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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第六章《輪廻》
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第六章《輪廻》:代替品のアルゴリズム(1)

同時刻、ルシファー。


*


*


*




――ノアの洪水の後、人間はみな、同じ言葉を話していた。

人間は石の代わりにレンガをつくり、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れた。こうした技術の進歩は人間を傲慢にしていった。天まで届く塔のある町を建てて、有名になろうとしたのである。


『なんて傲慢なんだ。いっそ清々しくて笑えるほどに。できるわけないよなぁ。俺ですらやろうと思わないんだから』

『……傲慢の代表みたいなやつが何を言う』


神は、人間の高慢な企てを知り、心配し、怒った。そして人間の言葉を混乱バラルさせた。


『だがロヴ……お前なら、実際のところ塔の建設もできるんじゃないのか?物理法則を覆して』

『できるだろう。だがやらないよ、面白くない。やるなら、そうだな……神に逆らってやるほうが面白いんじゃないか』


混乱バラルした言葉を戻してやるのはどうだ、と笑った彼の顔を覚えている。

似合わない旧約聖書を子守唄のように朗読し、幼い連れ達に読み聞かせていた。誰もがこの男――あの頃はまだ少年だった――について行くことを疑いもしなかった。それは今も変わらない。変わっていない。


『エヴィル、これはお前にしか任せられない事だよ』

『勝手にしろ。お前のやることには従う』

『そんなに従順だとつまらないぞ』

『従うが、文句を言わないとは言っていない』


いつだって奔放で、自分勝手で、色んな人間を巻き込んで、それでも行動の原理は幼い頃からずっと変わっていないのを知っていた。この仕方のない男を理解して、支えてやれれば十分だった。


「――ロヴ、」


バベルの塔の崩壊を身体中で感じながらエヴィルは思う。ごぽりと肺の奥から血を吐いて足元が真っ赤に染まった。

ロヴ・ハーキンズの力が切断されたのと同時に、エヴィルを絶え間ない激痛が襲っている。大きなうねりが内側から沸き起こって身体という器を壊そうとしているのだ。

同時に外からも膨大な力が流れ込んできて息すらできない。常人ならすぐに死んでいるだろうが、エヴィルは並外れた回復力を持っていた。壊れた細胞が修復され、また壊れる。


「やっぱりお前、変わってないな……」


呟いて薄く笑うエヴィルの視界が白く濁った。頭がガンガン痛む。脳裏に見たこともない光景や言葉がチラついて気が狂いそうだった。これはロヴの記憶だ。強制的にエヴィルに移し変えられる、共有させられる。自由な男。身勝手な人間。自分達を救ったただ一人の少年。

ロヴにしてみれば不本意だろうが、彼が秘密裏に動いていた行動までが今やエヴィルに筒抜けだ。そうなるようにロヴが組んでいるのだから仕方がない。


「……っ、この、馬鹿……こんな……聞いてない、ぞ」


恨み言を言って誤魔化そうとしても無駄だった。膝から床に崩れ落ちて意識を失いかける。なんとか気を保とうと唇を噛んだら血の味がした。痛みは感じない。今度は床を素手で殴り付ける。盛大にクレーターができて破片があちこちに飛び散った。二、三度連続であたりのものを破壊しても痛みは誤魔化せない。身体を掻きむしる、その爪で肉が削がれても止まらない。制御できない。


「……!? エヴィル!?」


音を聞き付けたミクが部屋の中に飛び込んできたが、その有り様を見て一瞬怯んだように立ち竦んだ。


「な、にこれ、どうしたのエヴィル、しっかりして……!」


ミク、危ないから近寄るな。そう注意した声が届いたのかどうか、もうエヴィルには判定がつかなかった。


「エヴィー!!」

「あ、、 ア゛ア゛ア ァ !!」


獣のような咆哮が己の喉から発せられたのを聞いた直後、エヴィルの意識はブラックアウトした。






***




先にルシファーに戻れと指示したのはゾラだ。僕は少しだけあの子を追う。どうせ追い付かないだろうからあとから合流するよと、努めて冷静を装っていた彼女の語尾が微かに震えていた。


