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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第六章《輪廻》
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第六章《輪廻》:神みつる場所(5)







――――行こう。


そう言った事を覚えている。

差し伸べた掌を握り返した小さな柔いぬくもりは、全てに絶望するにはまだあまりにも幼かったから。

誰にも必要とされていなかった、誰も必要としなかった自分の心が、その時初めて微かに震えたのだ。


――終焉の先を見に行こう。


植物は枯れ落ち、土は腐敗し、一面死の臭いに満ち溢れるこの土地でたった三人。懸命に息をしていた子供を嘲笑うような朝焼けを覚えている。

暮らしていた建物に火を放って誓った。何もかもが終わりを迎えようとしていたその場所の、もっともっと先を見せてやりたいと強く願った。


――最果ての向こう側へ、俺が連れていくよ。


覚えている。忘れていない。


……今も、忘れていない。






***





一寸の光も差し込まない暗闇に閉じ込められていては、眼を開けたところで見える景色は何ひとつ変わらない。ただひたすらの漆黒だ。黒、黒、黒。塗りつぶしたようなそれは体に纏わりつくような不快感さえある。

同じ色でも、彼女の目と髪は美しい――目を薄く開きながらのんびりとロヴ・ハーキンズは思う。

まだまだ子供だった自分が、それでも抱き上げることが出来るような幼い頃に出会った彼女。ロヴが拾った彼女。


(――ルカ。)


心の中だけで大切な名前を呟く。

ロヴとルカ――当時はテトラと呼んでいたけれど――とエヴィル、たったそれだけであそこを出た日から随分と遠くへ来たものだと思う。自分も、彼も、彼女ですら大人になった。今やロヴは膨大な構成員を抱える大シンジケートの首領だ。

それでもずっと彼の目標は変わらない。最初からずっと、同じ場所を目指している。たった一つの約束を守ろうとしている。


「その為にはこれが必要なんだ。お前と一緒に行くためには」


今度は声に出してみたが、果たしてうまく発声できたのかどうかはわからなかった。ロヴを閉じ込めるこの暗闇は――東洋の魔女・女郎花が作った檻は、音の振動すら吸収してしまうのである。

ロヴはけして油断してこうなったわけでもなければ、理由あって甘んじて閉じ込められているわけでもない。試しに閉じ込められてみた、なんて酔狂な事では断じてない――ことにしておかないと、自らの部下やどこぞの情報屋に本気で命を狙われそうだ。

魔女の術に捕らえられるとどうなるのか全く興味がなかったわけではないが……結局ところ今彼がこのような状況に陥っている理由は純粋に力の差である。女郎花とロヴ・ハーキンズの間に大きな隔たりが存在する、そもそもの力量差。流石のルシファー首領と言えど、存在する次元の異なる元・神が相手では太刀打ちなど出来ないのが道理であろう。

ただし彼には――この状況を打破する方法が全くないわけでも、なかった。


(さて……ここで寝ているわけにはいかないからな)


エヴィルが激怒するだろうなとロヴは思う。ここに閉じ込められてからどの位の時間が経ったのか感覚が全くないので、実はかなりの日数が経過していて既にカンカンなのかもしれないが。

『これ』を実行すればあらゆる事象が激流のようにエヴィルの身を襲うだろう。かなりの負担になるに違いないが、それに耐えうるからこそロヴは彼を選んだ。ロヴが秘密裏に動いてきたことも、女郎花と出会ったときのやり取りですらも、エヴィルには筒抜けになるに違いない。そういう風に出来ている。

悪いなエヴィー。呟いて、小さくロヴは笑った。

これからやろうとしている事がたとえ、自分が考えている以上に状況を悪化させたとしても。

せっかくここまでたどり着いたのだ。時間が無い。この機を逃してしまっては手遅れになってしまう。何の為にここまでやってきたのかを鑑みずとも、答えは一つ。


(……やるか)


そうしてロヴ・ハーキンズはゆっくりと目を閉じ、 ――――、






***



「つまり女郎花と、黒沼の祖先にあたる黒縄は元々は仲間だった。けれど黒縄だけが八人の神の輪からはずれ、力を捨てて、人になり……そしてあっという間に人としての一生を終えてしまったと。女郎花はそれが許せなくて――もしくは他に何らかの要因が加わって、黒縄を執拗なまでに恨んでいる。人間となった黒縄の子孫を延々絶やそうとするまでに」


重苦しい空気をものともせず、ゾラが今までの話を総括してみせた。千瀬は藤袴の話が終わるやいなや目眩のようなものを感じてその場に座り込みそうになったが、駿に支えられ、なぜか今はルカの隣に強制的に座らされている。ルカの作り出した水のクッションの上に、だ。


(ちょっとひんやりしてて、ぷにぷにで、気持ちいい……)


