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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第二章《模索》
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第二章《模索》:初陣(4)

曲線を描いて弾け飛ぶ塊、次いで紅の雫が吹き上がる。飛び散った血の海の中に、変貌を遂げた男達の身体が音を立てて沈んだ。


(――っ、こいつ)


駿は瞠目する。信じられないものを目の当たりにしているようだ。――彼には千瀬の操る得物の動きが、全く見えていなかったのである。

ごとん、という音と共に落下した首。頭蓋の転がった地面の先で、切り離された身体の残りが僅かに痙攣していた。


千瀬は返り血を浴びる前に首の消えた人間の間を走り抜け、更に迫り来る敵の首を落とした。再びの早業に、駿の目は少女の動きをまたしても追いきれない。


(くそ、)


その残像さえも捕まえられない自らの目に心中で悪態を吐いた。なんだか悔しいと思ってしまう自分自身に苦笑を一つ零し、少年は再び千瀬の動きに目をやる。

少女の駆け抜けた後にはいっそ見事なまでの骸の山が積みあがった。日本刀なら扱える、と言っていた彼女の言葉は間違っていなかったのだ。


「……ったく、すげぇや」


千瀬は次々と敵を薙払ってゆく。剣が血脂で汚れていることが嘘のような切れ味だ。音速の斬撃。何かを超越したその動きを保ったまま、少女は敵が群れなしている一角へ突っ込んだ。

懐に飛び込まれた者が喚き散らす。相手を見失い恐慌状態に陥る人間、喚声、悲鳴。

瞬間、胴体と切り離された二つの首が空を舞う。


「わぁ!」


場違いに朗らかな声が響いた。

千瀬の快進撃に気が付いたロザリーが手を叩いている。彼女の周りは粗方片付いたようで、あとは僅かな残党を排除するのみだ。だからといって呑気に観戦している場合ではないのは百も承知であったが、それにしても千瀬の動きには目を見張るものがある。人のことを言えない駿は、はしゃぐロザリーを黙認した。


一塵の風と共に少女が刀を振るい、同時にまたいくつかの首が舞った。速い。

乱れ飛んだ首に揺れる長い髪の存在で、そのうち一つが女であったことを知る。


「――? おい、」


異変が訪れたのは唐突だった。駿が戸惑ったように声を上げる。刎ね上げた屈強な女の首が目の前に落ちてきた瞬間、千瀬の動きが突如停止してしまったのだ。

切り離された首からほとばしった血潮を避けることができずに、少女はそれを勢い良く頭から被った。ぽた、彼女の髪から深紅の雫が滴れ、頬を伝って地に落ちる。


「ち、とせ」


少年の声は千瀬に届く前に霧散した。少女は刀を握り締めたまま虚ろに空を見つめる。否、性格には今しがた殺した女を。


(血、が)


千瀬はそのまま目を瞑った。瞑ってしまったことに、気が付かなかった。

体中の血液が逆流している気がする。今、あたしは何をしていたんだっけ?


(これは)


ぐわん。視界が揺れた。同じような感覚をつい最近味わったような気がする。夢だ、あの夢。目蓋の裏に色が爆ぜる。たった一色。


(あか)


綺麗な赤。白い百合と装束が、染められていって。あたしを見ている。首―――母さんの、首。

この光景を知っている。あの日、否、あれよりずっとずっと前から。前、から?




―――――――――――忘レヌゾ。ケシテ忘レサセマイゾ、黒沼。










「――ばか、やろっ!」



そう千瀬に叫ぶやいなや、駿は後ろから彼女の首を掴むとそのまま力任せに引き倒した。力失く背から地面に倒れこんだ千瀬の真上を、彼女を狙った銃弾がかすめる。

少女は目を見開いた。永遠のように感じたあれは一瞬の出来事だったのだ。

駿は千瀬のホルダーからスローイングナイフを引き抜くと銃弾の主へ続け様に二撃、さらに背後に現れた敵の頸動脈を後ろ手に断ち切り、怒鳴る。


「ぼーっとしやがって、何考えてんだ! 殺られる前に殺れっ!! 死にたいのか!?」


派手に飛び散った血糊を頭から被っていた千瀬は、むせかえるような鉄の臭いを吸い込む。目の前が深紅に染まって、瞬きを繰り返す。やってしまった、と少女は眉根を寄せた。こんな時に。


