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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第六章《輪廻》
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第六章《輪廻》:かの少年のスーベニア(A)

あかい、あかい、あたたかい、あか。


(……これは、)


最初に見えたのは暖炉の灯りだった。ぱちぱちと薪のはぜる音に合わせて炎が揺れている。肌に感じる熱は少し熱いくらいで、近付きすぎれば火傷しそうだ。

千瀬はゆっくりと瞬きをする。視界は良好。ともすれば現実かと間違うほど五感の感覚もクリアだったが、寸前の出来事を思い出して理解する。ここは、エヴィルの持っていた記憶。ミクが代わりに見せている記憶。――ロヴ・ハーキンズの記憶の中の景色なのだと。


(うん。なんか、慣れてきたなぁ)


びっくり現象に見舞われるのはもう何度目のことか知れない。すっかり受け入れ体制の整っている自分を褒めてやりたいような気持ちになる。


「おかえり」


声をかけられてびくりと身体が跳ねた。少しだけ掠れた年輩の男の声。振り向けば何故気付かなかったというほどすぐ近くに古びた上質のロッキングチェアがあり、腰掛けた声の主がゆっくりと揺られている。

紳士と表現するのがぴったりな、落ち着いた風体の男だった。優しげで、けれどけして隙のない。

煙管から薄く煙をくゆらせるその口元には不精でない髭が蓄えられていて、その色合いからも彼の年齢が窺える。若く見積もっても初老といったところだろうか。


「……グラモア。また外に妙なのがいたよ」


いらえが返ってくるのは重厚感ある扉の向こう。想像通り、男が声をかけたのは千瀬ではない誰かだ。それがわかってほっとすると同時に千瀬は部屋の隅へと移動する。

この男性の目に自分はきっと見えていないのだと、直感でわかった。ロザリーや駿はどこに行ってしまったのだろう。一緒にいるものだとばかり思っていたが、もしかしたら各々でこの光景を見ているのかも知れない。


「そうか。それ、どうした」


品のある見た目の割には砕けた口調の男である。さて、グラモアと呼ばれたこの人物が一体何者なのかと千瀬は思いを巡らせた。どこかで聞いたことのある名だ。


「始末した。邪魔だったから」

「そうか。……入ってきたらどうだ?」


カツン。小さな靴音を立てて来訪者が姿を見せる。声色から随分と幼いことは予想できたが、それにしては物騒な応答内容だ。その段階でかなりの確率で正体は絞ることができたが、やはり、と千瀬は唸る。そもそもこれが誰の記憶かわかっているのだから、疑いようもない。


(ロヴ……!)


新鮮すぎることに、登場した少年は今の千瀬よりも背丈が低い。もしかしたら丁度自分がルシファーに来たのと同じくらいの年頃……十三、四歳くらいではないかと千瀬はアタリをつけてみる。

今の首領と同様の曇りない、けれど何を考えているのかわからない目をした子供。切り損ねている髪が少し伸びていることを除けば、本当にそのままロヴが縮んだような外見だ。

服だけはグラモアと呼ばれた男に与えられたのだろうか、似た雰囲気の上等な物を身に付けている。


(グラモア……、グラモア・ウィル・ハーキンズ)


少年の姿を確認すると同時に、彼の呼ばうその名を千瀬は思い出した。

それは確かロヴの養父の名だ。ほんの一時だけの、仮初めの関係だったがーーそれでも彼とその連れにたくさんのものを与えた大人。

ルシファーの傘下となっている《学園》の、元の持ち主。

そしてルシファーを創設する前の堕天使達が、唯一その死を悼んだ人間。


(ルシファー創設時、ロヴは十六歳と言っていたから……)


年齢を逆算し、先程の予想も強ち間違いでは無さそうだと確認する。

話に聞いていた通り非常に裕福なのだろう。部屋の薄暗さに慣れて内装がはっきり見えるようになったがら、その飾り一つ一つがかなり高価な品であることが素人目にもわかる。

……彼の命はそう長くはないはずだ。千瀬の記憶に間違いがなければ、ルシファー創設はグラモアの死後。今は大病を患っているようにも見えないが、この男は数年以内に命を落とすことになるーー考えて、複雑な気持ちになった。


「……消さない方が、よかったか?」

「いや構わんよ。招いた覚えはない、どうせろくでもない狙いで来たのだろう。手間が省けて助かったよ、ロヴ」


幼いロヴにそう言って笑う男。人畜無害な老人が金持ちの道楽で子供を拾ったのかと思いきや、そうではないらしい。発言から察するに彼は生粋の“こちら側”の人間だ。そうでなければそもそも、ロヴと出会うこともなかったのかもしれないが。