そんなことを考えてしまうのは、露骨に現実逃避のあらわれだろう。

だって、あまりにも途方もない。


「滅亡させられた黒沼一族がしばらくするとまたひっそりと復活する理由は?」

「それも女郎花の仕業です。黒沼最後の一人は……すなわちその手で黒沼を死に追いやったものは、女郎花によってその記憶を失いますが人としての一生は送ることができる。その子孫たちがいずれまた黒沼一族となるように操作を行うのですよ。女郎花は、一度絶やしただけではその怨みが消えないと言う。何度も、何度も繰り返す」

「自分で滅ぼして、復活させて、また滅ぼすってのか。歪みきってるね」


ヘドが出る。吐き捨てるように言い放ったゾラは勢いよく身体を倒し菩提樹にもたれ掛かった。御神木にたいして甚だ罰当たりな行為であるが、藤袴は意に介さなかったようだ。


「黒沼一族は前回滅びた時も、さらにその前も、ずっとこの地に住んできました。それはこの土地が《神の力を弱らせる》場所だと信じられていて、伝承があったのか本能的になのかは今となってはわかりませんが、自分達の一族の背後にいる悪神の力が少しでも弱ってくれるようにとの願いから居住地としていたようです」

「神の力が弱る土地?」


興味深げに声をあげたのはルカだ。面白いものを見つけたときの、少女のような瞳で藤袴の顔を見上げる。


「そんな場所があるの?」

「実際そういう霊的なスポット、というのは全国各地にあると聞くけどね。パワースポットみたいなものとは、この場所は逆だと?」


続けて尋ねるゾラに、はい、と藤袴は頷いた。


「この地の場合は地名にも顕著に残っておりますね。上水流町。かみずる、は過去には《神みつる》と書いたと聞きます。神、(みつ)る。みつるとは疲れ果てる、やつれるといった意味ですが」

「神様が疲れてしまう、場所……」


本当にそんなことがあるのだろうかと千瀬は思う。同じことを駿も考えたらしい。


「実際のところ、どーなんだよ。その土地の効果ってのはあんの」

「ええ」


藤袴は困ったように微笑んでみせた。


「この地には本当にそういう力がございますよ。我々のような存在の力を奪い、弱体化させ、はね除けようとする。悪神でなくとも同じです。幸をもたらす神ですらこの土地には近づけない。人が神頼みをしようにも、頼む相手が滞在できない」

「それって何で……」

「原因は私にもわかりません、ただそういう場所なのだとしか。私も力を奪われ、こうして夜にしか出てこれない有り様ですから」

「えっ、そういう理由だったんですか!?」


思わず千瀬は大きな声を出してしまった。てっきり幽霊みたいなものだから、夜だと決まっているのだとばかり思っていたのに。

考えを改めなければいけないなと一人ごちる少女の傍らで、ルカとゾラが話を続ける。


「とても面白い言葉遊びね。でもそれだと、女郎花には効果がなかったと言うことになるのかしら」

「んー。実際、黒沼は女郎花の呪いから逃げられず滅びているわけだし……」

「ーーいいえ。女郎花にもこの土地の力は及んでいますよ。女郎花は……無間は、我々のなかで最も深い地獄を司る、一番力のある神でしたから時間はかかったようですが……」


ゆっくりと歩を進める藤袴が、千瀬に近寄って目線の高さを合わせる。


「貴女の代で綻びが生じた。貴女は一族全てを絶やしはしなかった。貴女の姉が生き延びたのは長い時を経て女郎花が弱体化し、呪いが不完全なものになっていったからです」

「ーーーー藤袴さん。教えてください」


差し出された白い指先を千瀬は臆することなく握った。人と同じ形をしていて、やはりどこか違う彼の手は力を込めれば溶けてなくなりそうな危うさがある。


「私は、私達のボスを取り戻したい。姉さんを助けたい。この二つが叶うならなんだってします。方法はありますか?」

「千瀬……」


心配げな駿に大丈夫だと合図をする。少女の真っ直ぐな視線を受け止め暫し黙り混んだ藤袴は、その後ゆっくりと一つ頷いた。


「女郎花を、殺しなさい」


人ならざる彼の示すその言葉にゾラが鋭く反応を返す。


「殺せるか?僕達に。たとえ異能があっても向こうからすればちっぽけな人間とかわらないのに?」

「殺せます。あなた方ではなく、黒沼千瀬……貴女だけが、殺せます」

「私だけ……?」


どういうことかと問いかける。藤袴はただ淡々と決められた事実だけを述べているようだった。


「黒縄の子ならばその身を流れる血の力で、我々のような存在にも干渉ができます。女郎花は長年転生を繰り返して弱体化しており、更に今は更に一つの一族を滅ぼしかかる頃合いだ。通常ならとっくに役目を終えて深い眠りにつき、次の一族が芽吹くのを待っていますが今回は違う。貴女たち姉妹が残っているから、力を使い果たしつつあってもまだ留まっていなければならないーー黒縄の血がたとえ人となったことで薄まり、弱まっていたとしても今ならば殺められる可能性は高い」


