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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第三章《はじまり》
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第三章《はじまり》:CATCH!(2)

「……うげぇ」


突如聞こえた声に駿は思い切り顔をしかめた。心なしか鳥肌も立ったように思う。何があれぇ、だよと悪態を吐きつつ振り返れば、予想どおりの顔がそこにはある。正直、見たくなかった。

現れた青年は腕を組み、さも楽しそうに駿に笑いかける。その背後の牛を一瞥すると、なるほどね、と一人頷いた。

駿はこの青年が大の苦手である。今まで出会った人間の中でも三本の指に入るのではないだろうか。何でよりによってこいつ、と少年は嘆息した。神様はよほど自分のことが嫌いらしい。


(いや、信じてませんけどね)


登場したのは天の助けどころか悪魔だった。〈マーダラー〉、市原恭吾の降臨である。


とはいえ現在のこの状況、手段を選べるほど駿には余裕がなかった。突然の乱入者のお陰で様子を伺っていたらしい件の牡牛が、そろそろエンジンを再起動しようとしているのだ。この際助けてくれれば誰でも構わない。神様仏様市原様。半ば自棄になって思いながら駿は口を開いた。


「……見て分かると思うけど。頼むよ、この牛どーにかしてくれ。殺しちゃいけないんだ」

「んんー……」


顎にわざとらしく手を当て、恭吾はこくりと首を傾げた。駿の憔悴した様子を楽しんでいることは間違いない。駿は募るストレスを必死に隠しもう一度、頼む、と告げる。瞬間青年の唇がにやりと弧を描いた。思わず駿の背中に悪寒が走る。


「……じゃあシュン君、俺のこと“イチハラ”じゃなくて、ちゃんと“キョーゴ”って呼ぶぅ?」

「え」


どこまで執念深いやつなんだ、だから嫌いなんだ!

駿は停止しかけた頭を揺さ振ってどうにか思考した。

繰り返すが、駿は恭吾が苦手なのだ。細かな理由が積もり重なり、気が付けばもう彼は近づきたくない存在と化していた。名前で呼び合ってフレンドリーな空気になるのなどごめんだと一度拒否した日から、執拗にそこに拘る恭吾から逃げ回るのは最早駿の意地だったのである。

……こんなことで従うのは己の負けを認めるようなものだ。それは彼のプライドが、少しばかり許さないわけで。


(うわーうわームカつくマジどうしよう、てかくだらねー)


意地とプライドか命か。天秤に掛けるものを間違っている駿はそれを理解しつつも、恭吾の手前あっさり条件を飲むわけにはいかないのだった。絶対俺こいつと前世で何かあったよ、啀み合う運命なんだよ、と少年は頭を掻く。(実のところは駿が一方的に嫌がっているだけなのだが)

唸り声を零しながら葛藤を続ける駿を恭吾は笑顔で眺めていたが、突然『あ』と声を出すと大袈裟にポンと手を打った。


「ごめーん。〈マーダラー〉は手出しするなって、ミクに言われてたんだった。駄目だ俺手伝えないやー」

「ふぅん。……はぁ!?」


だからシュン君頑張ってぇ、と笑顔で止めを刺してくる青年に駿は思わず食って掛かった。彼のなかでは今漸く、ここは一つ自分が折れて協力を得よう、という式が出来かかっていたのである。


「マジ?」

「まじー」

「ここで見捨てるか普通」

「人聞きが悪いねぇ。俺だってミクに怒られたくないし?」

「実はわかってたんだろこの腹黒!」

「そうだって言ったら?」

「悪魔! 鬼畜!」

「誉め言葉だ」

「犯罪者!」

「シュン君もじゃーん」

「…………。」


恭吾はそのままそれじゃね、とひらひら手を振った。

おちょくられた。悟った駿は軽い吐き気を催した。爽やかな笑顔を浮かべ立ち去る背中に、地の底から響くような声を吐き付ける。


「しんでくんないかな、ほんとに」


少年は本気だった。




*




李 春憐は先日ようやく遠征から帰ってきたところで、体を休める間もなく首領直々に入れられた今回の任務には少々不満を抱いていた――しかも、かなりくだらない。

何が楽しくて、本部内で牛と追いかけっこしなければならないのだろう。

もう切り上げて、シャワーを浴びにいこうか。そう思った瞬間、四階の廊下を歩いていた彼女の目の前を巨大な牡牛が全速力で駆け抜けた。

……正確には、牡牛に追い掛けられている駿が、である。


「……シュン?」


放ってはおけないのが、彼女の悲しい性だ。面倒見が良く、ゆえに貧乏くじを引く。溜息をひとつ零した春憐は、逃走すると本日最大の貧乏くじを引いたであろう駿の追跡を開始した。




