第三章《はじまり》:盤上に駒を並べて(3)
見慣れぬ少女に訝しげな視線を送り付けながら駿は首を傾げる。それを暫らく眺めていたロザリーが、ふいにぽんと掌を合わせた。
「わかった。あの子がスミレじゃない?」
「……ああ、そっか」
「スミレって?」
きっとあの少女のことを指しているのだろうと思いながら、千瀬は小声で問い掛ける。見つめられた駿はぶっきらぼうに、くりはら、と答えた――栗原、すみれ。名前の字は草花の菫と同じなのだろう(駿はたぶん、と言っただけなので当てにならないが)。
彼女がルシファーに入ったのは千瀬よりも前だが、理由有って今まで北アメリカでの任務に就いていたらしい。本部にやって来たのは今回が初めてで、駿もロザリーも彼女とは初対面なのだという。
北アメリカで何をしていたのかは知らないが、自分と同じ年頃の少女が長期任務をこなしていたことに千瀬は素直に感心した。同時に首をもたげる、ほんの少しの興味。スミレは緊張しているのか常に俯いたままで、若干この場の空気には溶け込めていないように感じられた。
(普通の、おんなのこ)
この組織の持つ空気には、全く似付かわしくないような。内気そうな少女を見つめながら千瀬は、なぜスミレはルシファーに所属することになったのかと思いを巡らせた。そんなこと、わかるはずがないのだけれど。
「北アメリカ滞在中はスミレの面倒はツヅリが見てたのよ」
そう言って笑うロザリーに、なるほどと相槌を打つ。どうりで心なしか、ツヅリには懐いているように見えるわけだ。
「……本当に、日本人ばっかり」
改めて驚愕を露に千瀬は呟く。
こんな所にこんなに沢山の同人種が集まっているなんて、確率としては天文学的数値を叩き出すのではないだろうか。同じ血を分けた人間達。極東の、ちっぽけな島国の。
「だからそー言ってんだろ。今回の遠征任務は全部日本関係だったらしい。だから〈ソルジャー〉の中から日本人が多く選ばれて行ったんだよ、男女一人ずつのペアが二組と北アメリカから帰ってきた二人」
「男女比の関係で、シュンは置いていかれたのよねーっ」
「うるせーよ」
ロザリーがくすくすと笑う。つられて千瀬も小さく笑った。不貞腐れたようにそっぽを向く駿に、これではどっちが年上だかわからないとこっそり思う。
「皆、ご苦労だった。こちらからも紹介しておきたい」
再びロヴの声が響いた。集会が終わりに近づいているのだろう。見つかる前に帰ったほうが良いのでは、と千瀬が駿に目線を送れば、それを察して彼も頷いた。未だにロヴの声が聞こえている――紹介しよう、あれが、
「先々月入隊したクロヌマ チトセ」
「………え?」
思わず千瀬が声を出してしまうと、六人が一斉にこちらを振り返った。ロザリーが目を見開く。駿が硬直する。ロヴが笑う。
「お前達の、十三番目の仲間だ」
三人は渋々階段の影から這い出した。気付いてたのかよ、と悪態を吐く少年に、シュンの声が大きかったのよとロザリー顔をしかめる。
――いや、それ違ェよ、煩かったのはお前だよ。何言ってるのシュンのせいだよー。いやいやお前が何言ってんの?
背後で緩やかな口論が勃発しかけていることを感じ取りながら、千瀬にそれを止める気は起きなかった。それよりも。
「……黒……沼?」
その場にいた誰かがぽつりと呟いたその言葉が、やけに千瀬の耳に残って仕方がなかったのだ。
*
「おいこらチトセ! 何処行くんだよ?」
「えーと、ちょっと忘れ物」
「お前最初から手ブラだったじゃん……おい待て!」
駿の声を背中に感じながら、それを無視して千瀬は走りだした。集会のあったホールから監獄までの帰り道を逆走する。
――集会が終わった後、千瀬は〈ソルジャー〉の残りのメンバーだという春憐以外の五人の日本人の前で挨拶をすることとなった。彼らは意外にも気さくに千瀬と握手を交わし(朝深と椿は表情を崩さぬままだったが)千瀬はほっと息を吐いたのだった。同時に心の中でぐるぐると何かが渦巻くのを止められずに、あ、まただ、と千瀬は思う。
これは少女の悪い癖だった。一つのことをしている間に、つい別のことを考えてしまうのだ(今回もまた然り)。そしてこれが、千瀬に今の行動――駿を振り切って一人駆け出した――をさせている原因である。
彼らと僅かながらも言葉を交わすうちに、体内の渦はより大きくなっていった。ロヴの能力を通さずとも理解できる言葉や、日本人特有の雰囲気が懐かしくて仕方なくて。日本人同士だから。それはこじつけかもしれないけれど。
(それでも)
確かに感じたのだ。例え全員が犯罪者でも、変わらないものはあるのだと。赤の他人でさえ、こうやって繋がりを感じることができる。それを嬉しく感じると同時に、“彼女”を想った。また、何かが渦巻いた。
「えっと……こっちかな」
今千瀬が目指しているのは“冥界”である。そう、彼女に会うためだ。
たくさんの日本人に触れるうち、その懐かしさを感じるうち、千瀬の体内でむくりと鎌首をもたげたのはやはり月葉への念だったのだ。
未練がましいだろうか。本当ならこうして出会えたことだけで十分だと、詮索などせぬべきなのだろう。
それでも、どうしても気掛かりで仕方なくなってしまった。素直に再会を喜べないことが、月葉が自分を知らぬような素振りを見せたことが、千瀬には淋しかったのだ。
(子供だ、あたし)
それでも、と千瀬は思う。
あの日の出来事に、けりをつけないと。
「……ツキハさんに、会わないと」
あたしは前に、進めない。