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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第二章《模索》
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第二章《模索》:帰還

「……おい。ローザの奴、どこ行った?」


生温い風が流れる。それに流された汗を拭いながら、銀髪の少女が忽然と姿を消していることに気が付いた駿が顔をしかめた。それを受けた千瀬は刃物の血痕を拭いつつ、しかしのんびりと答える。


「ルシファーの方面を一応見てくるって。行ったのはもう随分前だけど」


そうか、と少年が胸を撫で下ろした。うっかりはぐれていたりしたのならたまったものじゃない。彼の横の日本人ではあるまいし、場数を踏んだロザリーが迷うことなどないだろうが。


さて、と駿は辺りを見渡した。今この場で生きて地を踏みしめているのは千瀬と彼の二人のみである。

駿は屍の山から使えそうな武器を拾い集め、予め用意していた革製の袋に詰め込んでいた。

武器は消耗品だ、と古株のサンドラが良く口にする。

駿はそれに倣って、例え敵の持ち物であろうと再利用できるものは拝借――もとい強奪――することにしていた。ルシファーで武器の調達を行なうのはたいていロヴ・ハーキンズ本人である。ロヴの命を受けて部下が動くこともあるが、どっちにしろ気紛れなあの男の行動を待つだけでは、必要な時にこと足りているほうが少ないのだ。確保できるときにできるだけ。これが少年の中での鉄則である。


「それじゃーまぁ、ローザは後で合流するだろ。……なぁ、チトセ」


失礼しやーす、と小声で呟いてから元・人間の体をゆっくりと転がす。その下から現れた、弾の切れたピストルを物色しつつ駿が言った。


「お前ロヴに頼んでさ、日本刀手に入れてもらえよ。な?」


少年の行動を黙って、しかし興味深そうに眺めていた千瀬は小首を傾げた。中々肝が座っている、と少年は思う。


「何で?」

「何でって」


ふいに駿は口籠もる。ナイフでも結構いけたけど、となおも続ける千瀬に半端で歯切れの悪い相槌を返した。そりゃ、そうなんだけど。


「そう、なんだけどさ……お前、自覚無いのか?」

「何の自覚?」


決まっている。千瀬の殺傷能力は、日本刀を使用している時に最も高まるということ。その時に限ってならば、他のソルジャーのメンバーを遥かに凌ぐ実力かもしれない――この、殺人集団の、だ。それほどの能力をたかが十四の少女が持っているなんて、信じ難い話ではあるが。


「得意な物を使うべきだって言ってんだよ」

「ふぅん」


まぁいいや、と駿は立ち上がる。自分が余計な世話を焼かなくとも、きっと誰かが気付くだろう。千瀬がここにいる、その事実こそが既に、何者かが彼女の秘めた力に気付いている証拠かもしれない。


(大方、ロヴやルカあたりか)


少年はつかつかと歩み寄ると、きょとんとする千瀬の手を乱暴に引いた。


「帰るぞ、あいつらが待ってる」




*




「チトセ!」


プラチナブロンドのツインテールを揺らし、ロザリーが駆けてくる。集合場所であるコンテナーを積んだトラックが停車している路地の、少し手前。


「ローザ! もう来てたんだね」


再会を果たした少女達は無邪気な子供のように手を取り合った。

否、もとより子供なのだから年相応の行動である。千瀬が浮かべる笑顔は若干ぎこちないものであったが、それでも駿はその顔に安堵した。来たばかりの頃などは、千瀬は常にぼうっと夢を見ているような瞳をしていたと思う。何かを諦めたような、憂いを知っているような、とにかくその年令には不釣り合いな――本人に言ったことは、なかったけれど。


(ぼーっとしてんのは今も変わんないか。やっぱ天然かねこいつ)


しかも命のやり取りの最中に、と。少年の独白は薄明るくなってきた空に掻き消される。日の出まではもう少しあるだろうか。

千瀬がロザリーに手を引かれ、それに続くように駿も路地へ向かう。そこでは既にサンドラとオミが待っていた。

コンテナーの入り口に腰掛けたサンドラは、千瀬を見つけると柔らかく笑う。


「おかえり、チトセ」


良かった、ともう一度笑みを浮かべる女に二、三度の瞬きを返し、それから慌てたように千瀬は返事を返した。


(おかあさん、みたいだ)