*




千瀬とロザリーの目の前に突然〈マーダラー〉の恭吾が現れ、牛は四階だと告げたのは十五分程前のことである。俺は牛を捜す暇があったらルードを捜さなきゃいけないから、と言って消えた彼であったが、そのわりにはしっかり牛の居所を把握していた点に大きな矛盾を感じた。


「またルード、逃げたんだねぇ」


笑ったロザリーに相槌を打つつ、千瀬はたった一度だけであった少年を思い浮べた。

最年少〈マーダラー〉にして最上級の問題児ルード・エンデバーは、本日も行方不明らしい。つまりは逃走中だ。この建物内という限られた範囲のなか、一体どうやって逃げおおせているのだろう?

――ともかく千瀬とロザリーは、恭吾の言った四階の廊下へと向かうことにした。一抹の不安を抱えて。




*




「……だ、ダメだこれ! とにかく牛を止めねェと……!」

「参ったわね……」


全力で牛から逃げる駿、彼と合流した春憐の背後から大きな獣の立てる地響きが追い掛ける。牛の勢いは止まらず、いつの間にやら春憐までが全力疾走を強いられていた。闘牛士も真っ青な勢いの中さすがは特戦隊と言うべきか、常人ならとっくに牛の餌食であっただろう。


「何で追いけられているの?」

「知るかぁ!」


駿は牛を追う側だったはずだと思いながら春憐は問うたが、返答は簡潔かつ無意味なものだった。

――このままでは自分達も時間の問題だ。そう判断した春憐は、服の懐を探ってる物を取り出す。


「……これで止まるかしら」


彼女はが取り出したのは投擲用の鈍器だった。重金属製の、中国古来の武器である。円形のそれは本来投げ飛ばして使うものだが、春憐の投擲は極めて殺傷能力の高い型だ。刃物が組み込まれているタイプの。


「いやいやいや! それは死ぬだろ! 確かに止まるけど!!」


ロヴの命令はあくまでも生け捕りである。命令違反は死罪……だが、こんなアホらしいことで死罪ってどうなんだ。脱力した少年は思わず頭を抱える。ただし器用に走り続けたままだ。


(……殺しちまうか)


駿が本気でそう思いかけたその時、廊下の向こうから人影が現れた。サンドラとレックスだ。それに続き、千瀬とロザリーまでがひょこりと廊下に顔を出す。やばい。タイミングの悪さに駿は顔色を失った。


「わ……」

「わぁー」

「あら」

「げ」


牛に追われる二人を見て一様に声を上げる四人に、駿は大声を浴びせかけた。牛が迫っている、立ち止まることなんて出来ない。


「ちょ、どけ! お前等ぁぁあぁ!!」


自然、駿と春憐が牛を引きつれたまま全速力で四人のもとに突っ込んでいく形になるのだが、どけ、と言われてもこの廊下に四人全員が牛の巨体を避けられるようなスペースはない。運命は確実に全員巻き添えの方向に動いていた。


「……仕方ないわね」


呟いたサンドラがロザリーの握っていた拳銃を取り、刹那響き渡る轟音。そのまま彼女は牛目がけて発砲したのである。

サンドラが狙ったのは牛の角だった。角を掠めた弾はキィンと音を鳴らし、跳弾したものが壁にめり込む。角から薄く剥がれた破片が地に落ちた。


「やった!」


牡牛が大きく首を捻り急ブレーキをかける。地響きと床が擦れる音、銃弾の効果は十分に発揮されたらしい。突然の発砲に牡牛は足を止め、結果春憐と駿を救出することに成功したのだから。

――しかし、平和はほんの僅かな間のことでしかなかったらしい。牛は激しく蹄で床を抉り息を鳴らすと、全力でその場をUターンしたのだ。


「やっべ!」


ここで逃げられては話にならない。駿の叫びに反応し咄嗟にレックスが手を伸ばすも、牡牛は既に勢い良くスタートを切ったところだった。逃げられる。誰もがそれを確認した刹那、牛の進行方向に二つの人影が現れた。長い黒髪と銀髪の二人連れ、この組織では余りにも知られた幹部達である。