「あいつらにくれてやる物なんて何もない。全てお前にやる」

「…………。」

「ロヴ。ロヴ・ハーキンズ。俺の息子よ」


酔狂なことだ、と少年が呟いた。

まだおそらく彼は、グラモアを信用していない。この奇妙な男を使えるか使えないか見定めている――――そう千瀬が気付いたところで、ぐるりと景色が回った。







――暗転。





***





唐突に視界が開けた。

これだけで終わるはずがないと予想した千瀬の読みは当たり、どうやらまだロヴの記憶の中である。

今度は真っ白な壁の眩しい清潔な空間に一人放り出されている。居住空間にしては全く生活感がない。どちらかというと工場か研究施設といった風体だ。

つるりとした壁にぺたりと触れてみればひんやり冷たい感触。リアルだ、と思わず感心する。


「どうだ、目ぼしいものはあったか?ロヴ」


振り返った景色の中に突然先ほどの二人が現れたが、千瀬は驚かない。

どうせこちらの姿は見えないのだからと、今度はその場に膝を抱えて座ってみた。――すっかり肝まで据わったものである。


「面白いよ。さすがに金があると違うな。あとは情報……」


先刻より少しだけ表情の柔らかくなった少年は腕いっぱいに本やフロッピー、CD-ROMを抱えている。近年もっと小型化した記録媒体が主流だがまだそちらは未採用なのか。まだまだ小柄な少年には些か運びにくそうに見えるが、当の本人は楽しそうだった。

暖炉の部屋での記憶からどの程度が経過しているのかはわからないが、少しはグラモアに気を許しているのだろうか。


「情報網というのは充実しているに越したことはない。資金もだ。金と知識、それがあればなんだってできる」

「なんだって、とは大きく出たね」

「できるさ。そしてロヴ、お前には知識欲がある。欲だけでなく仕入れた知識を活用できる知能もある。ついでに言やぁ、金を工面するだけの強かさと運もある――このグラモア・ウィル・ハーキンズに巡り合ったという強運が」

「自分で言うのか、それ」

「そしてお前との出会いは俺にとっても僥倖だ」


グラモアの大きな手がロヴの頭に触れる。瞬間ぴくりと身体が反応したが、後はされるがままになっているロヴを見て千瀬は驚いた。頭を撫でられるロヴ・ハーキンズ。子供とはいえ信じ難い光景だ。


「お前が何を調べているのかは聞かない。好きなようにこの施設も使えばいい。わからないものは教えてやる。お前なら理解できるだろう」

「……アンタの頭の良さは知っているよ。事業主としても、科学者としても」

「おや、褒めてくれるのか? 珍しいこともあったもんだ」


科学者。意外なグラモアの一面を知って千瀬は目を瞬いた。ルシファーにも何らかの研究施設がいくつか付属していると聞いているが、このあたりが切っ掛けなのだろうか。


「別に褒めてないよ。事実だろう」

「……何でもやる。お前の望むもの、望む通りにしてやる。俺はお前を可愛がりたいと思ってるんだ、ロヴよ」

「どうも。……金の使い方から研究のノウハウまで――せいぜい盗ませてもらうさ」


目を閉じたロヴを撫でる様子はまるで野生動物を手懐けているようだ。くつくつと柔らかい声でグラモアが笑う。


「……グラモア。今度アンタに、俺の仲間を紹介するよ」


ロヴの表情が少しだけ、綻んだ。






***




(う、うわっ)


ちらちらきらきらと色が入り乱れて目が回る。

今度は目の前を流れる景色のスピードが速すぎるのだ。まるで早送りの映像を見ているかのように物凄いスピードで情報が千瀬の中に流れ込んでいく。

会話や音声は聞き取れないが、動体視力にはそこそこ自信がある千瀬の網膜に様々な情景が焼きついた。


グラモアと手を繋ぐ黒髪の少女。抱き上げられる金髪の少女。人形のように綺麗な服を着せられて見違えるようだが、間違いなくルカとミクだ。

エヴィルもレックスも、―-サンドラもいる。グラモアを信頼したのか利用価値ありと判断したのかは定かではないが、一定の期間を見極めた後にロヴは大切な仲間を男に紹介した。

その後はどうやら暫くは同じ屋敷で皆過ごしていたらしい。養父と養子の少年を中心に暖かな光景がぐるぐると季節を重ねていく。

それは、まるで、


(家族みたいだよ、ロヴ)




