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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第三章《はじまり》
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第三章《はじまり》:First quarter


あの頃と同じ空、同じ月、同じ世界?

変わったのは私か貴方か、それとも世界か。




*




冥界、とは正に言い得て妙であった。地獄に続く闇を抜けている感覚、他に音はない。真直ぐ立っているのかもわからない、それ程までにこの空間は暗いのだ。

壁に掛けられた無数のキャンドルホルダーと差し込まれた蝋燭。その中のいくつかにだけ灯された明かりがゆらゆらと揺れて、幻のように輝いた。唯一の明かりだ。だが高い位置に備え付けられているせいか、千瀬の前方を照らすには全く役立っていない。

これはきっと道しるべなのだ、目的地まで点々と続く。


「あ……」


千瀬は不意に声を上げる。火のついている蝋燭の数が急激に増えたかと思うと、彼女達の目の前に紅色が広がったのだ。それまで無言で少女を先導していたサンドラが小さな笑みを浮かべ、その色を目がけて歩んでゆく。


紅の正体は巨大なカーテンであった。高い天井から真直ぐに吊り下ろされ、その奥の《何か》を覆っている。幾枚か張り巡らされたレース、その上に輝くのは艶やか光沢をもつ深紅のベロア。

その幾重ものカーテンの傍までやってくると、照明は既に蝋燭だけではなくなっていた。どこから差し込んでいるのかわからない、月光を思わせる青白いライトがそこ一帯を照らしている。その場所だけが、闇の中に浮かび上がっているようだ。


もう一歩近づこうとした刹那、ぴたりと千瀬は動きを止める。見開いた瞳の奥に映りこんだのは、突如レースの奥に現れた人影。コントラストの強い照明のせいかシルエットが良くわかる。千瀬は僅かに首を傾げながらも、長い髪と滑らかな体のラインから女性だろうと予想をつけた。


「あら、ラッキーね。待たずに会えたわ」


忙しい人達だからいつもこうはいかない、そうサンドラは笑うともう一歩カーテンのほうへ踏み出す。

瞬間、床を踏んだサンドラの足が発光した――否、光を発したのは床そのものだ。サンドラが立ったその場所に何があると言うのだろうか、千瀬が目を白黒させている間に辺りから不穏な音が鳴り響く。ヴゥン、と低い音――機械の起動音に酷く似ていた――が空間に反響し、次の瞬間それはバン、ともガン、とも形容しがたいブレーカーの落ちたような激しい音に取って代わった。


「……う、わ」


千瀬は思わず目を瞑る。ブレーカーは落ちたのではない、上がったのだ。今や冥界と称された空間は幾千もの白光に照らしだされていた。闇に慣れ切った瞳が痛い。

漸く薄らと目蓋を開けられた千瀬は、レースから透ける女性の髪の色が金に輝いたのを見て小さく呟く。


「ミク……?」

「あら、違うわ。ミクは〈マーダラー〉よ、知らなかった?」


知らなかった、と千瀬は頷いた。なるほど、それで彼女はよくルードなる放浪少年を捜索しているのだ。

サンドラが一人納得する千瀬の腕を引き、二人は漸く全貌が明らかになったカーテンの前へ並び立った。どうやらこの分厚い布の向こうには別の部屋か、もしくはそれに似た隔離空間があるらしい。


「あそこにいるのは〈テトラコマンダー〉の中でも代表格ね。話が早いから助かるわ」


テトラコマンダーは四人と聞く。その中でも上下関係が生まれているのだろうか。

組織って難しい、と他人事のように考えていた千瀬は、突如響き渡った凛とした声に意識を引き戻される。


「任務報告ですね、サンドラ」


女性特有の柔らかな、しかし芯の通った声だった。レース越しのシルエットが動く。

千瀬の耳には日本語に聞こえて、ふとこれもロヴの能力の効果なのかと思った。シルエットは分厚いカーテンを割り、布の隙間から白く細い腕が現れる。陶器のように滑らかな肌に包まれたその腕は、そのままカーテンをゆるりとスライドさせた。


(綺麗、)


千瀬はカーテンが開き切る様を息を呑んで見つめていた。何故だろう、胸の奥が疼くような気持ちになる。

奥から現れた女性は俯いているので顔は見えない。

黒いドレスに身を包んだ彼女が一歩こちらに近づく度に、ミクのものだと思っていた金の髪がさらさらと揺れた。日本人の千瀬とは異なる色。肩までのストレートは、まるで月の光を帯びているかのようだ。


(――月、みたいだ)


ジリジリと音をたてていた蝋燭が一本、燃え尽きて消える。胸の奥が疼いて少女は思わず手を当てる。その、月の色。


(……あ、れ?)


頭の隅を何かが過ったような気がした。息が詰まる。この光景を、千瀬は知っている。

女性は真直ぐにこちらへ歩み寄ってきていた。ドレスに付けられた紋章は、彼女が≪テトラコマンダー≫であることを示す銀白色。それに反射する光。きらきら。歩調にあわせて揺れる月色のブロンド。時折、青白い光を放って。


刹那、千瀬のもう一度脳裏を何かが掠める。

少女は目を見開いた。それは紛れもなく、彼女自身が今日目覚める前に見ていた夢だった。

胸が疼く。疼いて痛む。蝋燭がまた一本、消えた。


「……う、そ」


意図せず零れ落ちた言葉は、幸いにもサンドラには聞こえていないようだった。嘘だ、と少女は思う。まさか、そんなはずない。あんなに探したのに。あんなに悔しかったのに。

……胸の痛みの理由に気が付いた。この光景を、知っていたわけじゃない。焦がれていたのだ、ずっとずっと、願っていた。

嘘だ。これは夢だ。もう一度思う。けれど千瀬はその瞬間、全てを悟っていたのだった。


(満月の夢を、見た)


ゆっくりと顔をあげた女性の双眸が千瀬を捉える。金糸の髪の隙間から覗く真直ぐな瞳は、左右で異なる色合いをしていた。淡碧と琥珀のオッド・アイ。それがヘテロクロミアと呼ばれることを、千瀬は知らない。

けれどその姿が、一般に言う『普通』とは違うことを千瀬は知っていた。

――だって、彼女は日本人なのだ。千瀬はそれを知っていたのだ。


「――――ツキハ、さん」


ぽつりと呟いた声は空気に溶ける。隣に立っていたサンドラが驚いたように、千瀬の顔を覗き込んだ。


――満月の夢を見た。

けれど今宵は上弦の月が輝くだろう、あの日のように。













『姉さん、あのね。あたし、お月さまに会ったの』




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