「チトセ! シュン!」


飛んで帰ったルシファー本部で出迎えたロザリーが二人の名を呼びしがみついてくる。名前だけはしっかりと聞き取ることができたが、しかしその後に続いた異国の言葉は何と言っているのか全く理解ができなくて。


「ローザ、」

「――-、――――-!」

「ローザ、ごめん。……ごめんね、」


わかんないよ。言うと、その日本語が少女の耳にも異国の音として届いたのだろう。ロザリーの顔がくしゃりと歪む。その絶望の表情を確認して千瀬は目の前が真っ暗になるような錯覚を覚えた。

既に電話で1度状況を確認していた駿は覚悟を決めていたのだろう、耐えるようにぎゅっと眉根を寄せると、黙ってロザリーの頭を軽く撫でる。ひたすらに何かを訴え喚いていたロザリーの声が滲んで、泣き声に変わった。


「……っ、イチハラ!」

「シュン君。そんなに大声出さなくても聞こえてるよ」


無音で現れた市原恭吾は腕を組み不快感を顕にしている。この緊急事態に彼自身が苛立ちを隠そうともしていないのだろう。

駿はそんな恭吾の態度には気をとめず、矢継ぎ早に質問する。


「とりあえず、言葉が通じるやつを把握したい。お前の他に日本語わかるやつっているか?」

「ルードを覗くマーダラー以上のやつはマルチリンガルだと思って良い。君と違って教養があるからね。あとはオミとゾラ。テトラコマンダーは七見だけだろう。他は確認中」

「じゃあエヴィルとルカはそのまま話せるんだな。残りのやつ同士は英語で通じるのか?」

「たぶんね。実質、意思疏通に一番影響が出るのは君たちソルジャーだよ……レックス! 喧しいからローザを宥めといて」


恭吾の指示に、こちらを心配そうに見ていたレックスが腰をあげて近づいてくる。その太い腕で駿からロザリーを引き剥がすと、肩の上まで一気に抱えあげた。ロザリーはその首にしがみついてわんわんと泣いている。


「キョーゴ、」


躊躇いがちに声をかけた千瀬を恭吾は一瞥した。


「チトセ。何が起こっているかは理解してるね?」

「はい」

「ルカは一緒に戻って来なかったわけか。予想はしてたけど」

「ゾラさんが後を追ってます。ただ、追い付かないと思うって……その時はこっちに戻ってくるから私達は先に帰れって」

「そう。ルカには戻ってきて貰わないと困るな。こうなった今、事情がわかるやつがいないと……」


渋い表情を浮かべる青年に、千瀬はどうしても確認しておきたくて言葉を紡ぐ。


「ロヴ、ロヴは……どうなったんでしょうか」

「俺が聞きたいね。ただ――最悪、あいつは死んでる」


ロヴの能力であった“翻訳”の力が絶たれている今、それは想定しなければいけない事であった。だが恭吾の口ぶりから千瀬は悟る。そう簡単にあの男がこの世から消えはしないことを、誰もが知っているから。……信じていたいのだと。


「とにかく今はこの混乱をおさめることが先決だからね。なのに肝心なやつがみんな何処へいったのか――」

「――キョーゴ!!!」


ばん、とけたたましい音を立てて扉が開く。瞬間、悲鳴じみた声をあげて飛び込んできたのはミクだった。いつにもなく取り乱した様子の彼女にぎょっとして駿も顔をあげる。ロヴの力が失われると同時に、動揺しつつも冷静に本部内を見回りに行ったはずの彼女だった。明らかな異常にレックスも表情を強ばらせる。


「エヴィルが……おかしいの、どうしよう、ねぇルカはどこ」

「ミク、落ち着け!」

「どうしよう、エヴィー、エヴィーが死んじゃう!」





***




目を開けたとき、眼前一杯に広がっていたのは見慣れた碧い瞳だ。いつもは気丈なそれが、水分を孕んでゆらゆらと揺れて見える。そんなに泣いていては眼球がふやけて腐ってしまうのではないかと、ありもしない心配をエヴィルはした。自分自身は涙を流したという記憶もなければどうすればそうなるかもよくわからないので、彼女の眼球の耐久性に不安を覚えたのである。