――また暗転。





***





今度は書斎の中で二人が話をしている。

ロヴの背は少し伸びたように見えた。反対に、グラモアには皺が増えている。

どのくらいの年月が経っているのかを類推しようとした千瀬の思考は、聞こえた言葉でぱったりと途絶えた。


「例の連中に持ってかれたっていうデータ、見つかったのか?」


何だかこれまでと違い内容に具体性がある。問いかけたグラモアの口調が珍しく不穏な空気を纏っているのも気になった。


「いや。探してる――たぶんこのままでは難しい。俺たちが組織として、ある程度の情報網を確立できれば別だろうが」


データ。そういえば上層部が秘密裏に追いかけていたそれに千瀬も巻き込まれて、てんやわんやの事態になったことがあったような気がする。

……あれは何のデータだけ。考えが霧散する。


「そうか。そのデータ、忘れずに回収することだ。どのくらい綿密に調べたかわからんが……数値である程度予測できるもんなんだよ、“いつまでもつか”ってのがな。読み方は今のうちに教えといてやる、頭に叩き込んどけ」


(なんだっけ?)


「……ああ」

「焦るなよ、ロヴ。俺も力を貸してやる……助けてやりたい」


(助けるって、何を)


考えが追いつかないうちにまた暗闇の中へ飲み込まれる気配がした。

どんどん景色が遠ざかってゆく。問いかける千瀬の言葉は彼らには届かない。


(―――-誰を?)





***







激しく咳き込む音が聞こえて千瀬は目を見開いた。

目の前に赤黒い血が落ちている。身体の深い部分から吐き出された、鮮度の低い血の色。しかしその量が尋常ではない。

触れられないことをわかっていながら思わず駆け寄ろうとした千瀬の視界を黒い影が遮った。暖かい湯とタオルを手にしたロヴがグラモアに近づいてその背を摩る。年老いた男の口元からはどんどんその命の証が零れ落ちていた。


「……グラモア。叶うものならアンタは生かしたいと……アンタだけはと、思うんだ。けれど出来ない。まだ、今の俺の力では出来ない。これだけ多くの事が可能だというのに、珍しく本当に叶えたいことは出来ないんだ。皮肉なもんだよな」


白いタオルが真っ赤に染まっていくのを見つめながらぽつりとロヴが零す。その表情はあまり変わらず、知らぬものが見ればひどく無感動に見えただろう。けれど千瀬は、その瞳の奥にある彼の悲しみを知っている。


「ロヴ、それで良いんだ。人はいつか必ず死ぬ。限られているから面白い。俺は、お前を見つけた。遺せるものを考えた。俺はもう良い。けどな、お前達は若い――幼いと言っても良い。だから足掻け。簡単に終わらせるな」


使用人はごまんといるだろうが、人払いをしているのだろう。グラモアの世話を焼いているのはロヴただ一人だ。少し大きくなった少年の手が、少し細くなった男の身体に上着を羽織らせる。


「約束しろ……ルーのことも、精一杯、全力で、足掻いてみろ」

「言われなくても……その為に、俺は」


(ルー?)


聞きなれない呼び名に一瞬千瀬は首を傾げるが、直ぐにその正体に思い当たった。彼女を今そう呼ぶ者はいないが、幼少期の愛称だと思えば何の不自然もない。

しかし次の瞬間、飛び込んできた言葉に千瀬は身体を強張らせる。


「あんまり悠長に構えてる暇はないぞ。お前ら一度妙なのに取っ捕まって、あの子の力が暴発してるんだろう。そんなことを繰り返していればあっという間にもたなくなるぞ」


(え……?)


千瀬も聞き覚えのある話だった。しかし問題はその後だ。

もたなくなる――そういえば先ほどもその言葉を耳にしている。


「ただでさえ脆い人間の、子供の、女の器。そこにあの強大すぎる異能。どう考えたって無理がある。何もしなくてもいずれガタが来るだろう。もっと弱い力だってそうなることもあるのを、俺は見てきた」


千瀬は夥しい量の情報を必死に整理しながら考える。考えて、気付かなければいけないとわかっていた。それがロヴの本意に繋がるのだ。

見たくない、知りたくない内容だとしても、それが。


(もたない。ガタが来る)


――誰の話だ?


「ロヴ。お前の能力も、考えようによってはあいつの命を繋ぐ一助になるかもしれない」

「……わかってる」

「とにかく学べ。俺が生きている間は何でも勉強させてやるさ」


やめて。なんで。

そんなの、一人しかいない。


――――ルカ・ハーベント。彼女の、話だ。


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