「あら、〈ハングマン〉だわ」

「おー、」


場違いなほど呑気に零したサンドラや応えたレックスとは相対して、残りの者は体を強ばらせた。駿は相次ぐタイミングの悪さに、千瀬は止まらぬ獣の猛威に。気の立った牡牛は現れた人間を見た瞬間、標的をそちらに定めたようだった。


危ない。声も出せぬまま千瀬は思わず目を瞑る。あんな勢いで走る牛が止まるわけないのだ。体の細いルカは当然、下手をすればエヴィルだって死んでしまう。

怒りで我を忘れた牡牛は真っすぐに〈ハングマン〉の二人目がけて突進して行き、エヴィルよりも少し前に出ているルカまで残り数メートルを切ろうとしていた。牡牛の角が的確にルカの細い体躯を狙う。

千瀬が悲鳴を上げそうになったその瞬間、轟音と共に何かが頭上を吹っ飛んでいった。


「え……?」


振り返った千瀬は我が目を疑った。吹き飛んだ物体の正体は、今まさに少女の前方にいたはずの牡牛だったのである。その巨体は廊下の逆端まで移動し、いつの間にそちらに現れたのかわからないエヴィルに易々と受けとめられ床に降ろされる。牡牛は一声悲しげに泣いてからその巨体を地に沈めた。


……何が起こった?

目を白黒させて千瀬が辺りを見回すと、目の合ったレックスがけらけら笑いながら『ルカが蹴った』と呟いた。


(蹴った!?)


「し、死んだか……?」


言われたことを理解できない千瀬をよそに、恐る恐る駿が尋ねる。今の一撃を見れば、誰もがそう思うだろう。

牛の体に隠されて背の小さな千瀬には見えていなかった、コンマ数秒の全貌。ルカの左足が牡牛の前脚を払った後、その巨体に第二撃を打ち込むまで。

駿の言葉にエヴィルが眉根を寄せ、僅かに首を傾げた。千瀬からすれば、この男の移動スピードも説明してほしいほどである。


「殺すわけないじゃないか。ロヴがそう命令したんだろう……?」


なぜそんなことを聞くのだと言わんばかりの表情のエヴィルの、その言葉を聞いたロザリーが牛の安否を確認し一際大きな声を上げた。


「うわぁ、ねぇ生きてるよ!」

「うえぇ、マジかよ!?」

「凄いわね……」

「全くだ」

「さすがだわ」


口々に感想を洩らしながら牡牛を覗き込む駿、春憐、レックス、サンドラ。それに笑顔で答えながら、骨の丈夫なところを狙ってやったから大丈夫でしょ? とルカが問う。汗一つかいていない少女の髪が、さらりと音を立てて肩から滑り落ちた。


この面倒な一日から漸く脱出できることを皆が口々に喜ぶ中で、未だ千瀬は目の前で起こった事が未だに信じられずぼうっとそれを眺めていた。

牛が生きていたのも信じられない。廊下の向こう端にいたエヴィルが、一瞬で背後に現れたのも信じられない。そしてどうして、誰もルカの超人的な動きには一言も触れないのだろう?


「――あ。ロヴ」


ふいにルカが顔を上げた。

程なくして、廊下の角からロヴ・ハーキンズが現れる。その涼しい笑顔に駿の顔が引きつったが、背後からがっしりとレックスの腕に掴まれていたため殴りかかることは叶わなかった。


「やぁ諸君。牛捕獲、ご苦労だったね」


ロヴは満面の笑みを浮かべる。脳震盪を起こしたのかぐったりとしている牛に目を止めて、随分暴れてくれたと楽しげに呟いた。


「ところで、だ。さっき厨房に聞いてきたんだが、生きた牛をその場で調理するのは無理だと言われてしまった」

「――はあぁァ!?」


あたりまえだろう、と呟くエヴィルの横で激昂する駿を止めるものは誰一人としていなかった。彼の苦労を思えば無理もない。そんな中でただ一人この一日を楽しんだロヴは、この上ない笑みを浮かべて悪怯れずに言い放った。


「仕方ない。皆で外に食いに行くか、焼肉」


――最初からからそうしろよ!

誰もが心の中でそう叫んでいたことは、言うまでもない。






この後。九死に一生を得た件の牡牛が秘密裏に組織内で飼育されることになるのだが、それはまた別の話。

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