「……ミク」

「エヴィー!」

「……この惨状はなんだ」

「俺が知りたいんだけど。」


いたのか、キョーゴ。首をかしげるエヴィルに盛大に溜め息を吐いて、恭吾は彼の横たわるベッドに腰を下ろす。つい数分前まで苦しみのためか大暴れしていたエヴィルのせいで部屋の中はめちゃくちゃだ。窓が一つ丸々吹き飛んでいるため部屋の中はかなり寒いし、硝子や陶器の破片が散乱していて足の踏み場も無い。床は一箇所大きく抉れていて血痕まで落ちている有様である。

ミクに呼ばれて駆けつけたものの、止める前に自分が殺されるかどうかという状況だった。組織が誇るハングマン一人、やっとのことでなんとか布団に縛り付けたこちら側の消耗は激しい。

手錠と縄で固定して鎮静剤を5本打ったところでエヴィルはようやく落ち着いた。数分眠ったかと思えばぱちりと目を冷まし、今に至る。


「……ああ。思った以上にきつかったな」


自分に何があったのかを把握し、思わずエヴィルはひとりごちた。

だんだんハッキリしてくる思考と視界。くるりとあたりを見渡せば、入り口のドア影にレックスの背中が見える。後ろにいるのは駿とロザリー、それにチトセだろう。


「何が? きつかったのはこっちなんだけど」

「そうか」

「何なんだよ全く…」


もう入ってきて平気だよ、恭吾がレックス達に声をかける。

不安げな顔をしている千瀬と泣きはらしたロザリーを見て、エヴィルはやらなければならないことを思い出した。


「説明、する。……これはずしていいのか」

「どうぞ」


もとより冷静なエヴィルには意味のなかった代物だ。エヴィルが少し身をよじると、固く結んだロープがぱちんとバラバラに弾けて千切れる。彼の青白い頬にできた擦過傷が徐々に消えていることに気付いて千瀬は目を瞬いた。いくら回復が早いと言っても尋常ではない――これが彼の持つ異能なのだろうかとぼんやり考える。自分で噛み切った唇の端には血がこびり付いていたが、その下にはもう傷などないのかもしれない。

エヴィルはそのままするりと立ち上がると、千瀬達の元へ歩み寄った。レックスを除く三人をじっと眺め、何かを決めたのかちょいちょいとロザリーを手招きする。


「――?」


あたし?と、おそらく彼女は尋ねたのだろう。一歩前に出ながら人差し指で自分を指すその仕草で、発言の内容はなんとなく千瀬にも理解できた。エヴィルは無言で頷く。

そうして不思議そうな顔を浮かべるロザリーの額に指を当て、男は囁いた。

――Пожалуйста переговорите некоторый.


驚いたように目を閉じていたロザリーは触れた指が離れたのを感じると恐る恐る口を開いた。


「何か話せって言われても……何を言えば良いの? エヴィル。」

「!?」


どうせみんなにはわからないよ。ふて腐れたようにそう呟くロザリーの声がはっきりと聞き取れ、駿と千瀬は仰天した。


「ローザ! 今なんつった!?」

「わ、わかるよ! 今のわかったよローザ!」

「……え?」


信じ難い物を目にしたかのように瞳を丸くしたロザリーは、指先で自分の唇を押さえる。


「二人ともわかるの? あたしの言葉。ロヴがいないのに?」

「わかるよ!」

「すごい、良かった、けどどうして……」

「良くない!」


思わず喜びそうになる千瀬を恭吾が一喝した。


「――エヴィル。何をした? 何故君にそんなことができる」

「……」

「アンタは確かに凄い力の持ち主だけど、これは違うだろ。これは――ロヴだけの、能力だ!」

「説明すると、言っただろう」


低く唸るように問い詰めるその声を意に介すことも無く、エヴィルは落ち着いた様子で椅子に腰掛ける。

否、落ち着いているというよりは――それはどこか諦めているようにも見えた。


「こうなって初めてわかったことが、ある。ロヴの考えについて、あいつがやろうとしていた事について」

「“こうなって”……?」

「ああ。順番に説明する。まず俺は――ロヴ・ハーキンズの予備装置バックアップだ」



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