第六章《輪廻》:代替品のアルゴリズム(2)
「バックアップ……だって?」
鸚鵡返しに問いかける恭吾の顔には解せないとはっきり書いてある。
「ああ」
エヴィルは頷くと、ちらりと千瀬達を一瞥した。そうして一つ息を吐くと、座れとジェスチャーで示す。おとなしくロザリーがソファに腰を下ろしたのを見て、駿と千瀬も従った。背後のレックスは部屋の入り口を守るように立ったまま、恭吾もまた腕を組み直立していたが。
「――俺にはルカやお前のような、目立った異能はない」
そうエヴィルが語りかけたのは傍らのミクに対してだ。漸く落ち着いたのだろうか、涙を拭った彼女はベッドに腰かけたまま、怪訝な表情で彼を見つめる。
「ルカのように強力な武器を持っているわけでも、お前のように記憶を読めるわけでもない。……キョーゴのように空間を移動することもできなければ、ルードのように念動力があるわけでもない。ただ俺は……俺の肉体は特別に強固で、回復が早く、少しだけ、細胞の形状を弄ることができる。その程度だが……」
いやそれ十分特殊だし目立つだろ、と呟いた駿の声は黙殺される。
寡黙なエヴィルがこのように長く喋っているのを、この場に居合わせた者の殆どが初めて聞くのだ。途中で無駄な言葉を挟んではいけないと、皆理解していた。
「だが、そんな俺にしかできないとロヴが判断した」
「それが……バックアップ?」
「そうだ。ロヴの身に何かあったとき、その能力の予備として働く。実際にこんな日がくるとは思っていなかったが――アイツが保険をかけていたのは、間違っていなかったということだ。否……アイツにはわかっていたのかも知れないが……」
そーだろーね、と嫌そうに恭吾が相槌を打つ。
「実に用意周到なことだよ、全く……」
「ロヴが常時使用している能力が失われた時、替わりに俺がそれを遂行できるように。予めアイツは自分の力の一部を俺に移し、いざというとき起動するようにしていた。その負荷が尋常ではないから、他の人間なら死ぬかもしれないと――俺なら大丈夫だろうと言っていたな。事実大丈夫だったわけだが」
「馬鹿。死にかけていたわよ、どうみても」
鋭い声でミクがねめつけると、エヴィルは誤魔化すように首をコキリと鳴らした。
ばつの悪そうな彼の様子を見て千瀬は意外に思う。この人でもこんな表情をするのか。でも、そうか、彼らは……ロヴとずっと昔から一緒にいた彼らは、こんな風に家族のようであったのだろう。
「それじゃあ、あたし達の言葉を今通じるようにしてくれてるのはエヴィルなのね?」
問いかけたのはロザリーだ。その奇跡を今目の当たりにしたばかりなので、質問というよりは断定に近い。
「そうだ。一応は、な。ロヴに比べればその範囲も精度も劣るのかもしれないが……」
「範囲も?」
「ああ。今俺の力が及んでいるのは、この日本に移した本部のみ。もとの拠点に残している連中までは作用していない」
「といっても、メイン機能はほぼこちらに来ているから問題ないんじゃない?……あー、そこまでロヴが読んでたってことかな。腹立つなぁ」
心底悔しそうに恭吾が言う。それを見てエヴィルが小さく笑った。……笑った。それだけで、数人がぎょっとする。
「腹が、立った。俺も」
「……」
「ロヴはいつだって肝心なことは言わないから。俺はそれでもよかった。よかった、筈なんだがな。……やっぱりアイツは大馬鹿者だって、あらためてわかった」
「わかった……?」
いぶかしむ声にエヴィルは頷く。
「――今の俺は、ロヴのこれまでの記憶や想いを共有している」
「……え? それって、」
「アイツの能力を受け継ぐのと同時に流れ込んできたんだ。こんなこと聞かされていなかったからな、しばらく混乱したが……だいぶはっきりわかるようになってきた。こうなると知っていたからこそ、何も俺に知らせなかったのかも知れないが。ロヴが何でこんな馬鹿な真似をしたのか、アイツが何を目的に行動しているのか……」
やっとわかった。わかってしまった。
呟いたエヴィルの感情は読めない。
「――面白い。聞かせてくれよ、それ」
突如割って入った声がゾラのもので千瀬は仰天した。いつ戻ってきたのか、というより、どうやって部屋に入ったのか。レックスが塞いでいたはずのドアなど完全に無視して空間のど真ん中に現れた情報屋は、その堂々とした佇まいに反して身に付けた衣服が汚れていた。
先ほどエヴィルによってルシファー内の異能者が挙げられたが、この情報屋は更に特殊ケースだと度重なる状況から千瀬は悟っている。おそらく彼女は複合能力者だ。恭吾のように瞬間移動もできるし、他の事もできる――世界にどの程度の割合で存在するかは不明だが、こんな異能者もいるのだろう。
「ゾラさん!」
「……悪い、やっぱりルカを捕まえるのは無理だったよ」
声色に少しだけ疲れを滲ませて告げる彼女をミクが労う。誰もがその結果は予想していたが、千瀬は少しだけ落胆した。
これから目の前の男が語る話は、ルカこそ聞くべきではないのだろうか?
