあたる人間である。こちらのことを知られる前に、逃げなければならない。……それに、何よりも。


(――言葉が、)


千瀬には、この少年の言葉がわかるのだ。

明らかに日本人ではないのに。ロヴの力が及んだ、ルシファーの人間ではないのに。それが示すことの可能性に気が付いて、一気に体温が下降する。嫌な予感と胸騒ぎに襲われた。こういうのは、大抵当たる。


「……っ!?」


刹那、千瀬は僅かな目眩を感じた。何が起こったのかわからない。が、横に目をやればルードも同様、顔をしかめて額を軽く押さえている。


「ああ、ごめんね? このやり方、あんまり慣れてなくて……」


ふらつく二人を前に、柔らかく少年は言った。言った、ように感じた。

千瀬は目を閉じる。脳が揺れている。ぐわん、ぐわん、耳鳴り。


「君たちの脳に直接信号を送ってるんだ。だからそっちの女の子も、僕の言ってることわかるでしょ? 君はジャパニーズだよねたぶん。……んん? ねぇ聞いてる? これ、対象者の負担が大きいのかな。頭、まだ痛い?」


ゾクリと背筋に戦慄が走る。薄目を開けた先で少年の笑みが歪んで見えた。

離れなくては、と千瀬は思う。離れなくては、この少年から早く。


(動け、)


頭ではわかっているのに、一向に動かない足を叱責した。刀は確かに握っているのに感覚もない。

動かなきゃ。もう一度強く思う。


「――勧誘なら余所をあたってもらえます?」


その時後方から突然声が響いた。第三者の乱入に少年が瞠目したのが見える。現れた人物に気が付いて、千瀬は安堵のあまり体の力が抜け落ちた。


「ルカ姉……!」

「二人とも、捜したんだから。帰ろ」


驚いて声を上げたルードの頭を一つ撫で、ルカは千瀬の手を取った。そのままルードの背を押して彼女が歩みはじめたので、否が応にも二人の体は動きだす。

しかしそれを高貴な身なりの少年は柔らかい笑顔で、けれど強い声で押し止めた。


「嫌だなぁ、おねーさん。お話は未だ終わってないよ?」

「……あなたは、だれ?」


ルカは歩を止めるとくるりと振り返り、僅かに目を細めて少年を見据えた。

漆黒の瞳に見つめられた少年は首を竦めると、彼女に向けて恭しく一礼する。


「僕は世界各国の首脳・政府によって選出された平和維持組織の一員で、対犯罪者用のチームに所属しています。簡単に言っちゃえば、正義の味方ってやつ」

「あらご苦労さま、私たちには縁が無いわね」


冗談めかして、しかし冷たく言い放ったルカに少年は笑って首を振る。喉の奥でくつくつと音を立てるその様を、千瀬は嫌な気持ちで見つめていた。

この少年は、無邪気なふりをしている。


「そっちには無くてもこっちには有るんだよ」

「……?」


僅かにルカが首を傾げる。一組織の幹部を務めるこの少女が、相手の危険性に気付いていないはずはなかった。興味のないふりをして相手の腹を探っている。

少年はそんなルカを見ると口元を歪め、酷く楽しそうに言葉を紡いだ。


「これは完全な僕個人の趣味なんだけどね……僕はある人間を探してたんだ。君たちは、“トリクオーテ”という小さな街を知ってる?」


少年はルードと千瀬の顔を交互に見つめた。急に話を振られた二人はことりと首を傾げることしかできない。千瀬にいたっては日本にいた頃から学校にはろくに通っていなかったので、世界地図を思い浮べることすら困難だった。


「トリクオーテを消した《悪魔の子》を探し当てるのが僕の夢だったんだよ、ずっと」


少年は真直ぐにルカを見つめる。ルカは微動だにせず少年を見つめ返す。そんな僅かな間も気の抜けない、不穏な空気が漂っていた。それが少年には心地良いのか、彼は至福の笑みを浮かべる。


「“ルキフージュ=ロフォカレ"――僕ね、知ってるんだよ。《上級六大悪魔》のことも調べたんだ」

「……何、を」


思わず千瀬は声を上げた。何だ。一体、何を言おうとしている?

少年が言葉を語る度に、じわじわと空気が重たくなってゆくのだ。千瀬には彼の発する単語は意味不明で、それでも何か穏やかでない話がなされようとしているのはわかる。

もうここから離れなくてはならない。再びそう思った瞬間少年の目が千瀬を捕え、身動きが出来なくなった。全ての音が消える。


(やめて。)


少女の懇願が言葉になることはなかった。そして誰一人動かない、時間の進みさえわからない静寂の中で、少年は高らかに叫んだのだ。


「――君が“ルキフージュ”なんだろう? 見つけたよ、ルカ・ハーベント!!」



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