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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第六章《輪廻》
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第六章《輪廻》:Patrinia scabiosaefolia(6)

『……ロヴ・ハーキンズ?』


恵子の瞳が、女郎花の意思でついと細められる。問われた内容が意外だったのだろうか。暫し考える素振りを見せた後に魔女は漸く、ああ、 と声を発した。


『あの、異能の男かえ。妾のことを随分と嗅ぎ回っていたらしいなぁ』

「その人に、会いましたか? 貴女のところに行った筈なんです」

『ああ……逢うたとも』


その言葉にぴくり、と千瀬は身体を震わせた。

ふふ、と軽やかな笑い声をあげる女郎花をゾラが剣呑な目つきで見据える。


『逢うた、逢うたなぁ。妾の居場所を自力で突き止めた人間はこれまで居らなんだ。面白いと思うて、逢うてやった。まっこと愉快な男じゃったが、はて……その後どうしたか』

「………っ」

『………ふ、はは。恐ろしい顔をするでない、ほんの冗談じゃ。強い力を持つ人間だったが、妾が使うには少々物足りなくてのう。餌にはなるだろうと思うたから、閉じ込めてやった。故に、ほうら、そなた等が釣れた。――生きておるぞ、今はまだ、な』


嬉しいかえ?

千瀬の頬を女郎花の指がするりと滑る。子猫の顎を撫でるような仕草に、思わず千瀬はその身を捩った。


「……っ、使う? それってどういう……」

『お前には関係のないことじゃ。使えるものを利用するのは当然であろう? 現にあの男だって、妾を利用する為に探していた。げにまっこと、愉快な人間じゃ。妾を使うてやろうと考えるなど』

「……ハーキンズの野郎でさえ役者不足、か。アンタの舌は相当肥えてるんだね? 伊達に年は食ってないってことか」


皮肉たっぷりにゾラが言葉を浴びせても、女郎花は余裕の表情を全く崩さなかった。


『ああ、そうさな。妾を満足させるには、もっともっと強くなければならぬ。だから、連れておいで』

「え――?」

『あの男はその為に生かしている。強い力の持ち主が、いるのであろう……?』


連れておいで、と再び女郎花は口にする。蠱惑的な唇の動きに気を取られて一瞬、千瀬には言われたことが理解できなかった。


『連れて来れば、妾が使うてやる。それが出来ないならあの男に用はない――ちょんと殺してしまおう』


女郎花の指が鋏を形作り、開閉する。幼子が無邪気に動きを真似るのと何ら変わらない仕草の中に、隠しきれない残虐さが滲み出していた。


「殺……っ、待って!」

『芙蓉の峰へおいで、黒縄の子。次はちゃあんと、妾の身体で逢うてやろう。その時は――憎くて憎くて、殺めてしまうだろうがなぁ』

「――チトセ、モモセ、離れろッ!」


駿の声が聞こえたと思った次の瞬間、千瀬の身体がぶわりと浮き上がった。重い空気の層に包まれて息が吸えなくなる。

女郎花の立ち位置を取り囲むように竜巻が現れたのだと気付いた時には既に、千瀬は突風に巻かれて吹き飛ばされていた。


「―――待って!」


渦に飲まれながらもう一度、千瀬は必死に叫ぶ。しかしその声はあっという間に掻き消され、伸ばした手も届かない。

千瀬の身体は壁に叩きつけられる寸前で駿に抱き留められた。はっとして振り返れば、髪の乱れた百瀬が同様にゾラの腕に支えられている。


「………畜生、」


逃げられたな。耳のすぐ近くで呟かれた駿の言葉を、千瀬も理解した。

巻き起こった旋風の後には静寂と、床にくたりと横たわった娘の身体だけがある。ゾラが無言で近付き、その胸がゆるやかに上下していることを確かめた。―――これは“本庄恵子”だ。女郎花はもう、この身体にはいないのだろう。

それがわかった途端ゾラは、だんっ! と音を立てて拳で床を殴る。


「くそったれ!!」


その細腕で叩いたにしては派手すぎる音を立てて床が凹んだ。今更それに驚くような者は、この場にはいない。


「何だってんだよ、くそ、くそ………ッ、馬鹿ロヴ……!」


ハーキンズ、という他人行儀な呼び方をやめたのは無意識だったのか。かの人を馬鹿だと罵るゾラの声は、幼子のように素直な感情を滲ませていた。


「本当に気にくわない、何もかも………!」


女郎花も、ロヴも、無力な自分自身も。

彼女の言わんとしていることを悟った千瀬は一つ深呼吸すると、無言でゾラの肩に手を置く。振り返ったゾラの瞳は、美しい石のように澄んでいた。


「―――チトセ」

「ロヴを取り返しましょう、ゾラさん。いえ……取り返してみせます、」


必ず。言いながら千瀬は固く拳を握り締める。身体の内で去り際、魔女が紡いだその言葉を何度も反芻しながら。


「―――芙蓉の峰」










* * *










「甘い! 甘すぎるよ本当に!」


帰路につく車の中。千瀬と駿は姿勢をただし、ぷんすかと腹を立てているゾラの説教を甘んじて受け入れていた。


「君達はそれでも本当にルシファーの一員なのか!? 裏社会の頂点に君臨し悪逆非道と名高いシンジケートの構成員なのか!?」

「あくぎゃくひどう……」

「俺らってそんな風に言われてんの?」

「こ……っの、ド無知コンビ! そんなんだから自覚が足りないんだっ、あんな小娘一人始末できないなんて……!」


ぐぅの音もでないとはまさにこの事である。千瀬は何一つ反論できずに、ひたすら下を向いてやり過ごした。


本庄恵子は殺しておく。

女郎花が行方を眩ませた後、意識を失った娘を見下ろして当たり前のようにゾラは言った。それを何とか見逃してくれと頼んだのは千瀬で、駿も擁護に回った。

ルシファーの一員として生きている千瀬と、死んだはずの百瀬の姿を見られたのだ。口封じは当然の行為である。

それでも千瀬には、できなかった。


「確かにあの娘に、女郎花に乗っ取られている間の記憶はないだろうさ。だけどその前は? 死んだ友人の家で目を覚ました彼女が、気を失う寸前の出来事を都合よく夢か何かだと思ってくれるのかい。それとも、幽霊でも見たと納得してくれるのか?」

