第二章《模索》:初陣(2)
※これより先は流血表現等、残酷な描写が含まれます。
――ねぇレックス。
千瀬は問い掛けたその言葉を思い出す。ねぇ、どうしてロヴは敵がこの街に来ることを知ってるの。
『――“わかる奴”が、いるのさ』
「ぼーっとするなよ、チトセ」
駿が顔をしかめながら千瀬を見ていた。彼の手には数本のナイフと手榴弾が一つ。
「死んだら終わりだぜ。俺たちは仲間の死体を担いで帰るようなことはしない。放置!」
少年はそう言い切ると、勢い良くナイフを床に突き刺した。ざくり、コンテナーの底に無残な穴が開く。
ルシファーに来た時点で墓石を背負っているようなものだ、と駿は言った。自分達に墓は与えられない。
野晒しの死体はいずれ、民間人や慈善事業者の手で始末されるのだろう。噂によればルシファーの傘下には死体掃除専門の業者もいるらしいので、彼らも一枚噛んでいるかもしれないが。
「警察に見つかってもアウトだぞ。俺達は死刑なんかじゃぬるいぐらいのことやってんだから……どうせ死ぬなら、俺は仕事中に死にたいけどな」
「またシュンってば、そんなこと言って」
ロザリーが駿の頭をぺしりと叩いた。彼女のプラチナブロンドは黒い服に良く映える――今千瀬が着ているものは、スモーキーグレーのカッターシャツに黒のネクタイ、黒のフレアスカートに黒ブーツとものの見事に黒尽くしであった。さらに言うならば千瀬は髪まで黒だ。
ロザリーの格好もほぼ同じ、ただしスカートはフレアでなくキュロットである。駿の場合はシャツの他に黒いズボンと革靴だった。ネクタイは取ってしまったのだろうか、胸元は開いた状態だ。
――通常仕事の際はスーツを着用するのが普通らしいのだが(ますますマフィアみたいだと駿は言う)子供に合うようなサイズはないし何よりも動き辛い。少女達がスカートをはいているのは、そのような理由を考慮した上での妥協案であった。
しかしサンドラなどは黒のトレンチコートにハイヒールという出で立ちだったので、かえって動きにくいのではないかと千瀬は思ってしまう。
「心配なんて無いよ。でも、気を付けて」
黙り込んだ千瀬を心配したのか、ロザリーがそちらに笑いかけた。
「――それじゃあ、確認するわね」
サンドラが静かに口を開き、それを合図に皆は姿勢を正す。今此処にいる中で最年長の彼女は、ロヴに今回の仕事の指揮を執るよう言われていた。
「目標は《敵対者》である組織員のみ。確実に始末すること。警察が出てくると厄介だから、極力目立つ行動は止め民間人との接触も避けましょう。ただし――目撃者は全て消すように」
その静かな言葉に皆は小さく頷いた。さぁ、長い夜が始まる。
「日が昇る頃までには、ここにもう一度集まりましょう。来ない者は死んだとみなすわ。それじゃあ――解散」
*
千瀬は暗闇の中に降り立った。サンドラに貰ったコンバットナイフはしっかりと右手に握っている。身を守るものも、ひいては敵の命を奪うことができるものもこれ一つだった。
その他のメンバーも順にコンテナーから出て行く。そこからあとは各自の判断だった。待機も良し、わざわざ相手を探すも良し。敵の殲滅、その目的さえ果たせれば過程などどうでも良いのである。
一番始めに姿が見えなくなったのはオミだった。彼女は地に足を着けるやいなや身を翻し、街の中心部を目がけて走り出したのだ。その背は瞬く間に闇の中に溶けていく。
「さて、どこから行こうか」
駿が千瀬の右隣に立った。左にはロザリーが並ぶ。不慣れな千瀬のことを考慮して三人は一緒に行動することにしたのだ。
サンドラがオミの反対方向に消えたのを確認して、彼らはネオンの輝くほうへと足を踏みだした。
「……誰もいないね」
「はじめはな」
「いつもこんな感じ?」
「場合によりけり」
不気味なほど静かである。路上に反響するのは三人の靴音だけ。
首筋を撫でていく冷たい風に体を竦ませながら千瀬は、見えない敵に不安を感じるより先に、上着を羽織ってこなかったことを後悔した。
「……いないねぇ」
ロザリーが呟く。ちょっと遅くない? 暇だよね。
「そうだな。もうとっくに出てきたって構わねぇのに……。警戒されてるのか、俺たちが早すぎたのか」
駿が欠伸を堪えて空を仰いだ。夜の帳に包まれた辺り一帯は黒に染め上げられ、街灯と月明かりだけが辺りを照らす。星は見えなかった。綺麗な空なのに、と千瀬は残念に思う。
――その時だった。
突如轟いたのは、幾重にも聞こえる銃声。空気の振動が鼓膜を打った。ここからは遠いが、確かに連続した発砲がなされている音だ。
「――サブマシンガンだ。気合い入ってるじゃねェか」
音から判断したのだろうか、駿が短く囁いた。彼は酷薄な笑みを浮かべる。相手はしっかり機関銃を用意しているようだ。対するこちらは専ら肉弾戦、所持している銃器は拳銃程度である。――そんなこと、彼らには関係ない。
「オミが向かった方向だわ」
「ああ。来やがったな」
千瀬にはその音が、戦いの始まりを告げているように聞こえた。ぎゅっとナイフの柄を握り締める。感覚が研ぎ澄まされる――刹那、千瀬は目を見開いた。
(いる)
ぞくりとした感覚に体が震える。脈打つ心臓、体の中でざわざわと何かが騒ぐ。
途端、ロザリーが叫び声をあげた。彼女もまた忍び寄っていた気配に気が付いたのだ。
「――シュン!」
そう、塞は疾うに投げられていた。切って落とされた戦いの火蓋、瞬く間に広がる戦慄、辺り一面は阿鼻叫喚の巷と化していたのだ。
――駿の背後から背の高い男が飛び出してきたのと、ロザリーが銀の拳銃をホルスターから引き抜いたのはほぼ同時。男がピストルを駿に向けた。引き金に指。
瞬間、轟いた発砲音と同時に一体の骸が地に伏した。男が引き金を引く前に、ロザリーの放った弾丸が男の眉間を貫いたのである。
死体と化した男を踏み越えて、駿が振り向きざまに現れたもう一人を薙ぎ倒す。
少年の手にはバタフライナイフが握られていた。倒されると同時に首を掻き切られた男から、吹き出した血が噴水のように弧を描いて地に落ちる。
「う、ぁ、あぁあぁぁッ」
瞬く間に屍になってしまった仲間を見た者は、千瀬達に背を向けると奇声を発しながら逃げ出した。数人がかりで子供にすら敵わないなど、微塵にも思っていなかったに違い無い。
駿はズボンでナイフを拭うと軽やかに死体を飛び越える。
「――行くぞ。逃がすかよ」