不意に沸き上がった感情。まだ母と呼ばれるには若いサンドラに対していささか失礼な気がしてしまうが、それでも少女はそう思わずにはいられなかった。それは自分の実の母ではなく、世間一般に――少女自身が描き続けた、母親のイメージ。

……何故だか、わからないけれど。その時駆られた酷く切ない気持ちを、千瀬はそっと押し込める。


「おぅあぁ〜っ! 終わったぁ」


駿が大きな伸びをして奇妙に叫ぶ。欠伸が混じっていたのだろう、その間抜けな響きにロザリーがくすりと笑った。


「笑うな。……予定時間通り、バッチリだな」


駿が未だ薄暗い空を見上げた。彼らの仕事はほとんど、日の昇る前に終わってしまうのだという。

民間人の活動が停止しているこの時間帯がベストなのだ。今回もまた然り。


家に、帰りましょう。サンドラがそう呟いて、メンバーは順にコンテナーの中に乗り込んでゆく。

朝日が昇る瞬間を見られなかったことを、千瀬は少しだけ淋しく思った。きっともう暫らくは日の出を見ることもないのだろう――少なくとも、仕事中には。


(……家?)


コンテナーの扉が閉じると同時にトラックが発車する。運転手は末端組織員・パースの中から適当に選ばれた人間らしく、彼はひたすら前を向いて運転を続けていた。ハンドルを握る手に汗が滲んでいたのは見ないことにする。


おうちにかえろー、まってるひとがいるよ。

突如小声で不思議なリズムを口ずさむロザリーを見て、千瀬は首を傾げた。聞いたことがある歌のような気がした。歌なんて、ほとんど知らないのに。


おうち、に。ロザリーに倣うようにして呟いてみる。僅かな既視感と違和感。ああそうか、と少女は一人納得した。お家に帰る、なんて言葉を口にしたことが無かったのだ。家から出ることが無かったから。

あの場所は確かに家だった。千瀬が自ら失ってしまったあそこは、帰る場所ではなく待つ場所だった。たった一人の姉の帰りを。


「ルシファーは、もうお前の家だぜ」

「……え?」


不意に投げ掛けられた声に驚いて顔を上げる。千瀬の目に移ったのは、どこかそっぽを向いた駿の横顔。


「俺らの帰る場所は一つしかねぇだろ。例えそこが“監獄”でも、俺たちの家には違いない」

「……家、」


千瀬は目を伏せる。ぼんやりと唇に乗せた言葉に実感は沸かなかった。帰る場所、待っている人、ただいまとおかえり。当の昔に無くした、否、持っていた記憶さえ無かったものだ。家族と名の付くものでさえ、この手で。


「ねぇチトセ、知ってる?」


サンドラが指を使い、千瀬の血で固まった髪を梳き始めた。おかあさん、みたい。もう一度そう思う。実母の手の温もりなんて覚えていないのだけれど。


「アメリカンでもイタリアンでも、とにかく一般的なマフィアってね、組織の一団のことを“ファミリー”って呼ぶんですって」


素敵だと思わない?

ブロンドの髪がふわりと揺れて、深紫の瞳が細められる。サンドラの笑顔は何故だろう、どこか千瀬に郷愁の念を抱かせた。懐かしむものは無いのに。あの国でさえ、帰りたいとは思わないのに。


「私達はマフィアじゃないけれど……EPPCは、唯一の解り合える仲間じゃない? 私達は“家族”なのよ」


血は繋がってないけどね、と。サンドラはくしゃりと千瀬の頭を撫でる。だからね、と優しい声が続いて。


「ルシファーに帰ったら、暇を持て余してるレックス達に、一緒に『ただいま』って言いましょうね」


千瀬が僅かに目を見開いた先で金髪の女が微笑む。

レックスったら悔しがってるだろうね、とロザリーが楽しげに呟いた。自慢してやろう、と彼女が続ければ、何をだよと駿が笑う。それにつられて千瀬も笑った。


「――うん」


サンドラに一拍遅れた返答を返して。笑った自分に千瀬は少し驚いた。本当はわかっていたのだと思う。知らないふりをしていたけれど、こういうのがずっと欲しかった。そんな、気がして。


千瀬は理解していた。自らの踏み込んだ道は大きく歪んでいることはわかっていたのに、それでも。


(ごめん、なさい)


心の底から、全てがたまらなく愛しいと思った。


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