「……ごめんなさい……」


気付けば周囲の敵は殆ど残っていなかった。最後の数人の命は今まさに、ロザリーの銃によって散らされようとしている。ぱぁん、乾いた音。


千瀬は手の甲で頬の返り血を拭う。駿が憮然とした表情を浮かべながら、転がっている先程の男の死体に足を掛けた。千瀬のナイフが刺さって抜けない、あの男である。力を込めれば、ゴキ、と何かが鳴ってずるりとナイフは抜けた。死体の頸椎から飛び出した不自然な白いモノ。ナイフに引っ掛かり、引き摺りだしてしまったのだろう。


「ほらよ、」

「ありがとう」


少年が投げてよこしたコンバットナイフを千瀬は丁寧に拭う。刃先に付着した血糊は固まってしまっていたが、それでも幾分かはましになった。


「どうしたんだよお前、いきなり止まったりして。……ホントさ、危ねぇよ、あーいうの」

「ごめん……でも、」


遠くから二人を呼ぶ声がした。ロザリーが手を振っている。もうこの場所に用はない、移動しようということなのだろう。


「思い出せそうだったのに」

「……あぁ?」


何が、と尋ねる駿に少女は力無く首を横に振った。千瀬自身、わからなかったのだ。


――夜明けはまだ遠い。




*



サンドラがジャックナイフを振り下ろすと、そこから放射状に血の雫が飛び散った。そうしたナイフにはまだ脂質が残っていて、それが鈍色に光を放つ。


(……五本目)


サンドラは軽い溜め息を吐くと、ナイフを転がっている死体の背に投げ捨てた。人間の血脂というのは厄介なもので、それがこびり付いた刃物は直ぐに切れ味を失い使えなくなってしまう。故に、サンドラが用いているジャックナイフも消耗品だった。

……殺人以外の目的で使用すれば、せめてもう少しは保つのだろうが。


「あ、あ、ぁあぁあぁああッ!」


訳の分からない叫び声をあげながら突進してくるこの男が、この辺りでは最後の生存者だろうか。

サンドラは男の足を払うと、右肘と左腕を使って彼を地に組み伏せる。これ以上ナイフは使いたくなかったので、考えた末に彼女は――ハイヒールの踵、その細いピンで勢い良く男の首を踏み抜いた。


鈍い音が空気に落ちた。男の首に、美しいほどの円形の穴が開く。ごぽり、男の口から血とも臓器ともわからぬ物が吐き出される。

その一瞬で、最後の生者は最後の死者へと変貌を遂げた。


……一点に全体重がかかれば、ヒールも立派な凶器になるのか。妙なことに感心して彼女はその場を後にする。


「……貴方達は、運が良い」


累々たる死骸に向けてサンドラは呟いた。――“今の”彼女であれば、少なくとも一撃で死を与える道を選ぶから。それは相手にとっては細やかな幸運のはずである。

それは独り言も同然だった。生きている者などいないのだから。


(……最後の彼は少々苦しんだかもしれないけれど)


前を向いたサンドラの目に浅葱色が飛び込んだ。現れた少女は軽快な足取りでサンドラのほうへやって来る。


「オミ、どう?」

「……終わり」


汚れ一つ着いていないオミの服に目をやって、毎度のことながらサンドラは感心した。まぁ、当たり前と言えば当たり前。若干十五歳にも満たないであろう少女は、この道の“エリート”なのだから(オミの実年令は十三ほどであった、とサンドラは記憶している)。


ああそうだ、とサンドラは笑った。


(あそこも、ロヴのお陰で随分変わった)


コートに付いた埃を払って空を見上げる。肉の感触が残っている靴のおかげであまり気分は良くなかったが、そうも言っていられなかった。


「……チトセ達は大丈夫かしら」


万に一つも、命を落としているようなことはないだろう。――ただ、この仕事は引き際が肝心である。

そろそろ警察が出てくる時間なのだ。結局今回も銃声やら爆音やら派手にやってしまったので、間違いなくこの争いは警察の耳に入っているはずだ。

それでも今まで警察が姿を現していないのは、マフィア抗争に巻き込まれることを連中が恐れているからに他ならない。

……銃声が鳴り止んで、街に静けさが戻るこの時こそが。警察と出くわしてしまう確立が、一番高いのだ。


「行きましょう、オミ」


サンドラは集合場所へと歩きだした。信じてもいない神に、仲間の無事を願う。

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