「お前達には話す。俺にはその義務がある……と、思う。それに、ちょうど良いかもしれない――ルカがこの場にいなくて」
「え」
そう考えた矢先、真逆の発言をされて瞠目した。
この組織と、創設時のメンバーであった“彼ら”の核でような彼女。そのルカに聞かせられない話というのが存在することすら、想像できない。
「だがロヴの記憶はかなり膨大でな……どう話したものか――ああ、そうだな、」
しかし千瀬の困惑は、次の瞬間エヴィルの取った行動によって驚愕で塗り潰される事となった。
「!?!?!?」
「なっっ!?」
声を上げたのは恭吾と駿だ。
これから語らねばならない情報の多さにほとほと困ってた様子のエヴィルは、ふと思い付いたかのように隣にいた金髪の彼女を――ミクの肩に手をやると、そのまま引き寄せて両腕で抱き込んだのである。抱き締めている、と表現したほうが正しいだろうか。
(う、うわ!!)
銀と金の髪がさらりと音を立てて交差する。意識する機会は殆どなかったが、二人は見目も美しく非常に似合いの組み合わせに見えた。血腥い環境を一瞬忘れそうになるほどの柔らかな空気。家族のような親密さを越え、まるで愛し合う男女のようにぴったりと密着した二人を目の前にして千瀬は頬が熱くなるのを感じる。
ひゅう、と楽しそうに囃し立てたのはロザリーだ。
抱きしめられたミクの身体は一瞬強ばったが、すぐにその腕が抱擁に応えるようにエヴィルの腰にまわされた。二人の表情はわからない。
「おい、お前等……!」
ほんの僅かな時間であったが、一同揃って息を呑んでいた為実際よりはかなり長い体感であっただろう。
子供の前で何を、とあたふたし始めたレックスを見てついにゾラが盛大なため息をついた。はぁぁ。
「君達は馬鹿か。……エヴィル、終わったか?」
「ああ」
問いかけに答えて何事もなかったかのようにエヴィルが身体を離す。解放されたミクはふぅと一息ついて、周囲を見渡し首をかしげた。
「……あなた達、なんて顔してるの」
「え、いや、その……」
「……? まぁ良いわ。じゃあ、これから私が代わりに皆に“見せる”から」
その言葉で漸く、エヴィルがミクに記憶を“渡して”いたのだと千瀬は気付く。二人の関係を邪推してしまったことが恥ずかしくなって、先程とは違った意味で顔が熱くなった。他の人間も同じだったのだろう、皆一様にばつが悪そうに目線を反らしている。
膨大な情報を相手に触れることによって取り込むミク。スピードを上げるために接触面積を増やすという理屈はわかるが、せめて一言くらい欲しい。
「はい、じゃあ、皆手を繋いで」
「……はぁ?」
微妙な空気の中、更に困惑する指示に駿が顔をしかめた。嫌だよ何それ気持ち悪いんだけど、と恭吾も難色を示す。
「良いから繋ぎなさい。知りたくない人は別に良いわ……この人数、何度も説明できないし。同時に見せるにはどこか一部分触れてないといけないのよ。指先だけでも構わないからさっさとして、ほら」
「……仕方ないな」
ミクが差し出した手を躊躇いがちに握ったゾラがはっとして目を見開く。ぽたりと頬を伝い、一滴零れ落ちた雫。
「ミク……?」
「……はやく、して頂戴」
深い碧の瞳を静かに濡らし、ミクが泣いている。
彼女はもう“知っている”のだ。エヴィルから全て読み取って。
「…………」
憮然とした表情のゾラが、ミクに触れていない方の手を恭吾に向かって差し出した。青年は暫し逡巡した後、物凄く渋々、といった様子でそこに手を重ねる。恭吾の空いたもう一方の手をロザリーが握った。それに倣って駿が、次に千瀬が続き、最後に千瀬の左手をレックスの大きな右手が握り込む。
一列に連なったままでも構わなかったのだろうが、レックスはそのままエヴィルに近寄るとその身体を労るように彼の肩を抱いた。ミクもエヴィルにもう一度寄り添うように腕を組み、そうして八人で円が出来る。
「それじゃあ、始めるわよ――」
そうミクが告げた声が、次の瞬間どんどん遠くなってゆく。
何か途方もない渦の中に墜落していくような、あるいは吸い込まれていくような感覚をおぼえて千瀬は目を閉じた。