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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第三章《はじまり》
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第三章《はじまり》:狂う歯車(2)


話によれば、高村という男はある理由あってロヴの古馴染みらしい。鍛冶の腕はすこぶる良いのだが、やはり犯罪シンジケートと関わりのある者などまっとうに生きているはずもないのか、高村の店をよくよく観察すれば随分と物騒な雰囲気を持っているのだった。

代金を払うついでに彼と話し込んでしまったルカを待つ間、子供二人はぶらぶらと他の店を見て回ることにする。千瀬は腕に抱いた刀の重みを感じながら、なるべくそれが目立たないようしっかりと抱え直した。こんな物を持ち歩いているのが見つかれば、銃刀法の施行されていた少女の祖国ならば現行犯逮捕は免れないだろう。この国はどうだか分からないが、目立たないに越したことはない。


高村の店があった路地よりも若干広い道に出れば人通りも賑やかさも戻ってきた。果物の屋台や地面にシートを広げる異国の商売方法が物珍しい。

少女がそれらに気を取られていると、突然ルードが山積みになっていた商品の果物から林檎を一つくすねて笑顔で千瀬にそれを渡した。うっかりそれを受け取ってしまってから、次の瞬間千瀬の頭がフリーズする。


「……な、何してるの!?」

「え、俺なんかした?」


少年はきょとんと首を傾げた。彼のしたことは立派な窃盗なのだが、ルードはそれを全く気に掛けていないようである。それどころか、次の瞬間には別の店からプラムを盗って口に放り込んだ。そのなんとも鮮やかな手際に、驚きと呆れが半々に押し寄せる。


「俺たちは一応犯罪シンジケート所属だぜ? 盗む奪うは常識でしょー。まともに買うほうが珍しいよ」

「……そういうもんかなぁ」


千瀬がルードの言い分を真面目に考えていると、突然ドンと肩に衝撃を感じた。驚いた拍子に日本刀を取り落とし、がちゃんと派手な音がする。

嗚呼、刀はデリケートなのに。千瀬が生家で教え込まれたことを思い出しながら慌ててそれを拾おうと手を伸ばすと、同時に頭上から何か早口でまくしたてる声がした。


「……あ、すみません」


見上げればそれは恰幅の良い男で、どうやら彼が千瀬と接触した相手らしい。いかにも人相の悪いその男は『この糞ガキ何処に目ェつけて歩いてやがる』とお決まりの捻りない文句を吐いたのだが、


(あー、言葉わかんないや)


千瀬はのんびりと、少し困ったように首を傾げてみせた。こういう事態にはいい加減慣れてきたので絶望は感じないが、面倒なことになったな、と他人事のように考える。

その、そらとぼけたような少女の様子は困ったことに男のお気に召さなかったらしい。


「え」


千瀬は自らの置かれた状況が飲み込めずにぽかんと口を開けた。何故見知らぬ男に首根っこを捕まれて、宙に浮かんでいなければならないのか?

『嬢ちゃんどこから来た?』、そう問われても首を傾げることしかできない。何を言ってるのかさっぱりなのだから。せめて一番はじめに、アイムソーリーとでも言っておけば何かが変わっていたのかもしれないが。

洋服の首周りが引きつれて息苦しさを感じてもぼんやりしていた千瀬だったが、男の手が自分の抱えている刀に伸びたところで漸く危機感を感じた。


「……ちょっ、これはダメ!」


値の張りそうな一品に目を付けられたらしいが、取られるわけにはいかなかった。地に足は着いていなかったが、幸いにも両腕は自由である。民間人相手に抜くのは躊躇われるけれど、かくなる上は仕方ないかもしれない――脅す程度だ、と千瀬が覚悟を決めたとき、背後から飄々とした声が響いた。


「おっさーん。それ、離してくんなーい?」


ルードは何かを頬張った状態でもごもごと、千瀬を指差しながら言う。両頬が不自然に膨らんだ少年を、男は珍獣を見るかのような目付きで見下ろした。


「おっさーん。これとそいつ交換しようよ」


ごくりと最後の一欠片を嚥下した後、にやりと笑って少年は手に握った物を提示した。黒い、萎びた革のケースである。それを目にした瞬間、千瀬を掴んでいた男の表情が一変した。


「コレ、おっさんの財布でしょー」


いらないの? ひらひらと財布を振ってみせるルードに、男が何事かを喚き散らした。はいはいだから早く交換しようぜー、そう言ってへらりと少年は笑う。どうやら彼と男の言語は共通のものらしかった。

次の瞬間、千瀬の首周りの重圧が消える。


「あ」


男がルードに殴りかかろうとするのを視界の端に捕らえた、それを最後に、千瀬の世界がぐるりと回転する。妙な浮遊感が体を取り巻き遠心力に脳が揺れた。あろうことか、男は千瀬を腕力に物言わせて投げ飛ばしたのである。


「チトセ!」


遠くでルードが叫んだのが聞こえた。軽々と飛ばされた千瀬の身体はぽーんと弧を描き、通りの端に沿って並んでいた店の陳列棚に勢い良く突っ込んだ。幸いにもそこは絨毯の展示場で衝撃も少なかったのだが、ほっと息を吐いた次の瞬間、それだけでは済まされなかったことを千瀬は悟る。


少女の落下した絨毯売場の隣店が、飾り用の刃物をすぐ傍で展示していたのだ。千瀬が派手に突っ込んだお陰で微妙な均衡を保っていた商品の位置がズレ込み、結果それは隣店にまで及んだらしい。(日本のフリーマーケットに良く似た出店形式なので、店と店の境界は無いに等しいのである。)


飾用とはいえ立派な刃物を積んだその棚が自分のほうへ倒れるのを見たとき、あ、コレは刺さるな、とぼんやり千瀬は思った。急所さえ避ければ死ぬことはなかろうと腹を括る。こんな場面でさえ、少女の思考ベクトルはどこかあらぬ方向を向いていたのだ。


(お店の人になんて謝ろう……)


そう思った瞬間、千瀬の周囲に異変が起きた。生温い風が吹いたような、重力が変化したような、奇妙な感覚に囚われる。いつまでも訪れない痛みと余りの静けさを訝しんで、頭上を見た千瀬は目を見開いた。


「なにこれ」


ぴたり、と。落下を始めたはずの何本もの飾りナイフが、少女の頭上で静止していたのだ。まるで見えない釣り糸にぶら下げられているかのように宙に留まっている。

刹那、ルードが千瀬の腕を掴んで強く引いた。その勢いに流されるように、少女が空中に浮かぶ奇妙な状態のナイフ群下から脱出した瞬間、がちゃん! と激しい音を立て数十個もの刃物が地に落ちる。あるものは衝撃で欠け、あるものは真直ぐに地面に刺さり、そうしてまた静寂だけが訪れた。


「逃げるぞ、チトセ」


ルードが千瀬の腕を掴んだまま、人気のないほうへ向かって走りだした。広い通りから再び狭い路地裏へ、暗いほうへ。

その道が何かを狂わせるということを、崩れる音がしていたことを、二人の子供はまだ知らない。





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