一息にそこまで告げると、彼は千瀬に強く言い放った。


「あなたの持つ刀で女郎花の首を落としなさい。さすれば、この、呪縛から解き放たれることができるでしょう」


ごくりと駿が喉を鳴らしたのが千瀬にまで聞こえてくる。

同時に自分の心臓が強く脈打つのがわったが、不思議と頭は冷静だった。

やはりこれしかないのだと、自分がそうするしかないのだと、どこかでわかっていてような気持ちにすらなる。


「ハーキンズはどうなる」

「女郎花をあるべき輪廻の流れに還せばこの世への干渉はなくなりますゆえ、あなた方の大切な方があれに捕らわれているだけであれば、無事戻ってくるでしょう。ただーー急ぐ必要はあると思います。なぜなら、」


女郎花は強い力を持つものを取り込み、失った力を補おうとしているからだ。そう藤袴は続けた。


「弱っているからこそ強い力を持つものを吸収したいのだと思います。もしかしたらその方は、それに利用されようとーーーー」


その時だった。突然強い耳鳴りがして千瀬は眉根を寄せる。まだ藤袴が話をしている最中だというのにキーンと煩い音が頭の中一杯に響いて、大切な情報が聞こえなくなってしまう。何でこんな時に、と些か苛立ちながら耳に手をやっても治りそうにない。おかしいな、と首をかしげた千瀬の下半身を次の瞬間、鈍い痛みと衝撃が襲った。


「いっ……!」


何が起こったのか理解するまでに数秒の時間を要したと思う。ジンジンとした痛みと目線の高さが先ほどまでより遥かに下がっていることから、千瀬は自分が尻をしたたかに地面に打ち付け座り込んでいるのだとわかった。つまりどういうことかというと――椅子として座っていたルカの《水》が、忽然と消失したためらしい。


「ルカ? ……っ!?」


どうしたのかと尋ねようとした千瀬は我が目を疑った。見上げた先に長い黒髪は見当たらず、視線を下げた先に同じようにまた、尻もちをついているルカの姿があったからだ。

自ら生み出した《水の椅子》の制御を失ったのだろうか、呆然と地べたに座り込むルカ・ハーベント。そんな無様な彼女の姿を目にする日が来ようとは想像だにしなかった。

目の前の光景に動揺したのは千瀬だけではない。焦ったように近付いてきたゾラと駿が瞠目する。


「おいルカ、どうし……」

「……これは、なに?」


呟いたのはルカ本人。その漆黒の瞳は何を映すこともなく、ただ虚空を見ている。その視線を追ってみようとした刹那――千瀬は戦慄した。


(………え?)


ぞわりとする感覚と眩暈。

これはなんだ。ルカと同じ疑問が千瀬の脳裏を覆い尽くした。身体の底から震えるような恐怖がやってくる。身体のなかの何かが剥きだしになる。繋がっていた何かが切断される。寒い。なくなってしまう。気持ち悪い。やめて。どこへ行くの。怖い。行かないで。行かないで。

必死に顔を上げると同じように顔を青くした駿とゾラが見えて、皆が同じ感覚を共有していることを確信する。


「   ロヴ   」


そう言ったのは誰だったのだろうか。

ルカだったのかもしれないし、千瀬自身かもしれない。全員がそう叫んだのかもしれない。

――悪寒に似た感覚が少しずつ弱まる頃にはもう、誰もがあの男の身に何かが起こったことを理解していた。


「――っ、ルカ、待て!!!!!」


ゾラが大声を上げた時にはもう遅い。千瀬にはその姿を目で追うことすらできない一瞬の間に、ルカがその場から消え失せる。夜空に一瞬亀裂が入って青空が覗いたかと思うと、まるで硝子が割れたかのようにパラパラと夜の断片が落ちてきた。信じがたい光景だが、どうやらルカが結界を力に物言わせ強行突破したせいらしい。その分の衝撃をもろに受け取ったゾラがよろめいた。


「ゾラさん、大丈夫ですか!?」

「くっそ……ルカ、あいつ、無茶なことを……」


千瀬が情報屋に駆け寄ったのと、駿の携帯端末がけたたましい音を鳴らして着信を知らせたのはほぼ同時。ゾラを木の根に座らせている間に少し離れて何やら話し込んでいたらしい駿が、なぜか通信を切らないまま戻ってくる。


「ゾラ、話せるか」

「大丈夫だけど……何、誰?」

「ローザ。ただ……」


自嘲気味に笑う駿が端末をゾラに投げて寄越す。

認めたくない、信じたくない、嘘であって欲しかった予兆とその正体。影響が既に如実に出ていることを、彼の言葉を聞いて千瀬はついに認めた。


「俺英語できないから、ローザと話せなくなっちまった」



その日。

犯罪シンジケート・ルシファーからルカ・ハーベントまでもが消え、バベルの塔は崩れ落ちた。



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