「……すいません、本当に。何かあったら、私が責任……」

「責任取れるって? 君が? 〈ソルジャー〉風情に何ができるってのさ」

「…………、」


わかっていても、どうしても。自分の、黒沼の事情でこれ以上の犠牲者を出すわけにはいかなかったのだ。そんな千瀬の気持ちにはゾラとて気付いている。だからこそ、あえて厳しく非難しているのだった。


「――――あら、お帰りなさい。ん?」

ゾラの説教は、四人を乗せた車が日本本部へ帰還するまで滔々と続けられた。ガレージでちょうど出くわしたミクが、挨拶と同時に怪訝な表情を浮かべる。どうやらゾラの機嫌の悪さを敏感に感じ取ったらしい。


「ゾラ? どうしたの」

「何でもな……いや、ミク。この馬鹿共から話を聞いて、尻拭いに回った方が良いかもしれないよ。君なら記憶を消せるだろう」

「何の話?」

「少し休んだらロアルに“予見”をさせるから、指南書を持ってくること。僕は先に行くからな」


ミクの質問には一切答えず、千瀬への簡潔な指令を言い捨てるとゾラは足早にその場を去ってしまった。

立ち尽くす駿の頭を次の瞬間、ミクの手が鷲掴みにする。


「ぐわっ」

「ふぅん……? 目撃者を見逃して怒られたのね」

「……読むなよ」


抗議の視線を向けられても、ミクは涼しい顔を浮かべるだけだ。


「ま、心配ないわよ。いざとなれば本当に消してきてあげるわ」

「記憶を、だぞ」

「はいはい」


存在そのものを抹消しかねないミクに釘を刺し、駿は息を吐く。


「……けっ、何だよゾラの奴。自分はただの情報屋でルシファーに所属してるわけでもないのに、説教ばっか……」

「まあゾラは、ルシファーのこと大切にしてくれてるから」

「それは、ルカのいる組織だからですか?」


千瀬が問い返すと、ミクは少しだけ口を噤む。次いでふっと息を吐き、薄い笑みを浮かべた。どこか含みのある顔である。


「正確には……ロヴの作った組織だから、かしら」

「へっ?」


聞こえた言葉に耳を疑いそうになった。思わず千瀬は素っ頓狂な声を上げる。


「ゾラさんはルカのことは気に入ってるけど、ロヴのことは思い切り嫌ってますよね? どうして―――それじゃまるで―――、」

「ゾラはロヴのことが大好きなのよ。もうずっと前から」


さらり。落とされた発言に今度こそ千瀬はひっくり返りそうになった。駿も同じ心地だったようで、思い切り驚愕の声を上げる。


「はぁぁぁぁァァァ!?」

「ゾラがルカを気に入ってるのは本当。ルカには借りもあるみたいだし、外見も好みだって……人形を愛でるような感覚で、好きみたい。でも……」

「……ロヴのことは?」

「恋愛感情ね、あれは」


駿が目を白黒させながら口を閉じた。何を言えばいいかわからなくなったらしい。


「ロヴって性格はアレだけど見た目は良いじゃない。あの若さで財力もある良い男よ。それに加えて頭も切れるし、カリスマ性もリーダーシップも備わってる。あたしもルカもロヴのことは好きだし、きっと“愛して”る。でもそれは……よくわからないけど、“家族愛”に近いんじゃないかしら」

「………、」

「その点、ゾラは家族ではなかった。でも出会ったときからロヴの圧倒的な力にずっと惹かれてるの。本人はそっちの方面に疎いみたいで、恋をしてることもわかってないのよね。男装し続けてるし……でもあれは恋愛感情よ。傍目から見てればわかるわよ」

「は、はぁ……そうなんですか……?」

「ロヴはそれに薄々気付いてて、わざとゾラをからかうのよねぇ」

「えええええ……」


なんて男だロヴ・ハーキンズ。千瀬は心中でひそりと呟く。


「しつこく繰り返すからゾラにももろに反感買われちゃって。だからゾラはロヴのこと好きだけど、大嫌いってのも本当じゃないかしら」


よくわかりません。

素直に千瀬が呟くと、ミクはコロコロと鈴を転がすように笑った。


「気にしなくていいわよ。馬鹿よね、ゾラをちゃんとルシファーに取り込めてれば、楽になった仕事はいくつものあったのに」

「そうでしょうね……」

「とにかく、ゾラはルシファーのこと心から気にかけてるし、本気でロヴのこと探してるのよ。多少のお小言は聞いてあげなさい」

「はい」


千瀬が頷いたのを見て、ミクも満足げな表情を浮かべる。

そこでようやく衝撃から立ち直った駿が、ぼそりと呟いた。


「ロヴの奴、せっかく見つかってもゾラに半殺しにされるんじゃないか……?」


……そうかもしれない。と、その場にいた誰もがそう思った。

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